第375話 国境線上の秘闘(その9)

「久しぶりに子供時分を思い出したわ」

遠い昔を懐かしみつつ、倒れたトール・ゴルディオを一瞥した老人は、

「わしは喧嘩でも遊びでも負け知らずだったが、とりわけ独楽コマが得意で、『喧嘩独楽のティーやん』と恐れられていたものよ」

年長者にガキ大将だった遠すぎる過去を自慢されて困惑するしかない若者へと向けられた視線に不意に力が込められて、

「おぬしは独楽と同じよ。上は激しく動いていても、足元がお留守になっておる。そんなあからさまな弱点を見逃すほどわしは甘くはない」

敗因を突き付けられたトールの胸に苦みと重みが一度に押し寄せる。つまり、「魔神旋風」発動中の下半身に隙を見つけられて、老騎士の持つ棒で足を払われたのだ。これまで一度として破られたことのない必殺技をあっさり防がれたショックもさることながら、

(この御仁は化け物か?)

と思わざるを得なかった。「魔神旋風」のウイークポイントを瞬時に見抜き、わずかでもかすればひとたまりもない猛攻撃をかいくぐって、的確なタイミングで相手を転倒させるなど、心技体がいずれも最高レベルに到達していなければ不可能なはずなのだ。青年の同僚であるマズカ帝国八大騎士団の中にそれほどの力量の持ち主がいるのかどうかわからず、少なくともトールがこれまでに出会った中で最強の戦士であることは疑いようがなかった。それでも、

(まだだ!)

トール・ゴルディオは一度手放してしまった「魔神の大槌」を再び手に取ろうとする。敵が自分よりも強いのを理解しながらもなおも闘志を燃やして向かっていこうとするあたり、未熟ではあっても彼は間違いなく騎士たる資質を十二分に有していたが、この夜に限っては相手が悪いと言わざるを得なかった。

かん!

と軽快な金属音が鳴り響き、夜の梢の間を駆け抜けていった。老騎士が右手に持つ木の棒でトールの左肩を打ったのだ。といっても、さほど力が込められているわけではなく、攻撃というよりはスキンシップに近いように第三者には思われたのだが、

「あがががががががが!」

実際に叩かれた若者は地獄の苦しみにのたうちまわっていた。肩を守る装甲だけでなく皮と肉までも通り抜けて骨を直接殴られたとしか思えず、痛さを通り越して「冷たい」と感じていた。骨の髄まで染み渡る寒さは、トールに騎士としての誇りを忘れさせ、戦意も当然のように消え失せていた。真の決着がついたのをその場にいた誰もが知覚した一方で、

「むう」

白髪の戦士は低い声で唸った。手にした棒の先端がぽっきりと折れてしまっているのに気づいたのだ。

(案外きわどい勝負だったか)

「魔神旋風」に直接当たらなくても、至近距離でかわしている間に棒にダメージが加えられ、鉄鯱騎士団長の肩への打撃で限界に達して壊れてしまったのだろう。一歩間違えば、自分の身体がこうなっていたかもしれない、とささくれだった断面を片目で眺めていた老人は、

「家に帰ったら、新しい物干し竿をこしらえねばならんのう」

このままでは洗濯もできん、と武器代わりに使った家財が失われたのを惜しんで溜息をついた。

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