第376話 国境線上の秘闘(その10)
「やめておけ。つまらん真似をすると怪我をするぞ」
老人の低い声が、びくり! と100人余りの鉄鯱騎士団をまるごと揺らした。「自分が敗れたら敵中を突破して目的地へと急げ」というトール・ゴルディオの指示は歴戦の勇士に看破されていたのだ。それでなくても、無敵を誇っていた「魔神旋風」が破られたことで既に萎えていた団員たちの戦意は強者の一喝でとどめを刺された格好となり、トールの秘策は実行されぬまま潰えてしまった。だが、
「ぼくに構うな。いいから行くんだ」
なおも使命を果たそうとするリーダーは痛む左肩を押さえながら部下たちに呼び掛ける。往生際の悪い若者を見かねて白髪白髯の騎士は大きく溜息をつき、
「敗北を飲み込み他日を期すのもまた将としての務めだ。決して諦めない、というのは聞こえはいいが、所詮は匹夫の勇にすぎん。大志を抱く者のすべきことではない」
厳父のごとく諭してはみたが、トールの耳には届かず、ぐぐぐ、と口の端に白い泡を吹きながら若き戦士はそれでもあがき続ける。迷える旅人を導くには現在位置をはっきり示す必要がある、と悟った老将は、
「今のままでは、百万回戦おうともおまえはわしに勝てぬ。そして、一流の騎士にもなれん」
稲妻に打たれたかのようにトールの身体が跳ね上がり、そのまま顔も上げて自分を破った男の顔を見つめた。すがりつくような視線に痛ましさを覚えた老戦士は、
「おまえがたゆまずに鍛錬してきたのはわかる。その若さでそれだけの力量を身につけたことを褒めてやってもいい。だが、それは所詮平和な場所でやってきたことだ。ジムやグラウンドでいかに鍛えようとそれは準備運動どまりだ。騎士としての真の強さは戦場でしか得られぬ。死線をくぐり抜け強敵と命のやりとりをしなければ本物にはなれんのだ。トール・ゴルディオといったか? おまえの一撃には臭いがしなければ凄味もなく恐ろしくもない」
隻眼をぎらりと輝かせ、
「今のおまえはまだ舞台にもあがっておらんのだよ」
騎士失格、いやそれ以前にスタートも切っていない、と告げられたトールはがっくりと肩を落とした。彼が所属する鉄鯱騎士団は国内の守りを担当していたために先の大戦に出陣することもなく、そして青年がトップに立った頃には既に戦争は終わっていた。戦いに巻き込まれなかったのは幸運ではあったが、それは同時に腕を磨く機会を得られなかった不運だったのかもしれない、と今になってトールは思ったものの、
(ぼくは精一杯頑張ったんだ。強くなろうとしたんだ)
それの何処が悪い? と叫びたかった。だが、負けた自分が何を言ったところで余計にみじめになるだけだ、と敗北を噛みしめ目に涙を浮かべる50歳以上年齢の離れた騎士を見下ろす巨軀の老人はもういちど息を吐くと、
「一流を目指す気持ちが本当にあるのなら、日を改めてアステラへと来るが良い。おまえと同年代の騎士が稽古のよき相手になってくれるであろう」
と言ってから顔をしかめて、
「トールとやら、おまえは少々考えすぎな性格のようだから、うちのせがれと話をしてみるといいかもしれん。あやつは脳味噌が空っぽの馬鹿たれだが悪い男ではない。何かの役には立つだろう」
「ご子息がおられるのですか?」
思わず訊ねたトールに向かって、
「なに、つまらぬ小者よ。『アステラの若獅子』などとおだてられていい気になっておるが、まだまだ修行が足りぬたわけものだ」
老騎士の罵倒の合間には隠しきれない情がにじんでいたが、
(え? それって?)
思いがけない名前を聞いたトールはそれどころではなく、混乱した頭の中身を整理しようとしていたが、不意に首筋を羽根のようなものでなぞられたのを感じ、そのまま鉄鯱騎士団長の意識はなまぬるい暗闇へと落ちていった。
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