第373話 国境線上の秘闘(その7)

「トール様?」

突然動かなくなった若き主人をビリジアナは不安げに見つめたが、トール・ゴルディオの頭は、

「『魔神の大槌』にとって自分は邪魔者だ」

という言葉で満たされていて、それ以外の何物も彼の脳裏に入り込むことはできなかった。自らを卑下するつもりのつぶやきが新米の騎士にひとつの気づきを与えたのだ。戦槌ウォーハンマーという武器は大柄な戦士が腕力に物を言わせて振り回すことでその威力を発揮するのが一般的な使用法なのだが、「魔神の大槌」にはそれ以外のやりようがあるのではないか、とひとつのインスピレーションに導かれながらトールは巨大なハンマーの柄を両手で握ると、ずしりとした重みが伝わってきた。「魔神の大槌」は通常の戦槌の2倍か3倍のサイズはゆうにある。これほど大きい鉄塊ならばそれほどスピードがなくてもただ接触させただけで敵を打ち倒すのは可能なはずなのだ。そして、家庭教師も兼務するビリジアナに教えられて理科の知識もそれなりにあったトールはひとつの答えにたどりつく。

(ぼくはただ単にきっかけを与えてやればいい)

ゴルディオ家に代々伝わる神器を頭上に掲げて振り下ろすことくらいはまだ未熟な少年にでもできた。そして、動き始めた鉄槌が止まらないようにコントロールして活動を継続させることで四囲にある全てを破壊しつくす、という妄想に近い着想がトールの中で形となり、少年の運命はこの瞬間に決定された。

「トール様?」

もう一度心配して声をかけたビリジアナに、

「やっとわかったよ。ぼくがこの武器を使うのではなく、この武器にぼくが使われればいいんだ」

トール・ゴルディオは何かに魅入られたかのような表情で微笑みかけた。力ではなく技でハンマーを制御する、という他に例のないきわめて異質な戦法を選択した少年だったが、人と違う道を歩くことはいついかなるときにおいても苛酷なものであり、それまでの修練の日々と同じかそれ以上に苦痛を味わいながらも、若き騎士はひとつの頂を上り詰めていき、その傍らには彼を愛してやまないメイドが常に控えていた。


「なんたることだ」

ひとりの将軍が呆然と呟いた。彼の目の前には、うずくまったひとりの騎士と彼を中心にして円形に倒れ伏した100人近い軍団、という信じがたい光景があった。マズカ帝国の首都ブラベリ郊外の練兵場で行われている定期演習の最中に勃発した事件に、帝国軍の上層部は顔色を失って立ち尽くすしかなかったのだが、

「ふん。あれはゴルディオの息子か」

強大な国家に君臨する皇帝だけが冷静さを保っていた。ただひとり意識を保っている騎士のかぶった怪魚ヴォルカをモチーフとした兜、そして平均よりも小柄な彼が握っている「魔神の大槌」、それらはいずれもゴルディオ家に伝わるものだと君主はしっかり記憶していた。

「『魔神の大槌』、よもやあのような使い方があるとは」

自らも武芸に通じた皇帝から見てもゴルディオ家の嫡男(確かトールという名前だった)のとった戦法は実に異様であった。ゆっくりと振り下ろされたハンマーがそれから全く止まることなく、それどころか徐々に加速して戦士たちを全員吹き飛ばしていったのは天下の奇観としか言いようがないもので、猛スピードで動き回る馬鹿でかい殺人トンカチの末端に若者がしがみつく姿は叙事詩よりは漫画が似合う滑稽さではあったが、

(強さこそが至上であり、それ以外の美徳などほんの付け足しに過ぎない)

神の代わりに弱肉強食の理念を信奉する独裁者は、トール・ゴルディオの能力を認め、

「明日から鉄鯱騎士団を率いるがいい」

と命じると同時に、18歳の少年の編み出した技を「魔神旋風」と名付けた。才能と体格に恵まれなかったために家族からも顧みられることのなかったトール・ゴルディオが面目を大いに施した一幕を、

「本当にようございましたね、トール様」

練兵場の片隅に身を隠したビリジアナ(戦場に女性が出るのを好まない皇帝の目に留まるのを恐れたらしい)は遠くから見守りながら、とめどなくあふれる涙を白いハンカチで拭っていた。


そして今、マズカとアステラの国境にてトール・ゴルディオが繰り出した「魔神旋風」が老騎士を粉砕せんと、ごおおおおおお! と唸りを上げていた。

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