第361話 老兵、立ちはだかる(その2)

背後の部下たちから失笑が漏れ出したのをトール・ゴルディオは不思議には思わなかった。暗闇に目が慣れ出して、前に立ち塞がる男の姿が捉えられるようになったからだ。使い古したフードを頭からかぶった髪も髭も白い老爺がずんぐりむっくりした農耕用の馬にまたがっている様子はお世辞にも颯爽としたものとは言いがたく、滑稽だと噴き出すのは自然な反応なのかも知れなかった。とはいえ、トールが他の団員たちのように笑わなかったのは、奇妙な闖入者が醸し出す不気味な雰囲気をなんとはなしに感じ取っていたからだろうか。老人の右目に巻かれた黒い眼帯も、彼がただの老いぼれではない証とも思われたが、

「団長、おれらがやっちゃってもいいっすか?」

「あんなじじい、バラしちまったってかまいやしませんよね?」

いつの間にか馬を下りていた二人の団員に声を掛けられて、思念に耽るのを中断せざるを得なくなった。トールのすぐ横にいるのはどちらも素行不良の傾向のある軽薄な性格な男たち(ビリジアナを何度も口説こうとして玉砕していた)だったが、帝国の騎士団に入れるだけの確かな実力の持ち主でもあった。

(考えすぎかな)

若者は自らがナイーブになりすぎているのを省みて、深読みしすぎるのはかえって害だ、と思い直す。頭のおかしい哀れな徘徊老人の相手をしている余裕などないのだ。一刻も早く障害は除去する必要があった。だから、

「あまり手荒なまねはするなよ」

部下たちを止めないことにした。上官の指示を聞かなかったのかあるいは無視するつもりなのか、2人の騎士は明確な殺意を持って「ヒャッハー!」と歓声を上げながらじいさんへと襲いかかる。

(やれやれ。とんだ邪魔が入った)

適当なところで止めなければ、と団員の蛮行に割って入るタイミングを探ろうとしていたトールは、すぐ隣にいるビリジアナに声を掛けようとして思わず息を呑んでしまう。いつも彼の側に控えているメイドの横顔には緊張感がみなぎっていて、頬を伝う汗が冷たいものであるのは触れなくてもわかった。

「トール様」

ビリジアナは主の名を鋭く短く呼んでから、

「あのお方はかなりの腕前だとお見受けしました」

老人がただものではない、と注意を促した侍女にゴルディオ家の嫡男は何故か可笑しくなってしまい、「そんな馬鹿な」と彼女の心配を和らげるために笑いかけようとしたのとほぼ同時に、どさっ! どさっ! とトールとビリジアナ、2人の乗る駿馬の足元に何か重たげなものが落下してきた。

「なにっ?」

トール・ゴルディオが呻いたのは、通行の障害となる浮浪者を排除しに行ったばかりの2人が地面に転がっていたからだ。どちらも白目を剥いて完全に失神していた。彼らが行動を開始してまだものの1分も経っていないのに、と呆然とする鉄鯱騎士団団長に、

「若いの」

暗がりから聞こえてくる老人の声が一段と凄愴さを増しているように聞こえた。

「こんなチンピラ風情にわしをどうにかできると思ったか? あまり見くびってほしくはないがのう」

取るに足らぬ小者の相手をせざるを得なくなった強者が苛立っている、と聞く者全てが理解し、そして正体不明の老人が2人の騎士を秒殺したのだと強制的にわからされていた。おまえの言う通りだった、と思いながらビリジアナを眺めたトールを、いかなる時も彼に忠実な女性は黙って見つめ返してから小さく頷いた。

何故我々の邪魔をする? と問い質したい気持ちはあったが、こちらが先に手を出して向こうもそれにやり返し、話し合いの段階は既に行き過ぎてしまっていた。それに、

(口で言って聞かせられる相手じゃない)

というのをトールは本能的に察知していた。高齢者というのは頑固なものだと相場が決まっているが、彼の進路を妨害しているじいさんはとびきりの石頭に決まっていた。いくらかの金銭を与えたところで引き下がりはしないだろう。さらに言えば、たったひとりで兵士たちの前に躍り出るなんて頭のネジが数本外れていなければできるはずもない。とんだボケ老人と出くわしたものだ、と目の前が暗くなった青年騎士は、それでも騎士団を率いる者の責務を果たそうと、

(やるしかない!)

かなり強引に気を取り直して事態の解決へと向けて動き出そうとしていた。

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