第360話 老兵、立ちはだかる(その1)

「ん?」

トール・ゴルディオはビリジアナに遅れて前方の異変に気付いた。黒い大きな影が路上にわだかまっていて、このままでは衝突してしまう。

「止まれ!」

先頭を行く団長が挙手しながら制止を命じると、快走していた鉄鯱騎士団は急ブレーキをかけてその進行を止めた。慌てて止まったために立ち上った土煙が夜の闇と交じり合うのを見ながら、

「何者だ? そこをどいてもらおうか」

トールは小柄な身体に似合わない大きな声を張り上げた。しかし、影からは何の反応はなく、21歳の騎士は「舐めおって」とチャームポイントの八重歯を剥き出しにして苛立ちを露わにしたが、責任ある立場にある者らしくすぐに気持ちを静めると、

「我々はマズカ帝国鉄鯱騎士団だ。畏くも皇帝陛下の御命令に従い任務のために急行している途中である。そこもとが誰かは知らぬが、通行の邪魔は許されん。直ちに道を開けるように。もし、そうでなければ」

手荒な真似も辞さない、とまでは明言しなかったが、

「むっ?」

トールが思わず目を見開いたのは、目の前の影がひとまわり大きくなったからだ。実際に巨大化したわけではなく、気配だけが膨れ上がったのにとまどう若き騎士団長の耳に、

「それは聞けぬ相談だ」

ぼそっとしたさほど大きくない、それでいて騎士団の最後尾までしっかり届く声が聞こえた。

「なんだと?」

驚きながらもトールは謎の人物の正体をどうにか突き止めようとする。夜中の深く暗い森の中で、視覚を頼りにできないが、年老いた男のしわがれた声だというのはわかる。それだけでなく、「ぶるるるる」と動物の鼻息もかすかに聞こえるところから、邪魔者が馬に騎乗しているというのも見当がついた。

「今、わしが立っておるのはアステラとマズカの国境線のちょうど上だ。目印になるものも警備兵もありはしないが、間違いのないことだ」

正体不明の男の話が確かであるのは若者にもわかった。長らく同盟関係にある王国と帝国との間にある国境の存在があってなきがごときものになっていて、ほぼフリーパスのようになっているのは広く知られていた。それなのに何故邪魔をする、とトールは訊き返そうとしたが、

「いかに友好国とはいえ、それだけの人数の兵士を立ち入らせるのは差し障りがある。帝の命で動いている、と貴殿は申したが、わがアステラ王から入国の許しは得ておるのか? その証があるならば見せてみるがいい」

ぐっ、と痛いところを突かれた鉄鯱騎士団長は思わず呻いた。急遽出立したためにそこまで気が回らなかった自らの至らなさを自覚していると、相手の不備を確認した謎の老人は「やはりそうか」と低い声で呟いて、

「マズカと比べて小国とはいえ、アステラを見下してもらっては困る。それとも、貴様らはこの王国を既に我が物にしたつもりでいるのか?」

「言いがかりはよせ! 事実無根だ!」

トールは甲高い声で言い返すが、姿形も定かでない人物のどっしりした振舞いに無自覚のうちに気圧されかけていた。

「まあ良い。わしとて議論をするために夜中に山奥で待ち伏せしていたわけではない」

音のない衝撃がトールとビリジアナを、鉄鯱騎士団全員を襲っていた。老人がこちらを見た、ただそれだけで100人余りの戦士を震撼させたのだ。

「鉄鯱騎士団の諸君に告げる。今すぐにここから引き返して、全てを忘れろ。それがお互いにとって何よりの幸せなのだ。もしもわしの言うことが聞けぬのであれば、この老いぼれが、諸君の相手を全力で務めさせてもらうぞ」

黒い森林地帯に充満していく威圧感が、男が本気であると言葉以上に物語っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る