第304話 躓き(その2)
ジムニー・ファンタンゴは見た目ほど冷静ではなかった。彼が推し進める「平和条約」をシーザー・レオンハルトたちが反対していた時点でまだ落ち着いていたのは、理想を持たない愚昧な連中が条件反射で感情をぶちまけているにすぎず、国王スコットが動揺したとしても後から説得するのは可能であり、また彼が説得できなかったとしても、マズカの皇帝なりマキスィの統領なり年齢も経験も大いに上回る指導者たちに王が太刀打ちできるとも思えず、結局条約は無事に締結される運びになるのが見えていたからだ。
だが、今はもうそのような状況ではなくなっていた。
「モクジュ諸侯国連邦を条約に加えるべきだ」という具体的な反対意見が出てきて、大陸の安定を図る、という条約の目的から鑑みると論駁するのは難しく、仮に王がこの意見を持ち出したとなると皇帝も統領も却下しづらく、条約の内容に再考を迫られる可能性が高い、というのは優秀な頭脳を持つ宰相にもわかっていた。ようやく念願がかないかけていたときに思いがけない邪魔が入ってファンタンゴは苛立ったわけだが、
(またしてもこの女が余計な真似を)
しかも、前に立ちふさがったのがセイジア・タリウスだったことが男のむかつきに拍車をかけていた。彼の意図に反して勝手に戦争を終わらせた年下の生意気な女騎士が、鼻唄交じりで再び水をぶっかけてきたのだから、不快にならないはずがない。そして、
「セイジア・タリウスよ、おまえこそ魂胆があってこのようなことをしているのではないか?」
と口走っていた。誰からも理性的な人物だと思われていたファンタンゴだったが、実は多分に感情的な性格の持ち主であり、普段は仮面の下に上手く隠しおおせていた情動が天敵とも言える女子の出現によって噴出し、それまで順風満帆だった彼の人生を変える最初の一歩を踏み出させていた。
「はい? 魂胆って何のことですか?」
きょとんとした様子のセイを見て宰相の怒りはさらに膨れあがり、
「とぼけても無駄だ。おまえは連邦と内通しているのではないか? だから条約を阻止しようとしているのだ」
突然の告発に広間は騒然となり、
「え? え? え?」
セイは目を白黒させて口をぱくぱくさせている。効果があったと見たファンタンゴはさらに二の矢を放つ。
「考えてみれば、戦争を止めたのもおかしな話だった。一介の軍人に過ぎない貴様が和睦に乗り出すなどあまりに大それたことであり、そのうえそれを成し遂げるなど、若い娘がやれることではない。何者かが裏で糸を引いていると見るのが妥当だ。貴様はアステラの人間でありながらモクジュのために動いていた裏切り者だ」
つまり、金髪の女騎士がモクジュの走狗となって動いていた、と言いたいわけだが、注意深く読み込まなくてもわかる通り、ジムニー・ファンタンゴのセイへの個人攻撃は何ら証拠があるわけではない。「憎い女子が無能な卑怯者であって欲しい」という願望に基づいたいびつな言葉の塊をぶつけているにすぎなかった。ディベートの名手が酒場の酔っ払いのごとく根も葉もない言いがかりをつけるなど見苦しいとしか言いようがない光景だったが、
「いや、いきなりそんなことを言われても」
セイが困った顔をして反論できずにいるのを見て、
(それ見ろ。やはりあいつは薄汚い雌狐に過ぎない、わたしの足元にも及ばぬ存在なのだ)
ファンタンゴは失いかけた流れを手繰り寄せたのを感じて得意の絶頂に立った気分になる。
「んなわけないだろうが。何を馬鹿なことを言ってやがる」
セイの無実を知っているシーザー・レオンハルトは髪の毛を逆立てて憤り、
「セイさん、黙ってないでちゃんと言ってやってくださいよ」
アリエル・フィッツシモンズにも懇願されたが、
(そう言われてもなあ)
セイは困惑するしかなかった。もちろんファンタンゴの主張は全くもって事実に反していたが、あまりに見当外れの文句をつけられるとかえって反論しにくい、ということもあった。加えて、
(あのときは確かにモクジュの人たちも助けたいと思っていたが、それはそんなに悪いことなのか?)
それがわからなかったから上手く返事できなかった、ということもあった。「みんな」を守るために戦う使命を己に課した騎士にとって、アステラだのモクジュだの国の違いはあまり関係がなかったのだが、そんな高潔な志は卑小なひねこびた心しか持たない輩には理解できないらしく、
「宰相閣下の言う通りだ! 前から怪しいと思ってたんだ!」
自ら進んでファンタンゴの腰巾着になって美味しい思いをしようとしている出世の亡者に罵倒され、
「モクジュと内通していないというなら、その証拠を見せてみろ!」
いわゆる「悪魔の証明」を求められたセイは、かちん、ときた表情になって、
「そう思いたければ思っているがいい」
馬鹿者には付き合っていられない、とそっぽを向いてしまった。くだらない難癖を相手にしないのは騎士らしくまた貴族らしくもあったが、それで彼女に対する心証が良くなるわけではなく、「宰相派」からの攻撃はますます激しくなる一方で、これを勝機と見たのか、
「金か宝石かファッションか、はたまたスケコマシにでもたぶらかされたのか。おまえがモクジュから
ジムニー・ファンタンゴがセイを指弾した瞬間に、
「野郎っ!」
「今の言葉、取り消せませんよ」
恋する女性を侮辱されたシーザーとアルが飛び出すよりも早く、
「あははははははははっ!」
けたたましい笑い声が謁見の間に響いた。セイのすぐ隣にいたナーガ・リュウケイビッチが腹を抱えて笑い転げているではないか。
「ナーガ?」
呆気にとられたアステラの女騎士の顔を見ながら、モクジュの少女騎士は目尻に滲んだ涙を指先でそっと拭って、
「いやはや、アステラの王宮では政のみならず喜劇まで上演しているとは恐れ入った。遠路はるばる来た甲斐があったというものだ。モクジュに戻ったときのためのいい土産話が出来た」
異国の中枢を嘲弄するかのような冗談をぬけぬけと言い放った美少女に宰相は興奮冷めやらぬ様子で「ふん」と息をついて、
「ナーガ・リュウケイビッチ。貴様と共に行動しているのがセイジア・タリウスがモクジュと通じている何よりの証拠だ。貴様はわが国に害を為そうとしている破壊工作員で、タリウスはその共犯者なのは明らかだ」
宰相の攻撃が自分だけでなく友人にまで伸びたのに、セイは眉をひそめたが、ナーガ・リュウケイビッチは一向に慌てることなく、「
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