第303話 躓き(その1)

白い壁面を背にして天に向かって真直ぐに伸びた樹木のように黙然と立ち尽くしていたアステラ王国宰相ジムニー・ファンタンゴは、セイジア・タリウスの朗らかな声とは正反対の暗く冷たい息をそっと吐いてから、

「下衆の勘繰りに付き合ってやる義理などないが、折角だからわたしの考えを表明してやる」

面長の顔に埋め込まれた色素の薄い瞳から鋭い視線が放たれたのに、重臣たちは思わずたじろいだ。意のままにならない状況にあっても敏腕政治家の威圧感は決して消えてはいないようだった。

「大陸の中央部に広大な領土を占めるモクジュ諸侯国連邦の政情不安は、全世界に波乱を巻き起こすことにつながりかねない。よって有志が連合を結成したうえで外部より介入を図り、連邦の健全化を図ろうとするのは、わたしだけでなく心ある人々がかねてからの悲願とするところである。したがって、何処の馬の骨ともわからぬ者が憶測をたくましくするように、侵略の意図などは断じて存在せず、しようとしているだけだ。この世界に永遠の安寧をもたらそうとする陛下の大御心のままに、わたしは動いているのだ」

口調の強さはファンタンゴの決意の強さをそのまま示しているようで、聞く者に反論を許さない力を持っていたが、

(なんだ。セイの言っていた通りじゃねえか)

シーザー・レオンハルトはごまかされなかった。宰相は以前からモクジュへの侵攻を企図していたのをしっかり認めているのだ。しかし、

(このおっさん、やべえな)

とも思っていた。心にやましいところがあるなら否定したりはぐらかしたりしそうなものなのに、ファンタンゴはそうはしなかった。つまり、モクジュに攻め入るのは正しい、と本気で信じているからこそ認めたのだ。損得で動くのならまだ議論のしようもあるが、「自分は正義だ」と思い込んだ、狂信に取りつかれた者の心は変えようがない。セイ、おまえでも無理なんじゃねえか、と青年騎士は女友達の身を案じたが、

「宰相閣下のお考えはいかがなものかと思われますな」

最初に口を開いたのはセイではなく農業大臣だった。

「軍を派遣して体制を変えようとするのは、いかにも強引なやり方で人々の支持を得られるとはとても思えませぬ。援助の手を差し伸べるなどして改革の気運を醸成していくのが妥当なやり方かと」

「そのような悠長なやり方が通じる時期はとうに過ぎたのです」

宰相はモクジュに友好的な大臣の発言に強引に割り込む。

「連邦は長きにわたって麻のように乱れ切り、自力での更生はとても期待できません。そのような国に援助をしたところで、穴の開いたバケツに水を注ぎこむのと同じで、百害あって一利なしというものです」

過剰なまでに鋭い舌鋒に「むむむ」と農業大臣は贅肉で膨れた顔を口惜しげに歪めるしかなかったが、

「バケツに穴が開いていたとしたら、修理して穴を塞いでまた使うのが普通ですが」

セイジア・タリウスがぼそっと呟く。

「今の宰相閣下の申され様は、小さな穴ひとつあっただけでバケツを丸ごとぶち壊してしまおう、という風にわたしには聞こえました」

案外過激なんですね、とだいぶ年下の女子にからかうように言われて、ファンタンゴの面長の顔にさしていた陰翳がひときわ濃くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る