第301話 女騎士さん、提案する(その8)

(助けられた)

とナーガ・リュウケイビッチは思っていた。セイジア・タリウスがいかにもわざとらしく大笑いして話に割り込んできたのは、感情が昂ぶる一方のモクジュの少女騎士がアステラ王を面と向かって罵倒して、議論がぶちこわしになるのを憂いたからに違いなかった。なんと情けない、とおのれの未熟な精神を「蛇姫バジリスク」が恥じているその隣りで、

(ナーガも陛下もどちらも悪くはない)

セイは冷静に状況を俯瞰して考えていた。ふたりにはそれぞれ必死になるべき理由があって、多少エキサイトするのもやむを得ないところなのだろう。むしろ、かつての主君を相手に無意識のうちにいくらか手ぬるくなっていた自らの手際を反省した女騎士は、

「もう夜も遅いことですし、陛下が推進されている条約の最大の問題点を指摘させていただきたいと思います」

単刀直入に切り込んだ。一体どんな発言が飛び出すのか、居並ぶ人々が緊張の面持ちで待ち受ける中、

「この平和条約に含まれる最も大きな欠陥は」

ごくり、とつばを飲み込む音がいくつも重なった後で、

「この平和条約が平和条約であること、それこそが何よりも危険なのです」

理屈立った抗弁が語られると思いきや、とんちか禅問答のようなことを言い出したセイを政治家や官僚たちはとんでもない愚か者を見るかのような侮蔑のまなざしで見つめたが、女騎士はポニーテールを元気に揺らしながら国王スコットへ問いかける。

「陛下は先程、モクジュにも平和条約に加盟して欲しい、と仰られていたはずですが」

にこっ、と音が出るほどの見事なスマイルを提供してから、

「もしそれが叶わなかったとすれば、どうされるおつもりなのですか?」

「なに?」

驚きに目を見張った高貴な青年の顔をしっかりと見つめながら、

「かつての敵国であるアステラ、マズカ、マキスィとひとつになるのにモクジュ側が拒否反応を示すのは大いに有り得ることです。もちろん当事者同士の交渉でうまく解決できればいいのですが、万事が万事話し合いで片付いていたら、わたしのような騎士は存在する必要はないわけで、喜んでいいのか悲しんでいいのか、難しいところではありますが」

いかなるときもユーモアを忘れない女子はジョークを飛ばしてみたが、国家の運命が掛かった深刻な場面で笑いを取ることはできなかった。

「ともあれ、話し合いで埒が明かなければ、実力を行使して事態の解決を図るということになる、というのが世間一般の流れになっているので、今回の条約においてもそのようになるのが自然でしょうね。たとえば、他国に軍隊を送り込んで無理矢理条約に加盟させる、とか」

「馬鹿な。そんなことはあってはならない」

セイのつぶやきに、王は日頃の慎みも忘れて思わず逆上する。力による支配からの解放を目指しての条約なのに、その目的を力によって実現させたのでは、全くの無意味ではないか。

「そうは仰られましても、陛下。あってはならないことがいくらでも起こるのがこの世の中なのです」

戦場だけでなく平時においても数多くの理不尽を目にしてきた年下の女子の言葉に、閉ざされた温室を出ることなく生きてきた若者は何も言い返せはしない。

「狡知に長けた悪党にしてみれば、この『平和条約』ほどおのれの欲求を満たすのに格好の道具はないでしょうね。条約に加わらず、意見を異にする者を『平和の敵』に簡単に仕立て上げられるのですから」

そうだ、だからわたしは全力で反対しているんだ、とナーガは唇を強く噛みしめる。現在のモクジュ諸侯国連邦は諸侯同士が対立し合い、国論をひとつにまとめるのが著しく困難なのは明白だった。そのような状況にあって、「平和条約」の加盟国による連合軍がナーガの故郷へと押し入ってきて、

「平和条約の理念に基づき、連邦の混乱を鎮める」

とでも宣言すれば、実際は侵略に他ならないとしてもそれを否定する大義名分は成り立ってしまい、そればかりかモクジュ以外の「平和条約」の未加盟国へと侵攻する理由付けも出来てしまう。つまり、平和を謳いながら戦争を誘発する悪魔の装置、それが「平和条約」の本質なのだ。

(この条約が現実の物となれば、大陸全土が地獄と化す)

そして、終わりなき戦いの果てにこの地上に生きている者は誰一人いなくなってしまうことだろう、とセイは考えてから、

(まあ、それもある意味では「平和」と言えるのかも知れないが)

とまたしても冗談を思いついてしまうが、あまりにもブラック過ぎるのは自分でも分かっていたので、口に出したりはしなかった。


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