第297話 女騎士さん、提案する(その4)

「きみにしかできない仕事をお願いしたい」

セイジア・タリウスからモクジュへ「平和条約」を伝達する役目を頼まれたとき、

(断ることはできない)

とナーガ・リュウケイビッチは考えていた。アステラ・マズカ・マキスィの三カ国の一体化が成ったとしたなら、諸侯国連邦にもはかりしれない影響をもたらすのは明らかで、それもプラスよりもマイナスの方がはるかに大きいのもまた明白だった。自分と自分の大事な人たちを迫害した祖国であっても、危機を座視することなど誇り高い少女騎士にはできない相談だった。しかし、それと同時に、

(今のわたしにやれるだろうか?)

という不安も大いにあった。偉大なる祖父を失った今の彼女には何の後ろ盾もなく、戦場とは勝手が違う魑魅魍魎ひしめく宮廷での交渉を乗り切れる自信はまるでなかった。それ以前に、「おまえのような小娘に条約を取りまとめることなどできるのか?」とこの場ですぐに訊かれたとしても、嘘が苦手な「蛇姫バジリスク」が海千山千の政治家や官僚たちの追及を乗り越えられるとも思えず、

(セイ、おまえが持ちかけた話なんだから、助けてくれないと承知しないぞ)

いつも苦手にしているアステラの女騎士までも頼りにするほど心細い思いでいたナーガに、

「もし、そこのお嬢さん」

後ろから声がかけられた。とうとうおいでなさった、と観念しながら振り返ると、はちきれんばかりの肥満体を背広に詰め込んだ好々爺がにこにこと笑っているのが見えた。このじいさんがわたしを地獄に突き落とすのか、と浅黒い肌の美少女が運命の皮肉を感じていると、

「ひとつ訊きたいのだが、その名前から察するに、きみはドラクル・リュウケイビッチ将軍の縁者なのではないかな?」

この世界で最も敬愛している人の名前を突然聞かされたナーガは老人の方へと向き直って姿勢を正してから、

「ドラクルはわたしの祖父です」

と言いながら頭を下げた。「モクジュの邪龍」に今もなお変わらぬ尊崇の念を抱き続けている孫娘を微笑ましそうに見つめた太った男は「おお、やはりそうであったか」と首のない丸い頭をせわしなく上下させてから、

「陛下、畏れながら申し上げますが、このお嬢さんは諸侯国連邦へと送り込む使者として誠に適役かと考えます」

「へ?」

てっきり詰問されるものだとばかり思っていたら逆に助け船を出されたナーガは驚きのあまり間の抜けた声を出してしまうが、

「どういうことなのか説明いたせ、農業大臣」

興味をそそられたらしい国王スコットに命じられた大臣(「こんなデブのじいさんが?」とナーガは失礼にも思ってしまったが)は水でパンパンに膨れた風船のごとき巨体を震わせてから、

「不肖このわたくしめはかの諸侯国連邦とちょっとばかり関わりを持っているのですが」

第一声を耳にした重臣と高官は「ちょっとばかりじゃないだろう」と心の中で一斉に突っ込みを入れる。アステラ王国では北に国境を接したマズカ帝国に親和的な集団が主流を占める一方で、東の隣国であるモクジュ諸侯国連邦に友好的な派閥も決して無視できない勢力を誇っていて、この農業大臣がいわゆる「親モクジュ派」の首魁のひとりである、というのは公然の秘密のようになっていたのだ。ユーモラスな外見に反して実はかなりの大物である老人は声を張り上げて、

「この娘さんのおじいさんにあたる『モクジュの邪龍』ドラクル・リュウケイビッチ将軍は、戦争が終結してからというもの、連邦において『裏切り者』のレッテルを貼られ、地に落ちた英雄としてさんざんに酷評されておったのですが」

同じ一族の者として幾たびも辱めを受けたリュウケイビッチ家の娘は苦い記憶を思い出したかのように俯いてしまうが、

「どうやら近頃になって風向きが変わってきたようなのです」

国を離れて久しい「蛇姫」も知らないモクジュ諸侯国連邦の最新の事情が丸っこい身体をした老人から語られようとしていた。

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