第280話 女騎士さん、鼓舞する(その5)

アステラ王国王立騎士団がマズカ帝国大鷲騎士団に勝利を収める、それどころか楽勝するとまで言い切ったセイジア・タリウスの言い分は、その場にいた誰にとっても荒唐無稽だとしか思われなかった。歴史上の合戦において、少数でもって多数を制した事例はいくつもあるが、秘策を準備したり奇襲を仕掛けたりするなど勝者の側にもそれだけの用意があったからで、正面から挑みかかって圧倒するなど皆無に等しい、と言えた。しかも両者の戦力差は3倍近いうえに、王国の兵士たちは武装を解かれているのだ。敗北を免れることすら難しそうなのに楽勝を宣言するとは正気とは思えない、という空気が支配しつつあるのを感じ取ったのか、

「わたしの言っていることが信用できないようだから、ちょっとだけ丁寧に説明してやる」

しかたないなあ、と言いたげにセイは腰に手を当てて、不安そうな面持ちの仲間たちに笑いかけた。

「とても簡単な話だ。今さっきまでおまえたちが置かれていた状況こそが、おまえたちの絶対の有利を何よりも証明しているんじゃないか」

話が逆じゃね? という疑問がアステラの男たちの頭に浮かぶ。マズカの騎兵たちに取り囲まれてあと少しで全滅しかけるという、まさしく絶対の不利と呼ぶべき困難に見舞われていたのではないか。だが、金髪の騎士は笑顔を絶やすことなく、

「何故マズカの連中が騙し討ちを仕掛けてきたのか、よく考えてみろ。やつらは勇猛なるアステラの強者たちを恐れるがゆえに、卑怯姑息にも落とし穴に誘い込んだわけだ。つまり、まともに戦っても勝てるわけがない、と思っているんだよ、帝国の臆病者どもは」

おお、とアステラ国王に仕える戦士が感嘆する一方で、名指しで非難された大鷲騎士団の団員たちがあからさまに動揺しはじめたのが、事態を傍観しているナーガ・リュウケイビッチの目にもはっきりと映った。

「でも、おかしな話だと思わないか?」

と言ってから、セイはやや太めの眉をひそめて、

「だって、数の上では劣っているわれわれを恐れる理由など、普通はないはずじゃないか。でも、こいつらはびびり倒して、やらなくてもいい余計な真似をした」

何故だと思う? と訊かれても騎士たちには見当もつかない。劣等生にも惜しみなく愛を注ぐ女教師のごとき慈しみ深い表情になった「金色の戦乙女」は、

「これもまたとても簡単な話だ。われわれは騎士であり、やつらは騎士でないからだ

。では、騎士でないなら何かと言えば」

大鷲騎士団副長ジュリウスへと視線を転じて、

「賊だ。こいつらはただの賊でしかない。そして、騎士が賊に敗れたためしなど古今東西に存在しない。だから、われわれは楽勝する、と言っているのだ」

おおお! と王立騎士団員たちの顔に自信が宿り、それと反比例して帝国の騎兵たちからみるみる生気が失われていく。女騎士が口を開くたびにアステラは勝利に近づき、敗退がマズカに忍び寄っていく。

「貴様、言わせておけば」

たまりかねて反論しようとするジュリウスをセイは冷ややかに見つめて、

「友邦にて蛮行に及び、信頼を利用して同胞を陥れるなど騎士として到底あるまじき行為だ。今の貴様らは他国を奪おうとする盗賊であり、無用の殺傷に及ぼうとする凶賊に他ならない。おのれの正義に拠って立ち大義に尽くすのが騎士の本分だ。信じる道を見失って欲望をほしいままにする輩など、ただのならず者だ。そのような者を騎士などと、わたしは断じて認めない」

路傍の石ころよりもたやすく副長を一蹴したセイの語り口はさらに熱を帯びていく。

「そして、騎士にはもうひとつ大切な役割がある。それは」

わずかな沈黙の後に、

「たくさんの人々を守ることだ。おまえたちは王立騎士団の一員としてこのアステラの平和を守る重要な任務にあたっていて、そのことをわたしはいつも頼もしく思っている。そして、今夜もこれからその務めを果たしてもらわないといけない」

にこっ、とセイジア・タリウスの微笑みが練兵場の暗闇を照らし、

「おまえたちは強い。自信を持つといい」

他の人間が言ったところでただの言葉に過ぎなくても、セイの唇から迸り出たものは実体をもって雷電のごとく男たちの頭上を飛びかい、マズカの国威に圧されて自信を無くしていたアステラの騎士のハートに無尽蔵のエネルギーを充填した。そうだ、おれたちは強いんだ。おれがおれを信じられなくても、セイジア様がおれを信じてくれるんだ。これでやらなきゃ男じゃないぜ。かっ! と王立騎士団のメンバー全員の両目が白く発光したのをナーガもジュリウスも確かに目撃した。自らの励ましが、数分前までの敗者を勇者に変えたのを認めたセイはゆっくりと頷いて、

「よく聞け! おまえたちは一人だけで戦っているのではない。おまえたちの背後には常にアステラの人たちがいることを、そのことを決して忘れるんじゃない。家族が友人が恋人が知人が、今はまだ他人でもこれから仲良くなるかもしれない人たちが、おまえたちとともにいてくれるんだ。その人たちを守るために命を懸けて戦え。手足をもがれても戦え。死んでも魂だけになって戦え。それこそが騎士の誉れである」

そして、と握りしめた拳を戦士たちに向けて突き出し、

「人の道を外れた悪辣なる敵を葬り去るのだ。ただ蹴散らすだけでは生ぬるい。髪の毛一本血の一滴も残らぬほどに粉微塵に打ち砕いてやれ。それこそがわたしの望むところである」

最強の女騎士の長い髪が黄金に燃え上がり、青い瞳が一等星よりも激しく閃く。

「完全無欠なる勝利をわたしに捧げろ。それ以外は何も欲しくない」

勇敢なる闘士のみが行き着く秘密の花園に棲まうという戦いの女神は栄光をこいねがい、彼女に心酔する男たちはその願いを叶えるためなら何もかも捨ててしまおう、と心の底から熱狂し、真夏の夜の練兵場は沸騰した坩堝と化した。

(今起こっているのは一体何なんだ? セイは一体何をしているんだ?)

ナーガ・リュウケイビッチはこのときはじめてセイジア・タリウスに恐怖を抱いた。彼女に何度となく敗れても、それは同じ騎士としての力量の違いだ、と悔しさはありながらも受け入れることは出来た。しかし、今目の前で起こっていることはそういうレベルの問題ではない。セイは騎士としては平均かそれを上回るくらいの男たちを言葉の力だけで狂戦士バーサーカーへと変え、圧倒的な戦力差を覆そうとしているのだ。そんなことはいかなる将軍にも参謀にも不可能な、千年に一度だけこの世に降臨する偉大なるカリスマのみがなしうる魔法かあるいは神技だ、と自らも騎士である娘にはよくわかってしまったのだ。だから、

(こいつはわたしとは違う。ばけものだ)

長く付き合っているうちに親しくなってしまった金髪の騎士をそのように評してしまう。しかし、英雄と呼ばれる人物は怪物じみた一面も持ち合わせているものであり、ナーガの感想はそれほど的を外してはいないのかも知れない。ともあれ、

「征け」

セイジア・タリウスの地を這うがごとき低い声が切っ掛けとなり、リミッターが完全に外れ、人としての箍もまた外れた王立騎士団員たちは怒号とともに人数にして3倍近い大鷲騎士団へと襲いかかった。


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