第281話 女騎士さん、鼓舞する(その6)

それはあらゆる因果が逆転した異形の戦場だった。馬を駆る戦士が地を這う者に引きずり込まれ、甲冑の上から血まみれの裸の拳で殴りつけられた鎧武者がなす術なく昏倒していく。斬られ貫かれた負傷者は血を流すたびに力強さを増し、瞳を赤く滾らせて敵へと襲いかかる。武器は持っていなかったが、そんなものは必要なかった。手があり足があり頭があり爪があり牙があった。どの部品をとっても人を死に至らしめるには十分すぎるほどの威力を有し、言うなれば彼ら自体が生きて動いて呼吸する人間兵器なのかもしれなかった。何が彼らをそうさせたか、と問うならば、最強の女騎士以外に男たちを変えた者がいるはずもなかった。セイジア・タリウスの鼓舞がアステラ王国王立騎士団の面々を無敵の狂戦士バーサーカー、血に飢えた野獣、生と死の狭間を跳躍する特攻兵へと変貌させたのだ。人ならざる者と相対して数の優位など何ほどの意味も持たず、王国軍よりも3倍近い人数を擁していた大鷲騎士団の軍人たちは、断崖から海へと飛び込んでいく鼠の大群のごとく押し寄せる敵兵たちに飲み込まれ、その姿を次々に消していった。

(ありえない。こんなことがあっていいはずがない)

副長ジュリウスは部下がみるみる姿を消していくのに何ら手立てを講じることなく木偶の坊のように馬上で固まっていた。いや、よく見ればがたがた震えるあまり、頭に巻かれた包帯が緩んで、シーザー・レオンハルトに殴打された傷がむごたらしく晒け出されていたのだが、「アステラの若獅子」に受けた制裁とは比べ物にならない恐怖を細面の男は今まさに味わっていた。今宵戦いは起こらないはずだった。犠牲者を一方的に蹂躙するジュリウスお気に入りの演し物が繰り広げられるはずのステージで、あろうことか団長のソジ・トゥーインから預かった兵を彼は根こそぎ失おうとしていた。取り返しの付かない失態であり、仮に母国に生きて戻れたとしても、家来に対して常に厳格な皇帝が見逃してくれるとも思えなかった。

(わたしは失敗していない。何も悪くないんだ)

そんな言い訳も主君には通用しないだろうが(むしろ弁解すればするほど心証が悪くなっていくのが常だ)、この性格のねじ曲がった騎士の弁護をあえてするとしたら、確かにこの夜の彼には目立った落ち度はなかった。ジュリウスに問題があったとすれば、運が悪く、そして相手も悪かった、ただそれだけの話だった。自ら探し求めたわけでもないのにセイジア・タリウスに出くわすとは、散歩していたら頭に隕石が直撃するくらいの不幸だ、と現在も数多く存在する「金色の戦乙女」ファンの中にも、彼女の敵役であるにも関わらず、大鷲騎士団ナンバーツーの男に同情する声が少なくないのも無理もないのかも知れなかった。

(そうだ! 団長の所へ行けばなんとかなるかもしれない)

「マズカの黒鷲」の存在を思い起こしたジュリウスの目にかすかに光が戻る。現在別行動中のソジ・トゥーインの助けを借りれば形勢を逆転できるかも知れないではないか。大鷲騎士団団長が少数ではあったが別働隊も率いている、という事実も帝国の騎士の胸を奮い立たせた。大陸一の弓の名人との呼び声も高い「黒鷲」なら憎き「金色の戦乙女」も射殺してくれるはずだ。そして、それは数々の失態を帳消しにしてなお余り有る殊勲であり、帝もお許しになられるのではないか。

(こうしてはいられない)

生存へとつながる道を見つけ出した騎士の頭には、上官と一刻も早く合流すること、それのみで占められていた。手綱を取る手ももどかしく、馬を走らせようと意気込んだジュリウスだったが、

「え?」

突然背後から首根っこをつかまれたかと思うと、一ダースほどの成人男性たちが「せーの!」と力を合わせたかのようなとてつもない勢いで、ぐいっ! と引っ張られ、

「うわわわわわわわ⁉」

そのまま背中から地面へと落下した。

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