第262話 激動の宮廷(その4)

王立騎士団の解散を知らされた謁見の間は沸騰した鍋のごとき騒ぎになった。副長であるアリエル・フィッツシモンズはもちろん愕然としていたが、それと同時に大臣や高級官僚が色めき立っているのを奇妙な感慨とともに見つめていた。どういうことか、日頃軍事を軽視するかのように振舞っていた人ほど大きな衝撃を受けているようで、実力組織である騎士団を低く見ながらも実はひそかに頼りにしていたのだろうか、と社会の実像が皮肉な形で浮き彫りになっているのを体感していた。一方、騎士団のトップであるシーザー・レオンハルトは彼の率いる集団を解体しようとしている宰相と国王を見ることなく、すぐそばにいる隣国の騎士に関心を寄せていた。

(おっさん、この話を知ってやがったな)

「マズカの黒鷲」ことソジ・トゥーインは帝国の騎士団の団長であり、この改革によって多大な影響を受けるはずなのに、大広間にいる人間で最も落ち着き払っているのが以前から事情に通じていた証だと「アステラの若獅子」は直感していた。それだけでなく、昨日シーザーがトゥーインの部下をぶちのめしたにもかかわらず何ら抗議をしなかったのもこのためなのだ、と思えてならなかった。どうせ近いうちに路頭に迷うことになるのだから大目に見てやろう、とあえて寛大な態度をとったのではないか。それが青年騎士の邪推ではないのは、中年の戦士の美しく整えられた髭の先端がかすかに震えていることからでもわかった。普段は冷静沈着な男も内側からこみあげる興奮をおさえかねているのだ。

夜更けの王宮は今や紛糾し、さらなる説明を求める声が飛び交うのを、侍従や小者たちはいかに対処すべきかわからずにおろおろしていたのだが、

「諸君らの不安は取り越し苦労に過ぎない」

宰相ジムニー・ファンタンゴの抑揚のない声が場の温度を一気に引き下げ、真夏の室内は氷室のごとき冷え切った空気に満たされる。

「王立騎士団が解散したとしても、国防に何ら問題をきたすことはない。むしろその逆だ。現行の組織を発展的に解消することで、さらなる安全が図られることになるのだ」

登ろうにも手がかり一つ見当たらない絶壁のような答弁に返す言葉を持たない家臣たちを憐れんだのか「そこからは余が話そう」と国王スコットが話を引き取る。左右の肘掛に両手を軽く乗せた20代半ばの青年は意識しないうちに威厳を漂わせながら、

「国家の元首が一番に心掛けなければならないのは、戦争を起こさないことである、と余は考えておる。先の戦争でわが国のみならず多くの国々が辛酸を舐め、このようなことを二度と繰り返してはならない、との意思を改めて共有したはずである。しかしながら、戦いへとつながる火種は現在も大陸の至る所に存在し、まことに慚愧に堪えないことではあるが、わが国においても紛争がなくなってはいない、というのが現状である」

内なる宇宙にしまわれた鍵を探していたのか、若い王は数秒だけ押し黙ってから、

「余の願いは、現在および未来における戦争の根絶であり、恒久的に継続する平和の構築である。しかしながら、過去の英明なる君主たちにもなしえなかった大事業を、微力しか持たぬ余が達成するのは不可能に近い、というのはよく理解しているつもりだ」

さっきよりも長い沈黙の後に、

「なればこそ、わがアステラの同盟国の元首であるマズカの皇帝陛下とマキスィの統領閣下に助力を仰いだうえで、この3か国における平和条約の締結を実現することにしたわけである。もちろん、これはほんの手始めであり、最終的にはこの大陸の全ての国家が条約に参加することを余は目指すつもりだ。そうなれば、全ての国境線はなくなり、この世界はひとつになることだろう」

そこで初めて表情を緩めた高貴な青年は、

「皆は余を夢想家だと思っているかもしれない。出来もしない理想を掲げているだけだと思っているかもしれない。だが、この世界に生きる者全ての幸福を願えばこそ、余は今こうして動いている。これを成し遂げなければ、余が王になった意味はないと思っている」

溢れんばかりの情熱に突き動かされた王の顔が珍しく紅潮し、居合わせた全ての人間は水を打ったように静まり返った。今の主君の言葉を否定するのはたやすい。あまりに困難な目標であり、その実現へと至る手段にも疑問符を付けざるを得ない。だがしかし、正義感、熱意、覚悟、友愛、といった光に満ちた数々の思いまでも拒むことはできなかった。

(陛下は本気で皆の幸福を願っておられる)

その気高さに胸を打たれた家臣たちは「王のために尽くすべきではないか」と自らの迷いを消し去ろうとする。われわれはこの国と王に忠誠を誓った身であり、大御心のままに悠久の大義を現実のものにするために命を捨てるべきではないのか。そのような考えのもとに、夜の王宮はひとつにまとまりかけていた。

(まずい。このままじゃ)

アリエル・フィッツシモンズは焦りに駆られる。十分な議論を尽くさないまま、この国の運命が決まろうとしている。優しく善良なスコット王を慕うがゆえに、彼に仕える者たちは胸の内にある異論を飲み込んで従おうとしているのだ。中には、この決定に不満のある人間もいるかもしれなかったが、統一されつつある全体の雰囲気に逆らってまで動こうとするものはなく、少年騎士もまた抗う術を持たぬまま流されようとしていた。

「皆の意見も出揃ったようだな」

大勢は決した、と見たファンタンゴが議論の終結を宣言しようとしたそのとき、

「ちょっと待ってくれ」

馬鹿でかい声が宰相の動きを制した。

(そうだった。この人がいたんだ)

はっ、と驚いたアルは喜びとともに、隣にいる青年騎士の顔を見上げる。とことん空気を読まない上官にはいつも胃が痛くなる思いをさせられていたのだが、そんな困った性格がこの土壇場で役立つとは思ってもいなかった。

「おれはまだこの話に納得いってねえんだ。終わりにするのは早すぎるってなもんだぜ」

たくましい両腕を胸の前で組んだシーザー・レオンハルトが仁王立ちして、条約を推進しようとする王と宰相をまっすぐに見つめていた。

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