第261話 激動の宮廷(その3)
「お待ちください」
そう声を上げたのは財務大臣だった。元は銀行家で経理に明るい男は、いつもは血色のいい肌を緊張のために青ざめさせながら、
「お話を伺っておりますと、その『平和条約』なる約定は王国の根幹にまで変更を及ぼすものだとしか思えません。そのような重大事を何故われらに諮ることなく推し進められたのですか?」
やや波打った声が響くと、大臣と同様の疑念を抱いた者たちがざわつきだし、謁見の間の温度がやや上がりだしたかのように感じられたのだが、
「諸君らと議論をしていたらいつまで経っても埒が明かないからだ」
宰相ジムニー・ファンタンゴの一声で部屋の気温は元に戻り、さらには余計に低下する。
「宰相閣下、それはわれらに対しあまりに無礼な物言いなのでは」
宰相を睨みつける財務大臣の視線に含まれた怒りは、たった今発せられた言葉だけでなく、国政を傍若無人に切り回す10歳以上年下の政治家に対して平素より貯め込んでいた憤懣が思いがけず表に出てしまったのかもしれなかったが、「それは誤解だ」とファンタンゴは切って捨てるようにつぶやくと、
「財務大臣、あなただけでなくこの場にいる皆が有能な専門家であることはよく承知しているし、だからこそ国政の一翼を担ってもらっているのだ。しかし、専門家というのはいわゆるセクショナリズムにとらわれがちだ。自らの領域を守ることのみに拘泥し、全体の利益をかえって損なってしまう視野狭窄に陥るのを、わたしだけでなく陛下も危惧されたのだ」
自論の正しさを語りながら、王の後ろ盾を得ているのをしたたかにアピールしてから、
「国内および国外においても難問が山積する現状にあって、わずかな遅滞も許されるべきではない。小異を捨てて大同につく果断さが政治に携わる者には求められている。ゆえに、こたびの平和条約の締結については、わたしと陛下だけで話を進めたのだ」
弁論術に長けた宰相の語り口は大河のように悠々として、重臣たちは反論の糸口さえも与えてはもらえなかった。さらに、
「事前に話をしなかったのを不満に思うのは当然のことだ。今後、皆に理解してもらえるよう説明を尽くすから、どうかわかってはもらえないか」
国王スコットの切々たる語り掛けに、一同は反発心が萎えていくのを感じた。大広間に入った全員が仁慈あふれる主君に対して持つ篤い忠誠心が議論の機会を封殺した、とも言えた。そして、
「いや、これは実にめでたいことではないか!」
「国王陛下と宰相閣下のなさることに間違いなどあるはずがない!」
と手を叩いて喜ぶ者も何人かいた。ファンタンゴに追従して高い地位を得た「宰相派」と呼ばれる連中だが、その顔が一様に青ざめて無理に喜んでいる気配がありありと漂っているあたり、彼らも事態の急変についていけていないのは明らかだった。そんな状況の中、
「わたしからもひとつお訊ねしたいのですが」
と声を上げたのは王立騎士団副長アリエル・フィッツシモンズだ。この夜中に緊急で参内したメンバーの中で最年少にもかかわらず、落ち着いたたたずまいで問いかけにも動揺は見られなかった。
(面倒なやつがいた)
以前、この少年に会議においてやりこめられたのを根に持つファンタンゴは苛立ちを仮面のごとき無表情で押し隠し、突然の質問も聞こえないふりをしようとしたが、
「うむ、フィッツシモンズよ。訊きたいことがあれば何なりと訊くがいい」
善良な王が鷹揚に頷いて見せたので答えないわけにはいかなくなる。「では、お聞きいたします」と主君と宰相に頭を下げてから、
「先程の閣下のお話では、『平和条約』の締結によって我が国の政治と経済に多大な変動が起こるのは必至だと思われましたが、同じく国家にとって重大な機能である軍事においても何らかの変更があるのでしょうか? その点をお聞かせ願いたく存じます」
惜しいな、とジムニー・ファンタンゴは考える。やはりこの少年はかなり賢い。騎士にしておくのが勿体ないほどの明晰な頭脳だ。味方にできればかなり心強かっただろうが、
(騎士などになったのがおまえの運の尽きだ、フィッツシモンズ)
アルが野蛮極まりないシーザー・レオンハルトの部下であり、そして、かつて決して消えない屈辱を彼に刻み付けたあの女の元部下であったことも少年騎士を「敵」として認定した理由の一つだった。アルにしてみればとんだとばっちりでしかないのだが。
「これはいいことを聞いてくれた。わたしもこれからその件について話そうと思っていたのだ」
宰相の口ぶりに余裕が見えたのは、絶対の勝利を確信していたからだろう。「王国の鳳雛」と呼ばれる期待の新鋭にも覆しようのない状況が既に作られていたのだ。かくして、男は自信を漲らせながら口を開いた。
「『平和条約』の締結によって、全ての軍隊はアステラ、マズカ、マキスィの3か国からは消滅する」
あまりの予想外の発言に、列席者たちの頭の中が真っ白になるが、ファンタンゴはさらに言葉を継いで、
「現在、各国に存在する騎士団を解散したうえで、平和維持部隊として人員を再統合する。そして、マズカの帝都ブラベリに設置する予定の最高会議において部隊の運営及び活動を統括する運びになっている」
と述べた。
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