第219話 領主の来訪(その4)

「あんなに休めと言ったのに、おまえと来たら」

ナーガ・リュウケイビッチがぼやいたのは、戦いの後で疲労困憊で倒れたセイジア・タリウスがわずかな休息をとっただけで、村中で広がる火災を消し止めるために行動を開始したからだ。とても体力が回復したとは思えない。だが、

「十分に休んださ」

セイはしれっとした顔で答える。彼女にしてみれば、集落が焦土と化していくのを黙って見ている方がずっとつらかったので、自分の身体など二の次としか考えてはいなかった。同じ騎士としてセイの意気に感じ入ったのか、

「まあ、おまえが頑張ったおかげでこれ以上の被害は防げたわけだが」

蛇姫バジリスク」は嘆声を漏らす。金髪ポニーテールの女騎士の奮闘によって今はもうジンバ村を燃やし尽くした炎は全て消えていた。近くを流れる小川と村との間の往復を繰り返す姿は疾風迅雷のごときもので、消火活動というよりは電撃戦と呼ぶのがふさわしい、とモクジュの少女騎士は呆気にとられてしまったのだが。

「わたしのしたことなど微々たるものだ。村にはもう可燃性の物はなかったから、遅かれ早かれ鎮火していただろうし」

セイは謙遜するが、このまま放置すれば近隣の山や森にまで延焼しかねなかったので、やはり彼女の功績は大きい、とするのが適切な評価なのだろう。

「手伝ってやれなくて悪かったな」

ナーガは申し訳なさそうな顔をして詫びる。左膝の怪我のために満足に動けなかったのだ。

「いやいや、こっちこそ悪いと思ってるんだ。きみの怪我だって早く治療しなきゃいけないのに」

ずいっ、と間近に迫ってきたセイの顔が思いやりにあふれているのにナーガはどぎまぎしてしまって、「もう血は止まったからそんなに心配しなくても」とごにょごにょつぶやいてから、

「おまえだって手当てが必要なんだぞ」

と言い返す。するとセイは、

「え? わたしはそんな大怪我なんかしてないが」

きょとんとした顔をしたので、

「怪我自体は大したことはないかもしれないが、場所が問題なんだ」

黒い短髪の少女は指摘する。「双剣の魔術師」ヴァル・オートモの攻撃によって「金色の戦乙女」の顔にはいくつもの擦過傷がついていたのだ。

「おまえも一応女なんだから、顔に傷が残ったら大変じゃないか」

気遣ってくれるのはありがたかったが、

「一応も何も、わたしはれっきとした女なんだが」

心無い言葉によって精神的に傷ついた女騎士はふてくされてから、

「確かにきみの言う通りだから、後で軟膏でも塗っておくよ。舐めておけば十分だと思うが、念には念を入れておこう」

「あのなあ、どうやったら自分の顔を舐められるんだ? おまえは妖怪長舌女なのか?」

そんな化け物みたいに言わなくても、と思ってからセイはにやりと笑って、

「そういうことなら、きみに舐めてもらおうかな、ナーガ・リュウケイビッチ」

「え?」

いきなり妙なことを言い出したばかりか、白い顔をさらに近づけてきたアステラの女騎士にモクジュの娘は戸惑う。

「だって、きみの言う通り、自分では舐められないんだから仕方がないじゃないか。それに、きみの唾液なら治りが早そうだ」

完全に変態の言い草だったが、青い瞳から磁気でも発しているのか、「蛇姫」は退くことも避けることもかなわなくなり、

「きみがわたしを舐めないなら、わたしがきみを舐めてやる」

本末転倒にして意味不明なことを言いながらセイが突き出した舌が頬へと向かうのを、どきどきしながらもぞくぞくもしてナーガは待ち受けてしまい、桃色の先端が浅黒くも瑞々しい肌に触れかけたそのとき、どっ! と近くで爆笑が湧き起こり、ナーガはびくっ!と体を震わせ、セイは舌を出したまま笑い声がした方を見た。

「いやあ、本当に何もかもなくなっちまったなあ」

「おれの家もあんたの家もみんな吹っ飛んじまった」

「山から爆発を見たときは『この世の終わり』くらいに思っていたが、今となっては逆にすっきりしてとてもいい気分だ」

「ちげえねえ」

がはははははは! とまた笑い声があがる。避難していた山の洞窟から戻ってくるなり、村の男たちが輪になって地べたに座り込んで酒盛りを始めていたのだ。

「お手柄だぜ、ドラさん」

「あんたもたまには役に立つんだな」

左右から肩を叩かれて「いやあそれほどでも」と照れるのは飲んべえのドラッケだ。鼻が赤くなっているところを見ると既に酔いが回っているようだ。村の民家が全て燃えてしまったのに酒が用意できたのは、ドラッケがひそかに自宅の地下に作ってあった酒蔵が無事だったからである。

「しょうがない連中だねえ」

と言いながら女性陣は野外で料理を作っていた。彼女たちが手にした食材と料理器具は村のはずれの隠し場所に保管されていたものだ。

「みんな吹っ飛んじまう、ってわかってるのに、わざわざ置いておくこともないからね」

山から下りてきたゼナ婆さんにそう言われて、村人たちが事前に貴重品を村のはずれに運んで隠してあったのをセイとナーガは知り、運命の奔流に抗おうとする庶民のしたたかさを思った。

「こうなっちまったら、くよくよしたってしかたねえ。しこたま食って飲んで寝て、これからのことはまた後で考えようや」

誰かがそう言うと、おう! と賛同の声が村中で沸き立った。いまだ煙も消えない中で、落胆も動揺もあるだろうに、逆境にへこたれないように楽しげに騒ぎ立てる人たちを見て、

「この人たちならきっと大丈夫だ」

ナーガは感動とともにつぶやき、

「ああ、もちろんだ」

セイも大きく頷く。わたしたちがついているからな、と再起のために精一杯助力しようと心に誓っていた。

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