第220話 領主の来訪(その5)

「ねえ、ジャロを見なかった?」

村の少女クロエが2人の女騎士の元へ駆け寄ってきた。

「いや、そういえば見てないな」

セイが答えるとナーガは顔を曇らせた。弟を怒ってしまったのを思い出したのだろう。そうなんだ、とおしゃまな娘も暗い表情になって、

「わたしもお礼を言いたいんだけど、何処を探しても見つからないから」

とうなだれる。村に取り残された幼女マオの飼い猫を救うためにリュウケイビッチ家の御曹司は避難場所を抜け出したわけだが、そのきっかけを作ってしまった、とクロエは気に病んでいるらしい。

「そんなに気にしなくてもいい。マオはミケが助かって喜んでいたんだろ? ならそれで十分じゃないか」

金髪の女騎士は微笑みとともに少女を安心させようとするが、「でも」と頭巾をかぶった11歳の娘は後方を振り返る。そこには円を描いてすすり泣く人たちの姿が、そして集団の中心には白い布にくるまれた遺体があった。村を守るために命を落としたパドル老人の亡骸を囲んで、モクジュからやってきた人たちが悲しみに暮れているのだ。頼れる執事を失った喪失感に誰もが涙を流し、中でも老人を父のように慕っていたエリの嘆き様ははなはだしく、泣き叫ぶ彼女の傍らで亭主のガダマーもまた沈痛な面持ちで佇んでいた。そして、パドルの死こそがジャロ・リュウケイビッチ少年が姿を消した理由なのは明らかだった。自らの軽率な行動が最悪の事態を招いた責任を若年の身であっても一家の主として痛切に感じているのだろう。

「探した方がいいと思うんだけど」

お気に入りの美少年が心配でならないクロエに、

「いや、今はそっとしておいてやろう」

セイは遠くに視線をやりながらつぶやく。戦いの最中、無人のはずの村に貴族の少年と老臣が現れた理由を今はもう了解していた。

「坊やは悪くないし、パドルも悪くない。こうなったのは誰のせいでもないんだ」

戦場で多くの仲間を失った経験を持つ女騎士の青い瞳がクロエを正面から見つめて、

「あの子もきついだろうが、このナーガの弟なんだ。そのうち立ち直るさ」

だから信じて待ってやろう、とセイは寂しげに笑った。まだ子供のクロエには飲み込みづらい話ではあったが、この明るいおねえさんがジャロを心から信じていることだけは確実にわかって、その強い信頼感は不安に満ちていた村娘の心をも落ち着かせる効果を持っていた。うん、わかった、と頷いてから、

「セイがそう言うなら、わたしもここで待ってる」

ジャロが戻ってきたらお菓子をあげたいんだけど、とクロエが小さな声で話すと、

「わたしからも頼む。弟が迷惑をかけてすまない」

美しい「蛇姫バジリスク」が頭を下げてきたので「いえ、そんな」と田舎暮らしの少女はどぎまぎしてしまい、

「あー、でも、ジャロは立派だったと思うんだけど」

顔を赤くしながら別の方向へと首を巡らせて、

「マルコはやっぱりダメよねえ」

同い年のガキ大将をいくらか不満そうに眺めた。避難先から戻ってきたマルコの母親がジャロとともに勝手な行動をとった一人息子を見つけるなり、

「このバカ息子!」

と思い切り往復ビンタをかまし、頬を張られた悪童が、

「おかーちゃーん」

おいおい泣きながら母親に抱きつき、母もまた「このバカ息子」と先程と同じセリフを言ってから嬉し涙を流したのを、村人全員が目撃し、安心しながらも呆れもしたのだった。

「いつも威張っているのに、いざとなったらだらしないんだから」

母親にべったりくっついて尚もべそをかいている幼馴染を酷評する少女の情け容赦のない舌鋒に、年上の女子たちは噴き出してしまい、

「そう言うなって。あいつだって一生懸命頑張ったんだ」

「ジャロを一人にしなかっただけでもお手柄だ。弟はいい友達を持ったと思っているよ」

セイとナーガは思わずマルコを擁護してしまうが、「そうかしら?」とクロエの評価は変わらず、猫を助けて憧れの女の子の好感度を上げようとしたジンバ村のいたずら小僧の目論見はあえなく失敗に終わったようであった。その一方で、

「よく眠っているわね」

セイたちから少し離れた木陰で座っているアンナが呟いた。彼女の視線の先では「影」が体を横にして昏々と眠りについていた。胸の裂傷、背中の火傷はともに重くちょうどいい体勢をとらせるのはなかなかの苦労だった。

「ごめん、おねえちゃん」

黒ずくめの男の枕元でモニカがしょんぼりとした顔をして座っていた。

「わたし、勝手なことをしたのに、助けてもらっちゃって」

いつになくしおらしい妹にアンナはつい笑ってしまう。実を言えば、たっぷりお説教をするつもりでいた。よくわからない理由で村へと戻って、自分と父親がどんなに心配したのか言い聞かせてやらねばならない、と心に決めていたのだが、再会した妹が、

「どうしよう。パイが、パイが死んじゃう」

と目に涙を浮かべて、息も絶え絶えになった「影」にすがりつかんばかりになっているのを見た瞬間に、アンナと姉妹の父ベルトランは末娘が何故村に戻ったのかを悟っていた。もしかするとモニカ本人よりもよくわかってしまったのかもしれない。

「しっかりしなさい。あなたよりも『影』さんの方がずっとつらいのよ」

いつも温厚なアンナが毅然とした態度で「よそもの」の男の治療にあたりだしたのに、妹も父もそして彼女の夫マキシムも驚くが、貴族の屋敷に強引に連れていかれて苛酷な労働に従事し、その後も大病を患い生死の境をさまよった彼女がただ優しいだけのおとなしいだけの女性であるはずもなく、ふだんは心の奥深くに秘めた芯の強さがたまたま表に現れたにすぎなかったのだろう。そして、アンナとモニカの姉妹はナーガ・リュウケイビッチの助けも借りつつ、「影」に今出来る限りの手当てをすることができた。いまだに予断を許さない容体ではあったが、

「煮ても焼いても食えない男だ。簡単に死にはしないさ」

皮肉めいた笑みを浮かべながらのものではあったが、ナーガの言葉をモニカは信じたかった。こいつに死んでほしくない、と心から思っていた。

「ごめんなさい」

もう一度謝った妹に姉は優しく笑いかけて、

「あなたに迷惑をかけられるのには慣れっこだもの。これくらいのことはベストテンにも入らないわ」

からかうように言ったアンナに、

「おねえちゃんの意地悪」

モニカが頬を膨らませてぷりぷり怒る。うちの妹ったら本当にかわいいんだから、と結婚したばかりの長女は笑って、

「ところで、『影』さんの本当の名前はパイさん、っていうの?」

そう訊ねると、ぎくり、と音が聞こえそうなほどにモニカは驚いて、

「何の話?」

汗をダラダラ流しながら視線をさまよわせ、口笛まで吹き出した。あまりにもわかりやすいとぼけ方にアンナは呆れながら、

「だって、さっきあなたが言ってたのよ。『パイが死んじゃう』って」

それを聞いたモニカは、ぎくりぎくり、とさらに驚き、

「え、いや、あの、それはその」

顔面が白熱して耳から湯気を噴射しそうになっている妹を見ながら姉は「やれやれ」と溜息をついて、

「ねえ、モニカ。これに懲りたらもう一人で勝手に何処かに行ったりしないでね。あなたはもういい年齢としなのよ。もう子供じゃないのよ」

アンナの言葉にモニカは、こくり、と黙って頭を上下させた。

(そうね。あなたはもう子供じゃないのよね)

眠りこけた「影」の頭にそっと手をやったモニカを見つめながら、アンナは静かに思っていた。

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