第218話 領主の来訪(その3)

(え?)

セドリック・タリウスが話すなり、場の雰囲気が突然ぴりっとしたのにリアス・アークエットは驚いたが、カリー・コンプは異変を知ってか知らずか、

「困っているところをセイジアに助けられて以来、あの方の側にいて、ずっと一緒に過ごすことがわたしの一番の望みなのです」

だからこそ、こうしてこの村まで来ました、と恋心を隠そうともしないうっとりとした口ぶりで答えた。すると、伯爵の白皙のこめかみにぴくぴくと青筋が浮かび出て、

「わが妹は礼儀をわきまえない不作法者だ。きみのような名人が音楽の道に専心する上で邪魔にしかならないと愚考するが」

扉をぴしゃりと閉めるかのような取り付く島のない口調に、近くで聞いているリアスの心まで寒々しくなる。うわべではセイを下げ「楽神」を上げてはいるが、タリウス家の当主が妹に近づこうとする「悪い虫」を断固として拒絶しているのは、あまりにも明白だった。村へと向かう道中で話をしている間、ずっと穏やかだったセドリックが、突如気分を害して理屈そっちのけでカリーに反発しているのに黒いドレスの美少女は驚かされながらも、高貴な若者が心の底で妹を大切に思っているのも確かに感じていた。

(伯爵様って案外シスコンなのかも)

そんな彼の意外な一面を興味深く思ったが、

「わたしのしていることは何か間違っているかね、リアスさん?」

何かを察したらしい伯爵にセイと同じ青い瞳で睨まれたので、

「べっつにー」

とばっちりを食うのはごめんだ、と踊り子兼拳銃使いの娘は適当にごまかす。視覚がない代わりに常人よりも鋭敏な感覚を持つカリーは当然セドリックの不快感に気づいていたはずだが、

「いえ、ご懸念にはおよびません。セイジアはわたしのことなどまるで相手にしてませんから」

あっさりと言ってのける。あっさりしているだけに、かえって「好きな人に気持ちをわかってもらえない」という吟遊詩人の傷心がわかりやすく浮かび出て、リアスはもちろんカリーに警戒を強めていた伯爵までも彼を気の毒に感じずにはいられなくなる。

「あ、でも、カリー。あなた、こんな夜中に何処に行ってたの? というか、もう朝になっちゃうけど」

リアスは無理矢理に話題を変えようとする。よく考えてみれば「こいばな」に花を咲かせていられる状況でもなかった。ターバンを頭に巻いた歌うたいは笑みを消すことなく、

「あなたたちと同じですよ」

と持ち前の美声で返答する。言っている意味がわからないセドリックとリアスに向かい、

「お二人とも戦っていたのでしょう? 自分から飛び込んだのか、巻き込まれたかまではわかりませんが」

盲いた両目を薄く開けて、

「リアスさんからは硝煙の香りが、伯爵様からは血の臭いがします。どうやらかなり大勢を相手にして、危ない目に遭われたようですね。ご無事で何よりです」

たちどころに真相を看破したカリーに貴族と少女はともに絶句して固まってしまうが、

(ばれちゃってたのね)

リアス・アークエットはひそかに苦笑いを浮かべた。拳銃使いであることはこの詩人には教えていなかったのだが、おそらくずっと前から気づかれていたのだろう。

「いや、ちょっと待ってくれ」

セドリック・タリウスは狼狽して、

「今、きみは『同じ』と言ったが、ということはまさか」

はい、とカリーは頷いてから、

「わたしもついさっきまで戦っていたのです。総勢50人ほどの方々を相手にするのは骨が折れましたが、とりあえず村までおいでになることはないと思うので、なんとか自分の役目を果たせたのかな、と思っています」

いやいやいや! と突っ込みを入れそうになって「そんな庶民みたいな真似はできない」とタリウス伯爵は辛うじて思い止まるが、

「嘘でしょ? だって、あなたは目が見えないのにどうやって戦うのよ? しかも50人を撃退しただなんて」

とても信じられない、とセドリックと同じ疑問を抱いたリアスが血相を変えてわめきたてるが、

「どうやったのか、詳しい手段はお話できませんが、少なくともこの村にやってこようとした集団をわたしがひとりで追い払ったのは確かなことです」

ふう、と大きく肩を落として、

「正直やりたくはなかったのですが、村のみなさんを守るために、それにセイジアに頼まれたからには断るわけにもいきませんからね」

ははは、とハンサムな詩人は力なく笑う。

「セイは、あなたならできる、ってわかってたのかしら?」

問いかけたリアスに「そうでしょうね」とカリーはもう一度笑った。恐るべき力を隠し持っていた歌うたいも、それを見抜いた女騎士もともに規格外の存在であるのは間違いないだろう。なおも信じかねる様子の伯爵に、

「カリーの言っているのはたぶん本当よ」

と黒猫に似た娘はささやく。「楽神」と話しているうちに、彼の表情に隠しきれない疲労の色が見えているばかりか、頬もこけているのに気づいていた。それこそが全精力を傾けて村の防衛に当たった証だと、同じく数時間前まで戦っていた拳銃使いは共感する。リアスの言葉に頷いたセドリックは、

「怪我はないかね?」

とカリーに訊ねた。さっきまでの険悪さとは打って変わった気遣いを感じた吟遊詩人は、

(さすがはセイジアのご兄弟だ。あの方と同じ温かな心を持っておられる)

と感動を覚えながら、

「幸い傷つくことはありませんでしたが、力を使い果たしてしまって、しばらく休まなければなりませんでした」

そして、彫像のごとく整った顔を北へと向ける。

「村が心配なので一刻も早く戻りたかったのですが」

カリー・コンプと同じ方角を向いたセドリックとリアスの目に辺り一面に広がった黒い煙が飛び込んできた。煙は遠くからでもはっきり見えていたが、強烈な焦げ臭さに息が詰まり、目と咽喉が痛み涙が出そうになって、ジンバ村を襲った火災の激しさを3人は揃って実感させられていた。

「ひどい」

惨状に思わずリアスは嘆きを漏らすが、

「でも、火はもう燃えてはいません」

肌を刺す熱さがないことからカリーはそのように推測する。

「では、行こう」

もはや危なくはない、と見たセドリック・タリウスが最初に歩き始める。しかし、たとえ危険があったとしても彼は村へと向かっていただろう。ジンバ村はタリウス家代々の領地でありながらこれまで歴代の伯爵が訪れたことはなく、セドリックは初めて現地に足を運んだ領主として務めを果たさなくてはならない、と責任感をひしひしと感じていたのだ。

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