第182話 忠臣、役目を果たす(その2)
「ナーガ・リュウケイビッチの弟を守っているということは」
ふむ、としばしの思案の後に、
「おそらく貴殿は『モクジュの邪龍』ドラクル・リュウケイビッチの元部下で、諸侯国連邦随一の精鋭部隊『龍騎衆』の一員だった、というところではないか?」
ヴァル・オートモの推理を聞いたパドルは「ほう」と嘆声を漏らしてから、「まあ、そんなところよ」と白い髭を震わせて微笑すると、
「そう言う貴公はアステラ王国にその人ありと称えられた『双剣の魔術師』ヴァル・オートモ殿とお見受けしたが」
へえ、よくわかったね、と今は国境警備隊隊長の地位にある騎士は目を少し大きくしたが、彼が両手にぶら下げた二つの剣と、まるで隙の無い身のこなしを見れば、老人にとって正体を見破るのはさして難しいことではなかった。ジンバ村を侵略し、それどころかリュウケイビッチ家の幼い当主にも害をなそうとしている大陸有数の二刀流の使い手にいかに立ち向かうべきか、それこそがパドルが解くべき真の難題だった。対するオートモの方はといえば、
「騎士の先達に対して敬意を払うのはやぶさかではないが、どうだろう? 無駄な抵抗はやめにして、大人しくわが方に下ることを推奨したい。そうすれば、ナーガ嬢と弟君の身分を保障してもいい」
余裕綽々の体で降伏を勧告する(もちろん内容はまるっきりの嘘っぱちである)。2人の部下をあっという間に組み伏せたところを見ても、目の前の老人が今でもかなりの実力を有しているのはわかったが、しかしそれでも自分には及ばないと計算していた。仮に1対1で戦うことになったとしても、1万回やりあったところで1回だって負けるはずはない、と思い上がりでなく冷徹に考えたからこそ、彼の態度に緊張感や悲壮感はまるで見られなかったわけである。
「なるほど。『魔術師』殿はかなり自信がおありのようだ」
パドルは数歩横に移動してから、「よっこいしょ」と言いながら地面に転がっていた槍(前の持ち主らしき騎士の遺体が傍らに転がっている)を大儀そうに持ち上げ、そのまま両手に取る。そして、
「では、お相手願おうか」
足を広く開き、しっかりと腰を落としてから力強く言い切った。長年の鍛錬の積み重ねで築き上げられた見事な構えに、老爺を侮っていた隊員たちは息を呑み、既に実力を見抜いていたオートモも、自らに突きつけられた穂先が村を包む猛火に照らされて輝いたのに見入ってしまうが、一瞬で我に返ると、
「馬鹿な真似はよした方がいい。あなたもかつて名のある騎士だったならわかるだろうが、やる前から見えている勝負をやる意味などないし、それにわたしとて好き好んで老人を虐待したくはないのだよ」
思いやりと揶揄が分別されきっていない笑顔で老いた執事をなだめようとする。だが、
「意味ならある」
パドルは両目を炯々と輝かせて一歩も引きはしない。
「なんだって?」
「おぬしにはなくても、わしにはやりあう意味がある、ということだ。それをわざわざ教えてやるほど、わしは親切ではない」
白髪頭の「元騎士」の踏み出した右の爪先に力が入り、黒い土を深く抉る。
「やりたくないなら、今すぐ家まで逃げ帰って母親に泣きつくといい。罪もない無辜の民を責め立てて恥じるところのない若僧にはそれがお似合いだ」
かかか、と夜更けの村にパドルの高笑いが響く。つい今しがた「見え見えの挑発に乗るな」と部下を諭したばかりなのに、パドルのわかりやすいにも程がある罵倒に「双剣の魔術師」はあっという間に脳天に血を上らせていた。わかっていても腹立たしい、あるいはわかっているからこそ腹立たしいことが世の中にはあるのかも知れない。
「わかった。わかったよ」
剣を持ったままの両手を横に広げたオートモは呆れ顔で憤りを押し隠すと、
「そんなに死にたいなら死なせてやろうじゃないか、じいさん」
自殺志願に付き合わされる身にもなってくれよ、と表面上はユーモアをまぶしてみせたが、
(ぶっ殺してやる)
その内面は怒りに燃えていた。あのジャロ・リュウケイビッチとかいう生意気な少年の家来だけあって、この老人も鼻持ちならない性格らしい。過ぎ去りし栄光にすがることしかできないおいぼれが「これから先」があるおれの邪魔をするんじゃない、と苛立たしくてならなかった。さらに付け加えると、開始して以降、一つとして予定通りに運ばないジンバ村攻略にまた新たな未知の敵が出現したこともまた彼の憤怒の熱量を高めていた。とはいえ、外見だけは相変わらず森の中の清水のように冷たさを保っていたのだが。
「おい、まさか、じいちゃん、あいつと戦う気かよ?」
遠くから様子を見守っていたマルコがミケを抱いたまま叫ぶ。さほど知恵があるわけではないガキ大将には難しいことは分からないが、大人と老人が喧嘩をすれば前者が勝つことくらいは想像できた。しかも、あの騎士は相当強そうだ、と戦いの行方を危ぶむその横で、
(どうすればいい)
ジャロ・リュウケイビッチは何をすべきかわからずに固まっていた。頼れる老人が自分たちを守ろうとしてくれているのはわかる。一緒に戦いたい、いや、当主として先頭に立って戦いたかったが、今の非力な自分にそれができないのもわかっていた。11歳の少年にできたのは、声をかけることくらいだったのだが、「頑張れ!」と言うのも「気をつけろ!」と言うのも違う気がした。だから、
「パドル!」
ただ名前だけを声を限りにして呼んだ。それだけしか言えなかったが、大切な家臣を思う心情を全て込めた叫びだ。「モクジュの邪龍」の後を受け継ぐ少年の必死の声にもパドルは振り向くことはなかった(既に臨戦態勢にある「双剣の魔術師」と向かい合って「振り向けなかった」というのが正しいのだろう)。しかし、老執事の広い背中がひときわ大きくなり、熱気までも立ち上ったのを見たジャロは、
(おまえはちゃんとわかってくれたんだな)
いかなるときも忠実な老人の勇姿を食い入るように見つめていた。
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