第183話 忠臣、役目を果たす(その3)

「おや?」

ヴァル・オートモは目の前のパドルの姿が突如膨れあがったのを感じた。「でかいじいさんだ」と初見から思っていたが、若い頃はさぞかし筋骨隆々であったろうと思われる肉体も、今ではいささか細身に見えていたので、軽侮する思いが心の何処かにあったのは否めなかった。しかし、それは痩せ衰え萎びたからでなく、不要な部分を削ぎ落とし、よりコンパクトに肉体を改造したためだとようやく理解する。老人が今でも怠ることなく鍛錬に励んでいるのは明らかで、全盛期ほどではないにしても依然としてかなりの実力を有しているのは間違いないものと思われた。

(そうだったとしても大して問題はないさ)

予想が外れた動揺を軽口で押し隠そうとしたが、身体は嘘をつくことができず、冷たい汗が額を伝うのを感じた瞬間、

「参る」

顔を白い髪と髭で覆ったモクジュの元戦士が先んじて攻撃を仕掛けた。

(なんと!)

その打ち込みは「双剣の魔術師」をも驚嘆させずにはおかないほどの鋭さだった。突き出された槍がわずかでもかすれば命をまるごと持って行かれてしまうほどの威力を誇る第一撃だ。しかも、それほどの攻撃が立て続けに襲い来たので、国境警備隊長は守勢に回るのを余儀なくされる。豪雨の後、水量を増した急流に木の葉が巻き込まれていくように、今のオートモはパドルの圧倒的な勢いを堪え忍ぶことしかできなくなっていた。

「すげーっ。じいちゃん、勝っちゃうんじゃないか?」

老人が騎士を押しまくる予想外の光景にマルコは目を輝かせるが、

(ぼくと練習したときとは全然違う)

ジャロ・リュウケイビッチは忸怩たる思いを感じていた。騎士志望の少年は執事によく稽古につきあってもらっていたので(父と姉はひよわな少年に無理をさせたくなかったのか一緒に稽古してくれなかった)、老臣がかなり強いのは知っているつもりだったが、今のパドルの戦いぶりを見ると自分を相手にしたときは一割も本気を出してはいなかったのだ、と痛感せざるを得なかった。しかしそれでも、御曹司の小さな胸の大半を占めるのは、敵の首魁を防戦一方に追い込む家宰の奮闘を誇らしく思う気持ちであり、

(いつかおまえに本気を出させてやるからな)

もっと強くなりたい、という思いのままに、老人の大きな背中を見つめるジャロの茶色い瞳は輝きに満ちていたのだが、

「遊んでやがる」

不穏な囁きを耳にして振り向いてしまう。

「あの野郎、遊んでやがる」

重傷を負った「影」が身体を起こして苦々しい顔で戦況を見つめているのが目に入った。

「やだ。あんた、胸も怪我してるじゃない」

黒い男の背中の火傷の応急措置を済ませたモニカが「双剣の魔術師」との対決で負った深い切り傷を見つけて驚く。まだ血が流れ続けており、放置することはできないと見た少女は「影」の前に回って薬を塗ろうとする。

「『遊んでやがる』って、どういうことなんだよ、おっちゃん?」

マルコの質問に「『おっちゃん』と呼ぶな」と表情を歪めてから、刺客は再び決闘する2人を見やると、

「じいさんは全力で、いや、全力以上で戦っているが、ヴァル・オートモ、『双剣の魔術師』の方はまだ本気を出しちゃいない、ってことだ」

苦しげな「影」の言葉を聞いた2人の少年の顔が真っ青になる。そんな馬鹿な。老人の方が一方的に押しているように見えるのに、どうしてそんな風に思うのか、と頭の中がぐちゃぐちゃになりながらも、戦いの行方を見届けようとするが、

「む!」

休むことなく攻め続けていたパドルの前進がようやく止まり、猛攻を耐え続けたオートモはバックステップして距離を取る。

「妙な真似をする」

リュウケイビッチ家の執事が動きを止めたのは、敵の不思議な変化に気づいたからだった。この両刀使いは最初右手に直刀、左手に曲剣を持っていたはずだが、今ではそれが逆になっていた。いつ持ち替えたのかさっぱりわからず、恐るべき早業だと評するしかなかった。

「へえ、さすがだね。よく気づいたもんだ、と褒めてあげたいところだが」

「双剣の魔術師」がにやりと笑って、

「でも、もう遅い」

自信たっぷりに呟いた瞬間、パドルの両腕から大きな血飛沫が上がり、見守っていたジャロとマルコは「ああっ!?」と悲鳴を上げる。

(動脈を切られたか)

暴力のプロである「影」は老執事が大きな痛手を負ったことを察する。このままでは出血多量で遠からず死に至り、その前に戦うことも動くこともできなくなるはずだった。

「じいさん、あんたの動きはもう見切った。わたしにはもう届かない」

黒ずくめの仕事人の見立てはほぼ的中していた。オートモは余力を残しつつあえてパドルに攻め続けさせて、相手の力量を正確に測ろうとしていたのだ。そして、その計算が終了したので、逆襲を開始したというわけなのだろう。

「守り続けるのもいい加減飽きたのでね、ここからは攻めさせてもらう」

甘いマスクの騎士は宣言通りに自ら前に足を踏み出し、攻撃を開始する。迎え撃とうとするパドルの太い腕からは鮮血が勢いよく流れ続けていたが、それでも老騎士の闘志が衰える気配はなく、巌のごとき巨体もまるで揺らぎはしていなかった。

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