第181話 忠臣、役目を果たす(その1)
パドルの宣告を聞いた2人の騎士は、
「じじいが何を言いやがる」
とせせら笑うなり、手にした得物でほぼ同時に攻撃を仕掛けたが、剣も槍もあっさりと受け止められてしまう。
「まるでなっちゃおらんのう」
はあ、とこれ見よがしに溜息をついた老執事は、
「まず、間の取り方が悪い。いかなる攻撃もタイミングを逸すれば相手にダメージを与えることは覚束ない、と心得よ。そのうえ腰も入っとらん。そのザマでは小鳥を撃ち落とせもせんだろう。これだから近頃の若い者は、おっと、それを言うのは年寄りの悪い癖だ、とナーガお嬢様に注意されたばかりだったわ。まったく、つくづく年は取りたくないものよ」
ぶつくさと愚痴をこぼす老人の手を警備隊員たちは必死で振りほどこうとするが、まるでびくともしない。顔を朱に染めて苦悶の表情を浮かべる若僧たちに、「やれやれ」と広い肩をすくめたリュウケイビッチ家の家宰は、
「一から、いやマイナスから修行して出直してまいれ」
いったん武器を手放してから2人の騎士の手首を握り直すと、
「ふん!」
軽く息をついて姿勢を低くする。さほど力を入れたようにも見えないのに、ぐるん! と男たちの身体は竜巻のごとき勢いで裏返り、もんどりを打って地面に叩きつけられ悶絶する。
「じいちゃん、すげえ」
白髪頭の老爺が2人がかりで襲いかかってきた敵を瞬く間に撃退したのにマルコは目を丸くするが、
「うちのパドルにはあれくらい朝飯前だ」
ジャロ・リュウケイビッチは誇らしげに胸を張った。父の後を継ぎたいと願う騎士志望の少年は執事によく稽古を付けてもらっていて、その強さをよく知っていたのだ。
「ところで、ジャロ様」
自慢の家臣から突然声をかけられて御曹司はびくっと飛び上がりそうになるが、
「どうした、パドル?」
幼いながらも一家の長らしく振る舞おうとする。
「あなた様とマルコ殿が抱えているそちらの『影』殿ですが、命に関わりかねない重い怪我をしているように見えます。一刻も早く手当てをした方がよろしいかと」
確かにその通りだが、治療するための器具も薬品もないのに、と困る少年たちに、
「必要なものはモニカ嬢が持ってきています」
思いがけない名前を聞いてジャロとマルコが驚いていると、
「そいつを下ろして」
ジンバ村の娘モニカがいつの間にかすぐそばまで来ていた。
「モニカ姉ちゃん、どうしてここへ」
いつも怒られている3歳年上の少女の登場にマルコが口を大きく開けていると、
「お願い、早くして」
真っ青な顔で唇を震わせている娘に返す言葉はなく、おとなしく言うことを聞いて「影」をうつぶせに地面に横たえる。
(ひどい)
重度の火傷を負った背中のむごたらしさに目を背けてしまいそうになるが、何のために自分がここまで来たのかを思い起こし、勇気を振り絞って黒い刺客の傍らに膝を衝く。
「おまえ、何しに来た」
危険な場所に舞い戻った少女の無謀さを「影」は責めようとするが、
「いいから黙ってなさいよ」
激痛に声を出すこともできなくなる。モニカが男の背中に食い込んだ破片を指で抜いているのだ。微細なものを取り去るにはピンセットが必要になるはずだが、できるかぎり異物は除いた方がいい、と彼女は考えていた。そして、
「沁みるわよ」
と言うよりも早く、焼けただれた箇所に薄い緑色の軟膏を塗り出す。姉のアンナの看病をしているうちに、14歳の娘はちょっとした治療行為ならできるようになっていた。今使用している薬はナーガに教わって作った彼女お手製の物だ。自分はちゃんとした医者ではないし、ここは病院でもない。やれることといえばせいぜい応急処置くらいだが、それでも何もやらないよりはマシなはずで、男の生存に少しでもつながるのであればどんなことでもやるべきだ、とモニカは懸命になっていた。何故そこまでして彼を救おうとするのか彼女自身にもよくわかっていなかったし、理由を考えるほどの余裕もありはしなかった。
(なによ。偉そうなことを言っておいて、こんな大怪我をして)
頭に来て、腹が立って、こぼれる熱い涙をおさえきれない。あまりにも怒っていたので、
「あんたを絶対死なせないから」
と口走ってから、
「死んだりしたら、殺してやるから」
と言ってしまい、「なんだそれ」と薬を塗られている最中の黒い怪人も思わず噴き出すが、
「うるさいわね。怪我人は黙ってなさいよ」
怒っている女性に逆らう愚は人情の機微に疎い男にもわかっていたので、それ以上は口答えしないことにした。モニカが「影」の命をつなごうと奮闘している一方で、
「このおいぼれが、よくもやってくれたな」
仲間を叩きのめされた国境警備隊員たちが頭に血を上らせてパドルに挑みかかろうとしていた。5人の生き残りのうち2人がやられたので残りは3人になっていたが、
「一人増えたところで何も変わらんと思うがのう」
いかにも退屈そうな執事のつぶやきに逆上した騎士全員が駆け出そうとしたその刹那、
「やめておけ」
男たちの背後から鋭い声が飛び、鞭を食らった家畜のように隊員の動きが一瞬で止まる。
「見え見えの挑発に乗るのは騎士の恥だと思え」
部下が指示を聞いたのに満足したのか、声の続きはいくらか柔らかくなり、
「その御仁はおまえたちのかなう相手ではない」
一言一句、意味の取り違えが有り得ないほどに明瞭に発音してから、ヴァル・オートモはパドルの方へと歩き始めた。
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