第152話 女騎士さんvs荒熊騎士団(その8)

両手両足を失い、首根っこを押さえられて身動きの取れなくなったザイオン・グリンヴァルドに対してセイジア・タリウスは全く容赦しなかった。

「あやまれ」

「は?」

女騎士の赤い唇から出た四文字の言葉すら出血多量で瀕死の状態の「熊嵐」には聞き取れなかったのだが、

「あ・や・ま・れ、と言っているんだ。わたしはおまえが心からの反省をすることを求めている。大切な兄上を傷つけたことを、平和な村を襲おうとしたことを、これまで数多くの無辜の人々を殺してきたことを、この世に生を享けたことを、その不細工面を、その鼻の曲がるような体臭を、おまえという存在そのものについて詫びろ、と言っている」

男の活動を止めかけた頭脳でも無茶苦茶な要求をされているのはなんとなく理解できたので、「いや、それはちょっと言い過ぎなのでは?」とおずおずと反論を試みたのだが、

「あぁん⁉」

セイに至近距離からメンチを切られたグリンヴァルドはど迫力に耐えきれず、その膀胱と肛門はあえなく決壊して、大小便を垂れ流すだけの生き物に成り果てる。

(うちの妹、こわ~っ)

2人の様子を間近で見ているセドリック・タリウスは力なく笑うしかない。いつも陽気で天真爛漫なセイがこれほど怒ったのを見るのは初めてのことで、その怒りの理由が自分にあることに気づいて、「わたしはおまえを邪険に扱っていたのに」と胸の奥がうずくのも感じていた。

「う、う、う。あ、あ、あ」

グリンヴァルドは恐怖しすぎてもはや声も出せなくなっていたのだが、女騎士にはそれがわからず、

「ほう? わたしをシカトするとはなかなかいい度胸をしているな、。おまえがそういうつもりなら」

激怒したおかげで、この物語の世界にはいない人種だが、ヤンキーまたはスケバンのメンタリティになっていたセイジア・タリウスは、

「もっとボコボコにしちゃおうかなー?」

汚れのない純粋に光り輝く笑顔を見せて、それが「熊嵐」の精神を完全に崩壊させた。

「ごめんなさいいいいいいいいいいいい!!」

泣きながら、鼻水を噴きながら絶叫する。赫奕たる数々の武勲も帝王から与えられた名誉も庶民から寄せられた憧憬に満ちたまなざしも男の中から根こそぎ失われ、恥も外聞も無く号泣することしかできなかった。最強の女騎士を陥れようとした人間に用意されている末路は、人間として最低の地位へと転落していくこと、ただひとつなのだ。

「うむ。よく言えたな」

グリンヴァルドの謝罪を聞いたセイは態度を一変させ、慈愛に満ちた女神のような雰囲気を漂わせたので、「熊嵐」は自らの生存にかすかな望みを抱く。騎士としては再起不能だが、生きていられればどんなかたちでもいい、と思えたのはほんの数秒の間だけで、

「じゃあ、とどめを刺してやろう」

女騎士は美貌を崩さずに破滅の宣告を下す。そんなあ、ちゃんと言うことを聞いたのに、謝ったじゃん、と精神的に幼児に退行した帝国の騎士はわあわあ泣きわめくが、

「ごめんで済んだら騎士団は要らない」

セイはつれなかった。短くなった手足を振り回して抵抗しようとする「熊嵐」をあしらいながら、

「おまえも騎士なら、最後くらい堂々としていろ」

じゃあな、ザイオン・グリンヴァルド、と憎い相手でも彼女なりに敬意を表してから、男の喉元をおさえていた左手を高々と上げて、ぽーん、と敵将の身体を空中へと抛り投げた。サーブをするためにトスを上げるかのような軽やかな動きだったが、宙を舞った「熊嵐」を待っていたのは彼自身の最期だった。

すっ、と首筋に線が引かれたのを感じた。設計士が図面に定規を使って描いたかのような正確な直線だ。その直線が自分の頭部と胴体をすっぱりと切断したのを感じた次の瞬間、もう1本線が引かれた。今度の線もやはりまっすぐに引かれ、肉体を縦に走った線は左半身と右半身を正確に二等分していた。

(おお)

事ここに至って、ザイオン・グリンヴァルドは自らに何が起こっているかを理解する。空中に浮いた彼の肉体をセイジア・タリウスの長剣ロングソードが切り裂いているのだ。既に4つに別れた巨体がさらに両断され8つに分けても女騎士の斬撃は止まらず、8つの肉片をさらに刻む。16、32、64、128、256、512、1024、2048、4096・・・・・・。男が数えたのはそのあたりまでだった。数えようにも、物を考えるための脳髄も何かを感じるための神経も細分化されてその機能を果たすことはできなくなっていた。

(なんということだ)

自分という存在がミクロの粒子に還っていきつつあるのに、心だけの存在になったグリンヴァルトはまるで痛みを感じず、恐れを抱くこともなく、それどころか何処か清々しさすら味わっていた。「金色の戦乙女」の振るう剣が彼に巣食っていた悪しき魂までも斬ってしまったのか、「熊嵐」は今までになく物事を正面から考えられるようになり、これまでの人生で犯した数え切れない罪悪の重みをひしひしと感じていた。

(おれは間違っていた)

最初から悪人になろうとしたわけではない。誇り高い騎士として世のため人のために働こうとしたが、何処かで道を踏み違えたのだ。その過ちの理由が今ならわかる気がした。もしもう一度機会があるのなら決して同じ間違いは犯すまい、と心から思っていた。しかし、ザイオン・グリンヴァルドにやり直すチャンスは与えられることなく、無数の微細な塵となった男は風に散らされて、その存在は永遠に失われた。


以下は余談である。「熊嵐」ザイオン・グリンヴァルドの頭と胴体がセイジア・タリウスによって消滅したのはこれまで書いた通りだが、その前に切り離された2本の手と2本の足は消えることなく戦場に残されていた。「ジンバ村防衛戦」が終わった後で、グリンヴァルドの手足と彼の武器である巨大な戦斧バトルアクスを見つけた近隣の住民が、

「敵だったとはいえ、名だたる騎士があわれなことだ」

と特別に弔いたいとセイに提案してきた(一般の敵兵たちは共同墓地に葬られていた)。

「わざわざわたしに聞かなくてもいいんだぞ」

話を聞いた女騎士は兄を傷つけた敵将を思い出したのか、一瞬だけ不快感をあらわにしたが、

「あいつは死をもって罪を償ったのだ。これ以上責めるつもりはない」

と深く瞑目して特に異議を唱えなかったばかりか、住民たちの思いやりを褒め称え、埋葬の費用を自分から差し出したという。かくして、戦場の跡にザイオン・グリンヴァルドの手足と武器を埋めた墓所が設けられ、生前の彼の体格と同じ大きめの墓は誰が名付けたのか「熊塚」といつしか呼ばれるようになった。その後、「熊塚」はある種の「パワースポット」として人気を集め、の怪我や病気に御利益がある、と評判が立つのだが、当のグリンヴァルド自身がそれをどう感じたのかを知る術がないのは言うまでもない。


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