第151話 女騎士さんvs荒熊騎士団(その7)
兄弟に向かって巨大な斧が振り下ろされようとしているのを見て、普通なら「やめろ!」と叫んだり、攻撃を阻止すべく敵へと全力疾走するところであったが、このときのセイジア・タリウスは、前に例がなく後に続く者のいない、彼女にしか成し得ない動きを見せた。なんと、立ち止まって腕を組んで仁王立ちすると、
「さて、ここで問題だ」
とクイズを出したのである。よもやの行動に捕虜に一撃を見舞おうとしていたザイオン・グリンヴァルトは唖然として動きを止めてセイを見つめてしまう。「熊嵐」の視線が向いたのを確認してから、セイはにやりと笑い、
「ここに現れたときのわたしと、今のわたしにはある違いがある。それは一体何でしょうか?」
この緊迫した状況で間違い探しを出題するなど馬鹿馬鹿しいにも程がある、と荒熊騎士団団長は呆れ果てるが、しかしそれでも一度取りやめた攻撃を再開する気にはなれなかった。何故なら、
(確かに何かが違っている)
女騎士の言葉が単なる悪ふざけではないと直感していたからだ。そして、その違和感は自らの危機につながりかねないものだ、とセイの身に生じた変化を見抜こうとしていたそのとき、
「ぐわあっ!」
「ぎゃあっ!」
突然背後から悲鳴が上がった。何事か、と振り返ると、
「ひいいいいっ!」
「バケモノだーっ!」
騎士たちが血相を変えて逃げ惑っていた。彼らを追い回しているのは、やたらに図体のでかい馬だった。でかいだけではなく、ところどころに白い斑点が浮かんだ茶色い身体はつやつやと輝いていて、有り余る精力がほとばしるのが目に見えるかのようだ。
(まさか!)
はっ、となったグリンヴァルトはもう一度セイジア・タリウスの方へ、彼女の背後へと目を向けた。やはりそうだった。さっきまでそこにいたはずの、女騎士を乗せて戦場を駆けまわっていたはずの馬の姿がなかった。セイの愛馬「ぶち」が敵集団の背後に回って強襲を仕掛けてきたのだ。クイズの正解は出題者の口から明かされるまでもなく、現実のものとなっていた。
(おらおらおらあっ! 人間ごときがこの俺様に勝てるとでも思ってんのかよ!)
ごあああああっ! と耳をつんざくばかりの「ぶち」の雄叫びに兵士たちは腰を抜かし、「彼」の同胞であるはずの馬は一目散に逃亡する。騎士の中には比較的勇敢な者もいて、万物の霊長として禽獣に背中は向けられない、と立ち向かおうとしたのだが、
(だりいよ)
最強の女騎士の相棒である最強の駿馬は人の手による決死の攻撃をものともせず、自らへと向けられた刃を噛み砕き、どん、と敵兵に頭突きを食らわせて天空高々と跳ね飛ばす。
(おれの女が迷惑がってるだろうが。このうすらトンカチどもめ)
美しい騎士の恋人を気取る「ぶち」は、馬としての義務を果たすつもりなのか、恋路を邪魔する連中を足蹴にしてから、
「ぎっ! あっ! がっ!」
容赦なく踏み潰す。背骨を折られ、頭蓋骨を粉砕された戦士たちの血肉が大地を舗装し、真っ赤に濡れたペイヴメントが辺境に作り上げられていく。自らの騎士団を襲った惨劇に「熊嵐」は震撼しながらも、
(あの女、これを狙っていたのか?)
真相に気づいていた。少し前に、彼の要求を受けて「ぶち」から降りたセイが何かを馬にささやいていたのを思い起こす。主人の命令通りに動いたのだとしたら、あの馬は大きく強いだけでなく相当賢いと認めざるを得ない。
「があああああああっ!」
天に向かって凱歌を上げる「ぶち」の巨躯は伝説上の怪獣にしか見えず、豪傑たるグリンヴァルトをほんの一瞬だけ心の底から恐怖させ、ほんの一瞬だけ「ぶち」以外の全てを忘れさせた。それは数字の上では0.1秒にも満たないごくわずかな空白に過ぎなかったが、ザイオン・グリンヴァルトの命取りになるには、そしてセイジア・タリウスが好機にするには十分すぎる時間だった。
「なにっ!」
「金色の戦乙女」に懐に潜り込まれていたのに気づいた「熊嵐」は戦慄する。瞬速で間合いを詰められたのに愕然としながらも、さすがはマズカ帝国有数の強豪だけあって、女騎士を打倒すべく手にした
「がはあっ!」
セイの
「ごほっ!」
女騎士は返す刀で巨漢の両脚も叩き切り、膝から下の2つの足は長年支えていた巨体の重みから解放されるが、それでも変わらずに地面を踏みしめ直立し続ける。瞬く間に四肢を失い、黒い血を撒き散らしながら落下していくグリンヴァルトの喉元をセイの左手がキャッチする。頭と胴体だけになった男を片手で軽々と持ち上げると、
「よう、小熊」
会いたかったぞ、と古くからの悪友と久闊を叙すかのような温かみのある声で金髪ポニーテールの騎士はささやきかけたが、
「ひいいいいいいいいっ!!」
グリンヴァルトは安堵するどころではなかった。間近で見るセイの顔はとても美しかった。だが、その美しさこそが彼の精神を崩壊させていた。彼女の青い瞳の中で音のないブリザードが吹き荒れていて、さらなる地獄が待ち受けていることを強制的にわからせられていた。
「おまえのような、用を足した後で手を洗いもしない下劣きわまりない男が、わたしの兄上に触れてもいいと思っているのか? それどころか、わがタリウス家の当主におまえは手を上げたのだ。おまえが千の命を持っていないのがつくづく残念だよ、グリンヴァルト。もしそうだったなら、ありとあらゆる方法でもって、千回処刑してやったものを」
優しい声で語られる恐ろしい内容を耳にしながら、おれは間違っていた、と「熊嵐」は痛感する。セドリック・タリウスを、セイジア・タリウスの兄を捕らえたときに、とんでもない幸運が飛び込んできた、神からの贈り物に違いない、と浮かれたものだが、それは全くの逆で、あの青年こそがグリンヴァルトの、そして荒熊騎士団の転落の切っ掛けだったのだ。もしタリウス伯爵の存在が無ければ、「金色の戦乙女」の奇襲に対しても正々堂々と立ち向かっていたはずで、1対1の戦闘を挑んでいればセイに対してもまだ戦いようはあったはずなのだ。しかし、人質を利用して女騎士を無力化しようと姑息な企みをしたがために、今こうして彼は一敗地にまみれ、その不名誉はいずれ母国にまで広く知れ渡り、後世まで消えない汚名を負うことになるのは確実だった。自らに災厄をもたらしたセドリックを睨もうとして、
「おい、よそ見をするんじゃない。話はまだ終わってないぞ」
セイが左手に少しだけ力を込めたおかげで、グリンヴァルトの喉笛は圧潰しそうになり、たまらずに咳き込んだ。
(セイジア・タリウス。これほどの女だったか)
かつては豪傑だったものの今は一般人以下に落ちた男は考える。この夜彼を襲った不運はいくつもあった。敗北も不名誉もどうにも耐えがたいものであったが、それよりも何よりもザイオン・グリンヴァルトにとって最大の悲劇は、最強の女騎士セイジア・タリウスを怒らせたことであり、
「おまえにはやってもらわないといけないことがある」
美しい死の天使の怒りの炎はまだ消えてはいなかった。
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