第153話 女騎士さんvs荒熊騎士団(その9)
ザイオン・グリンヴァルトの巨体はセイジア・タリウスの刃によって血肉も残らぬほどに粉微塵となり、束の間霞となって漂った後に影も形もなく消え失せた。「熊嵐」の消滅を見届けたセイは、ふん、と軽く息をついてから、
「兄上、お怪我はありませんか?」
とセドリック・タリウスの方へと駆け寄ると、立ち上がった兄を後ろ手に縛り上げていた荒縄を、ぶつり、と剣で断ち切った。
「ああ。痛みはあるが、大したことはない」
伯爵は別に強がったわけではないが、敵兵たちに殴られた顔面のあちこちが赤や青に変色していて、見るも無惨な様相を呈した兄の姿に妹は表情を曇らせる。長時間の拘束から解き放たれた両手首を振りながら、
「最初からわたしを助けるつもりで動いていたのだな?」
セドリックは妹に問いかけてから、「少しひやひやしたぞ」と軽口を叩く。彼女がグリンヴァルトの要求に応じたふりをしたのは、あの大きな馬が敵軍の背後に回り込むまでの時間を稼ぐためだった、と今ならわかるが、セイに見捨てられたと思った瞬間がなかった、と言えば嘘になってしまう。兄の言葉を聞いた女騎士はあからさまにむっとして、
「わたしが兄上を見殺しにするとでもお思いですか?」
語気を強めて抗議してきた。
「そうだったな。すまない」
伯爵は素直に頭を下げながら、優しい心を持つ妹を信じきれなかった自らの弱さを恥じた。
(怒られてしまった)
いつも怒るのはこちらの方で、セイに怒られるのはきわめて稀なことであったが、年下の女子に怒られたにもかかわらず無性に嬉しいのが何故なのか、自分でもよくわからなかった。そこへ、ぱからっ、ぱからっ、と足音も高く戻ってきたのは「ぶち」だ。
(へへーん。俺様にかかれば、これくらい楽勝だぜ)
セイの命令通りに動き、役割を見事に果たして意気揚々たる若い馬に、
「よくやってくれたな、ぶち。帰ったらご褒美に人参をたくさんはずんでやろう」
セイは暖かい声をかけながら、愛馬の顔を撫でまわし、
(よせやい。馴れ馴れしくするんじゃねえ)
「ぶち」は憎まれ口を叩きながらも満更でもない様子で鼻息を荒くした。かくして、絶体絶命の窮地から逃れ出たタリウス兄妹だったが、二人の危機はまだ終わったわけではなかった。
「よくもうちの団長をやってくれたな」
気がつくと、荒熊騎士団の残存兵がセイとセドリックと「ぶち」を完全に包囲していた。二重三重に取り巻かれ、蟻の這い出る隙間も見当たらない。
(あてがはずれた)
セイは内心で苦笑いを浮かべる。ザイオン・グリンヴァルトを倒せば、残った連中は算を乱して敗走するものと見ていたのだが、どうやらあの「熊嵐」は思いのほか人望があったようで、復讐の念に燃えるいくつもの視線が突き刺さってくるのを女騎士は感じた。それに加え、セイと「ぶち」の二人(?)がかりで倒しまくったとはいえ、敵はまだ40人近くいて、総掛かりで当たれば最強の女騎士でも倒せる、という打算もあるものと思われた。
(あまりよくない状況だ)
金髪ポニーテールの騎士は自らの不利を認めざるを得ない。まず第一に、さっきまではただひたすら相手を倒すことだけを考えていればよかったが、今は兄を守ることも考えなければならず、攻めと守りを同時にこなしながら大多数と戦うのは彼女といえども至難の業であった。そして第二に、今になって疲労がどっと押し寄せてくるのを感じていた。無理もなかった。50人もの騎士と戦って平気でいられるはずがなく、さらには兄を人質にとられた多大なストレスがセイの心身を蝕んでいたのだ。
(このままではまずい)
包囲の輪がじりじりと狭まってくるのを感じながら、セイはひとつの判断を下そうとする。
「兄上、今すぐこの馬に乗ってお逃げください」
「なに?」
セドリック・タリウスは声を出して驚く。ひとりだけで逃げろというのか、という思いを込めながらセイを見つめると、
「わたしひとりならなんとかなりますが、兄上にいられると邪魔になるのです」
自分を助けようと妹があえて強い言葉を使っているのがわかって、
(おまえひとりを犠牲にして、おめおめと生き残れるものか)
誇り高い青年の内側で烈火のごとき憤りが駆け巡るが、彼が残ったところで彼女の足手まといにしかならないのも事実で、なんとも言い返しようがなかった。
(ふざけんじゃねえよ、セイ。おれとおまえはいつも一緒なんだ。離れられるわけがねえだろうが)
「ぶち」もまた主人への怒りとともに歯を剥き出しにしてみせたが、
「つべこべ言ってる暇はない。いいから早く逃げてくれ」
お願いだから、と女騎士の青い瞳が潤むのを見て、伯爵と駿馬はそれ以上抵抗できなくなる。彼女がどれだけ強く自分たちを愛してくれているかが痛いほどにわかったからだ。だが、現実はあくまで無情なものであり、
「くらえ!」
遂にセイたちへと荒熊騎士団の攻撃が開始される。
(やってやる!)
前後左右から押し寄せる敵の群れに、愛する人を守るため、セイジア・タリウスがなけなしの闘志と体力を振り絞って立ち向かうべく最初の一歩を踏み出そうとしたまさにそのとき、
がががががががががんっ!!
目が眩むばかりの光が閃き、耳を聾せんばかりの音が轟いた。
「えっ?」
突然の事態に呆然とするセイジア・タリウスの目に飛び込んできたのは、自分たちへと向かってきた騎士たちが苦悶の声をあげて地面に倒れている姿だった。そして、
「なんとか間に合ったみたいね」
すぐ隣でたたずんでいる黒衣の天使に気がつく。
「きみは!?」
思いがけない人物の登場に驚くセイに向かって、
「久しぶりね、セイジア・タリウス」
リアス・アークエットは両手に拳銃を握ったまま艶やかに微笑んでみせた。
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