第144話 不確定要素(その2)
闇の中でジャロ・リュウケイビッチ少年は膝を抱えて蹲っていた。
(姉上はどうされているのだろうか?)
洞窟に入ってからというもの、そのことばかりが彼の頭の中を占めていた。姉のナーガがたったひとりで大勢の敵に立ち向かっている、と思うといても立ってもいられなくなり、すぐにでも彼女の元へと駆けつけたくて仕方が無かったのだが、
「おまえにはリュウケイビッチ家の跡取りとして生き延びるつとめがある」
とナーガから何度も言って聞かされた上に、
「今のあなた様に何ができるというのですか?」
執事のパドルからもきついお小言を食らっていたので、少年の願いはかなわぬまま、今はこうやって避難を余儀なくされている身の上になっていた。
(パドルのわからず屋め。「できる」「できない」の問題ではない。姉上の危機に弟として付き添わなくてどうするというのだ)
父ドラクルのような立派な騎士になることを夢見る男児の中には既に高貴な精神が芽生えつつあったが、悲しいかな、気持ちに実力が追いつかず、今のジャロはナーガと共に戦うことも、口うるさい家来を振り切ることも不可能だ、と諦めるしかなく、したがって今の少年に出来るのは、不貞腐れること、ただそれだけのようだった。
洞窟の中は彼の今の内面を反映しているかのようにじめじめして、気持ちは下降線をたどる一方だったが、
(ん?)
耳を澄ませてみると、楽しげなおしゃべりが何処かから聞こえてきた。見ると、モクジュから一緒に避難してきたメイドたちがジンバ村のおかみさんたちと話に興じているようだった。この非常時に、と呆れてから、非常時だからこそいつもと同じように他愛ない話題に花を咲かせたいのかも知れない、とジャロは彼女たちの振舞いが理解できたような気がした。父の死から2年あまりにわたって逃亡の日々を送った中で、11歳の貴族出身の御曹司はそれなりに世間というものを学んでいて、
(仲良くなったのは何よりだ)
家来が村人たちと親交を深めたのを喜んでもいた。国や身分が違っても人はわかり合えるのだろう、と幼き日に得たいくつもの教訓は少年が成長した暁にはかけがえの財産となって生きることになるのだが、今のジャロはやせっぽちの無力な子供に過ぎなかった。
(ん?)
また何かが聞こえた気がした。反対側を振り返ると、洞窟の奥の方から誰かの泣き声が確かに聞こえてくる。少しだけ腰を浮かせて声のした方へと近づいていくと、小さな女の子がしくしく泣いているのが暗がりの中でもしっかりと見えた。
「どうして泣いてるんだ?」
ジャロが問いかけると、少女は一瞬少年を見てから、再び2つの小さな掌で顔を覆ってしまった。これでは何もわからない、と困っていると、
「ミケを連れてこられなかったのよ」
そう言ったのは、少女のすぐ隣にいたクロエだ。ジャロと同い年の村の女の子で、いつも積極的にアタックしてくるので正直苦手にしていたのだが、この状況ではさすがに元気もなさそうに見えた。
「ミケ、というのは?」
「この子の、マオの家で飼っている猫よ。家を出るときに連れて行こうとしたんだけど、何処かに隠れちゃって見つからなかったの。探そうとしたんだけど、『こんな大変なときに猫なんか抛っておけ』ってお父さんに怒られちゃったんだって」
クロエがそう言うと、マオは一段と激しく泣き出してしまった。
「大丈夫だよ。ミケは頭がいいから、きっと何処か無事なところに隠れてるよ」
クロエは年下の少女の背中をなでさすってなだめようとするが、その声は悲しげで、自分の言っていることを信じていないようにも思われた。そして、事情を知ったジャロ少年の中で激しい憤りのようなものがメラメラと燃え上がりだしていた。
(「猫なんか」だと?)
どうしてそんなひどいことを言えるのか、と思った。ペットは立派な家族の一員だ。人間と動物の境目などありはしない、とモクジュの少年は信じ、身を切られるような痛切な記憶を思い起こしてもいた。以前、リュウケイビッチ家では何頭も猟犬を飼っていたことがあった。「龍騎衆」筆頭だった将軍の家にふさわしい血統書付きのよく訓練された頭のいい犬ばかりで、幼いジャロはどの犬も可愛がって、係りの者に世話を任せきりにすることなく自分で餌を与えたり毛並みを整えたりしてやったものだった。しかし、父が死に、国中の怒りを向けられたリュウケイビッチ家が焼き討ちされるに及んで、ジャロたちは逃亡を余儀なくされることになり、
「みんなはどうしたのですか?」
と都から逃げ落ちている途中で犬がいないのに気づいたジャロはナーガに訊ねたが、
「すまない」
弟の問いに少女騎士は唇を噛みしめて俯くだけだった。ジャロはそのことで姉を責めたりはしなかった。自分たちだって生き延びるのに大変だったのだ。ペットのことまで気が回らなくても当然だ、と思うしかなかった。ただ、
(ぼくがもっと大きくて強かったらこんなことにはならなかったのに)
置き去りにしてしまった犬たち(とても賢いから自力で生きてくれていると信じたかったが)への申し訳なさで枕を濡らした夜も数多くあった。もうあんなつらい思いをするのは嫌だ、と心から思い、自分と同じ思いを他の誰かがするのも嫌だ、と本気で思っていた。だから、
「ぼくが連れてきてやる」
思わず口走っていた。
「ええっ?」
クロエが悲鳴を漏らし、マオは泣くのをやめて目を丸くしてジャロの顔を見つめている。
「ぼくが村まで行って、ミケを連れてここまで戻ってくる。だから、もう泣くんじゃない」
「馬鹿なことを言わないでよ。あんたなんかにそんなことできるわけないじゃない」
クロエが慌てふためいたのは、少年が本気だというのが伝わってきたからだ。この貴族のおぼっちゃんは、とても純粋な心の持ち主で、そんなところも「かわいい」と思っていたのだが、その性格のおかげで他人のために自分からわざわざ危険に足を踏み入れようとしているのだ。しかも、そのきっかけを作ってしまったのは他ならぬクロエ自身だった。どうにかして止めなければ、と必死になったが、
「なに、心配は要らない。危ないと思ったら無茶をしないですぐに戻ってくるから。ぼくだって命は惜しいんだ」
ははは、と笑ってみせながら、ジャロは「やってやるぞ」と徐々に本気モードになりつつあった。姉と一緒に戦うのは無理でも、猫を助けるくらいなら今の自分でも出来るはずだ。ようやく人のために役立てる機会が来たのだ。騎士を志す者としてじっと座っているわけにはいかない。
「そうと決まったら早速行ってくるから。あまり遅くなるとみんなが心配する」
この時点ですごく心配なのよ、とクロエが必死に引き留めようとしていると、
「ちょっと待てよ」
マルコが出し抜けに口を挟んできた。どうもすぐそばで聞き耳を立てていたらしい。
「黙って聞いてれば、何を勝手なことを言ってるんだ、おまえ」
つかみかからんばかりの勢いで迫ってきた村のガキ大将に、
「止めないでくれ、マルコ。これは騎士としてやらなければならないことなんだ」
女の子のようなかわいらしいルックスに似合わない真剣なトーンでジャロが言い返すと、マルコは大きく息を吐いてから、
「止めねえよ」
と言い放った。
「はい?」
予想外の言葉にジャロとクロエがぽかーんと口を開けていると、
「おれも混ぜろ、って言ってるんだよ。そんな面白そうな真似、おまえにだけやらせてたまるか。っつーんだ」
村一番の悪童の目は強く輝いて、彼の言葉が強がりではない本気のものだと証明していた。「やるな」と言われたことほどやってみたくなるへそまがりな性分はこの緊急事態でも変わらないようだった。それに加えて、
(こいつにだけいい目を見せてたまるか)
という邪な考えがあったりもした。勇気ある行為を成し遂げた「よそもの」の少年にクロエがますます夢中になるのはどうあっても避けたかったのだ。
「だから、おれもお前と一緒に行かせてもらうぜ」
「馬鹿なことを言うんじゃない。面白半分で同行してもらっては困る」
反論してきたジャロに「あのなあ」とマルコは呆れ顔になって、
「ジャロ、おまえ、マオの家が何処にあるのか知ってるのか?」
あ、と貴族の少年は自らのミスに気づいた。ジンバ村にはよく出入りするようになっていたが、何処に誰が住んでいるのか、詳しい位置関係までは把握していなかったのだ。
「だろ? だから、おまえにはおれの助けが必要、ってわけさ」
得意満面のマルコの顔を見ながらジャロは「ううむ」と唸ってから、
「致し方ない。心ならずではあるが、助力を頼むことにしよう。一緒に来てくれ」
「へへん。そうこなくっちゃ」
がしっ、と固く握手する少年たちを見ながら、
(どうしてこうなっちゃうのよ)
クロエは頭を抱えてしまう。自分と年齢は同じなのに、どうしてこの子たちって「ガキ」なのよ、と不満でいっぱいの少女の胸の内も知らずに、
「そうと決まれば早速村へと向かうことにしよう。行くぞ、マルコ」
「おうともよ。必ずミケを助けて帰ってくるからな!」
かくしてジャロ・リュウケイビッチとマルコ、2人の少年は避難場所を脱け出して無人のジンバ村へと向かうことになった。最強の女騎士セイジア・タリウスといえども彼らの無謀な行動を予測できたはずもなく、既に開始された「ジンバ村防衛戦」において自分たちの存在が勝敗を左右しかねない不確定要素になるとは、当の少年たちが知り得たはずもなかった。
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