第143話 不確定要素(その1)

「はー、まったく生きた心地がしねえなあ」

飲んべえのドラッケがつぶやいたのに、

「あれ、ドラさん、今日は飲んでないのかい?」

木こりのギルミが首を傾げると、「あたぼうよ」とドラッケは胸を張って、

「いくらなんでも、村の一大事に酔っぱらってなんかいられねえからな」

自信満々で答えたのに、

「こいつは珍しいこともあったもんだ」

「ドラさんが酒を切らすなんて、明日は大雪が降るに違いない」

笑い声が暗がりにこだました。村人たちが騒ぎ立てるのに、

「すみません、こんなときにうるさくして」

ハニガンが頭を下げると、「なんのなんの」とパドルは鷹揚に笑みを漏らして、

「こんなときだからこそ陽気にやるべきではないのですかな? 深刻ぶっていても何も変わりはしませんし、いざというときに動けなくなる」

リュウケイビッチ家の執事が余裕たっぷりな態度をとったのに、若い村長は救われた気持ちになる。今、彼らは洞窟の中にいて、村人たちとモクジュから来た避難民たちがこの中に入ってかれこれ数時間が経過しようとしていた。

ジンバ村を多数の賊が襲ってくるのに対抗する作戦を練っていたセイジア・タリウスにとって一番の懸案は、

「みんなを何処かに避難させないといけない」

ということだった。村人を守りながら敵を倒すのは最強の女騎士にとっても至難の業で、いったん村から離れてもらう必要があったのだが、彼女には避難場所の心当たりがなかった。

「そういうことでしたら」

セイから相談を受けたハニガンが考えたのは、ジンバ村の北方の山腹に開いた洞窟へと行くことだった。今は避難民たちが暮らしている土地にはいくつもの洞穴があって、中には相当の長さを誇るものもあった。村長から話を聞いた女騎士が早速見分に向かうと、

「これならなんとかなりそうだ」

中は暗くじめじめしていて、ずっと生活するには不向きだが、一晩を過ごすくらいならどうにかなる、と判断して、ここに避難してもらうことに決めた。とはいえ、わずかな時間であっても住み慣れた集落から離れるのは抵抗があるだろう、と反対する者の説得に乗り出す必要を感じて気が重くなっていたセイだったが、意外にもみんな素直に言うことを聞いてくれたので拍子抜けしてしまったものだった。

「セイジア様のお考えなら正しいのだろう」

というのが村の総意であって、田舎の人々のために一生懸命尽くしてくれた女騎士への信頼が物を言ったことになる。また、村人がセイの提案に賛同したもう一つの理由は、少し前に近くの村が全滅して、その犯人の仲間がジンバ村に魔の手を伸ばそうとしている、という恐怖感だった。明日は我が身、と考えるととてもではないが安穏としているわけにはいかなかったのだ。

ともあれ、村からの避難が予想以上にスムーズに運んだおかげでセイの気は軽くなり、洞窟の中の村人たちにも悲愴感はまるでなく、夜中のピクニックに出かけているような浮わついた雰囲気すらあった。だが、その一方で、ハニガンの心中は穏やかではなかった。

「夜明けまでにわたしが戻らなかったら、みんなと一緒に逃げてくれ」

という金髪の女騎士からの秘密の依頼が若者の気持ちをこの上なく重いものにしていた。セイは夜のうちに決着をつけるつもりなのだろうが、もし戦闘が長引けば敵がこの土地まで捜索してくるかもしれず、いつまでも洞窟にとどまっているのは賢明ではない、というのは彼にもわかった。しかし、

(何処に逃げればいい?)

というのが思いつかなかった。洞窟の中にはかなり遠方へと、隣村の近くまでつながっているものもあるので、そこから逃亡すればいいのかもしれないが、避難している人間の中には老人も子供も少なくなく、賊の追跡を振り切る自信はなかった。結局のところ、

「われわれの運命はセイジア様にかかっている」

というのが村長の中で出た結論だった。「金色の戦乙女」が勝てなかった相手から村人たちが逃れられるはずもない。事ここに至っては、あの美しい騎士と一蓮托生するしかない、と考えると何故かしら清々しい思いになるのが自分でも不思議だったが。そして、もうひとつ、

「ナーガさんはご無事だろうか?」

というのも若い村長が大いに気にしていたことだった。ナーガ・リュウケイビッチ、モクジュから来た少女騎士も今夜村を守るために戦っているはずだった。いや、この洞窟には彼女の家来たちも一緒に避難しているので、ナーガはあくまで自分たちのために戦っているのかもしれなかったが、それでも、村の運命を「よそもの」の手に委ねてしまっているのに、名目上だけのことだとしても集落を治める者として忸怩たる思いを感じずにはいられなかったのだが、

(そうじゃない)

そこまで考えてハニガンは自らの頭の中に浮かんだ思いを否定する。村長として、というのは所詮は建前だ。ハニガンという一人の男がナーガという一人の女性のそばにいたい、というのが真実の感情なのだ。好きな人が危機にあるときに傍にいなくてどうする、と強く思ったが、彼女の近くに行ったところで足手まといにしかならない、というのも賢明な若者にはわかっていた。

(今のわたしがあの人のためにできることは何もない)

無力感に肩を落としながらも、それでも村長としてできることをしなければならない、と前を向こうとするハニガンだったが、この洞窟の中でナーガ・リュウケイビッチを強く想っている者が自分以外にもいる、ということに気づくことはなかった。

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