第145話 女騎士さんvs荒熊騎士団(その1)
雑木林の中でひとつの大きな影が佇んでいた。馬だ。茶色い身体のあちこちに飛び散った白い斑点がいかにも特徴的だ。まるで身じろぎもしないので彫像だと見間違えそうになるが、呼吸のためにかすかに上下する腹がこの馬が作り物でなく生命を持っていることを証明していた。「ぶち」という名を持つこの馬が、いつもならとっくに眠りについている、とうに夜半を過ぎた時刻に何故ひとりだけで狭い木々の間で身を縮めるように立っていたのかというと、
「悪い。待たせてしまったな」
今こうして戻ってきた主人を待っていたからだ。馬の主人は銀の鎧に身を固めていたが、その兜から
「ふう」
溜息と共に兜のバイザーを上げると、白い貌と青い瞳が現れる。セイジア・タリウスだ。アステラ王国にその人あり、と称えられかつ恐れられた彼女の表情は何処かうきうきしているように見えた。
「こんなにいい気分なのは久々だ」
騎士としての正装を纏ったのが「久々」なら、本格的な戦闘に臨むのも「久々」だった。初陣を飾った13歳の頃からいつもそうだ、とセイは思い返す。戦いが怖くないわけではないが、それ以上にわくわくしてしまい、笑顔が止められなくなってしまうのだ。
「普通にしていればちょっとしたお嬢様として通るのに、中身は生まれながらの猛者と来ている」
厄介な性格だな、と既に天に召された上官に呆れられたのも今となってはいい思い出だと感じられた。
「
愛馬に説明してやるつもりなのか、セイは敵情を偵察した結果を語り出した。騎士団長にまで上り詰めてから単独で秘密行動をするのは控えていたので(彼女自身はやりたかったのだが、副長のアリエル・フィッツシモンズにこっぴどく怒られるので出来なかった、というのが正しい)、この偵察も「久々」のものと言えた。「ぶち」を置いて、ジンバ村の西方にある開けた平地(そこに敵が集結するのもセイは予想済みだった)まで出かけ、兵士たちが陣を構えているのをしっかりと確認していた。
「敵は総勢100人。士気は旺盛なれど、規律に若干の緩みが見て取れる」
それも仕方ないか、とセイは苦笑いする。山奥の小さな集落を攻め滅ぼすには十分すぎる人数であり、加えて彼らは今夜戦うつもりはなく、村を直接襲うのはアステラ王国の国境警備隊で、彼らの役割は万が一のための備えに過ぎないのだ。気が引き締まらなくても無理はない、と思われた。
「これだけの大人数を用意してくれたところを見ると、敵の親玉はわたしをそれなりに評価してくれているらしい」
光栄だ、と微笑む彼女の表情に皮肉めいたものは見当たらない。敵が強ければ強いほど闘志を燃え上がらせるのが「金色の戦乙女」なのだ。さらに、
「マズカ帝国荒熊騎士団」
セイは敵の正体を看破していた。荒熊騎士団。巨大な
「よりによって嫌なやつらが来たものだ」
まかり間違っても村には近づけられない、と女騎士は籠手を装着した拳を握りしめる。大切なみんなを守り抜こう、と今一度心に決めてから動き出す。ぼやぼやしているわけにはいかなかった。後方に控えた敵勢を殲滅してから、村へとって返し、国境警備隊に立ち向かうつもりだった。村の守りは「影」に任せてあるが、あの腕利きの刺客でも「双剣の魔術師」ヴァル・オートモとその配下を単独で相手にするのは容易ではなく、援護が必要だと見込んでいた。1人で100人を打倒してもさらなる戦いが待ち受けていることになる。すなわち、この夜のセイジア・タリウスにはかなり難度の高いミッションが課されていたわけだが、
(よくあることさ)
当の彼女自身は平気な顔をしていた。楽な戦いなどあるはずもないのだ。大変だ、と嘆いたところで始まらない。勝たねばならない戦いなら勝てばいいことだ、と持ち前の楽天的な性格のおかげなのか、あまり深刻になることもなく、敵陣に近づくべく愛馬にまたがろうとして、
「おや?」
異変に気づく。どうしたことか、「ぶち」の身体がいつになく熱を持っているではないか。それだけでなく、かすかに震えているのも女騎士は感じ取っていた。
(怖くねえ。怖くなんかねえ)
「ぶち」は叫んでしまいそうになるのを堪えるのに必死だった。人語を解さない「彼」はどうしてこんな夜中に林の中に連れてこられたのかわからない。しかし、馬ならではの野生の勘で、これから何事かが起ころうとしているのを感じ取っていた。おそらくとても恐ろしいことが起こって、たくさんの命が失われ、もしかすると自分も死んでしまうかも知れない。そう思うと平然さを保つことはとてもできなかった。並外れた巨体をしているとはいえ、まだ一歳になったばかりの、精神年齢も人間で言えば思春期に達した程度の未熟な馬にとって、いきなり戦場へと赴くのはあまりにも苛酷だと言えたが、
(おれはこの世で一番強いんだ。誰にも負けやしないんだ)
そんな風に心から信じ込んでいた「ぶち」にしてみれば、何かが起こる前から勝手に怯えてしまっている自分というものがたまらなく情けなく思えてならず、悔し涙がこぼれそうになったそのとき、
(え?)
「ぶち」のたくましい首にセイジア・タリウスの両腕がまわされ、その感触があまりにも優しかったので、若い荒馬は驚いて息を呑んでしまっていた。
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