第135話 暗夜の葬送曲(その3)

吟遊詩人が明確に敵対の意思を示して来ても、シェリダンは腹を立てたりはしなかった。50人もの戦士たちを前にして目の見えない優男がたった一人で何を出来るというのか。しかも「あなた方ごとき」と来たもんだ、と向こう見ずな若者に噴き出すのをこらえながら、

「冗談は程々にしてさっさとどくんだ」

と言おうとした。あまりにも力の差がありすぎて、本気になるのも大人げなく思ったからだ。熊がまとわりついてくる虻を爪で引き裂こうとしないのと同じことだ、と部隊を率いる者にふさわしく弱者に対して寛大な態度を見せようとしたのだが、

「おかしら、おれらが片付けますから」

「こんなやつに関わっていたら夜が明けちまう」

その思いは部下に伝わっていなかったらしく、馬から降りた2人の騎士がカリー・コンプと名乗った青年に向かってずかずか近づいていく。

(「おかしら」はやめてくれ、って言ってあるんだが)

盗賊じゃあるまいし、と苦虫を噛み潰しながらも、シェリダンは2人を止めようとはしなかった。騎士団の進軍を阻む人間は問答無用で排除されても仕方がない、という「切り捨て御免」とでも呼ぶべき不文律が大陸各地には存在していて、そのルールに従えば只今の歌うたいの行動は命を奪われても文句を言えないものだと考えられたからだ。適当に痛めつけるくらいで十分だが、加減を知らない気風の荒熊騎士団の団員がそんな配慮もできるはずがない、と部下の蛮行を黙認しかけていた右翼長だったが、

「ぐげっ!」

目の前で展開されたのは意外な光景だった。なんと、襲い掛かろうとしていた騎士の一人の脳天を、カリーが隠し持っていた杖でしたたかに打ち据えたのだ。兜をかぶっていてもダメージは重く、打たれた男はがっくりと膝をつく。

「てめえっ!」

予想外の攻撃に残ったもう一人は激昂して詩人に駆け寄ろうとするが、

「らっ?」

頭に血が上ったおかげで注意散漫になった両足を杖で払われて、仰向けに転倒してしまう。そして、

「ごぼっ!」

横倒しになった頭部を思い切り踏みつけられて意識を失った。

「舐めるんじゃねえっ!」

ようやく回復した騎士がカリーに飛び掛かろうとする。しかし、歌うたいが両手に握った杖の一端を男が装着している鎧の胸部に軽く当てると、

「おわっ?」

あろうことか、騎士の身体が長い棒にからめとられたかのように宙へと浮き上がった。そして、カリーが杖を、ぶん、と大きく振ると、

「おおおおおおおおおっ!」

襲撃者は地面と平行にライナーで勢いよく飛んでいき、森の中へと姿を消した。どすん、と鈍い音が聞こえてきたので、木の幹にでも激突したものと思われた。

(ほう。目が見えないのになかなかやる)

1分もかからずに2人を始末してのけた若者にシェリダンは感心する。

「なるほど。大口を叩くだけのことはあるようだ。それほどの杖術の使い手、わがマズカでもそうそういるものではない」

青年が武術をかなり高いレベルで修めているのを戦争の専門家としてしっかり見抜いていた。

「お恥ずかしい限りです」

謙遜して頭を下げたカリーに、

「だが、それにしたところで、おまえの試みが無謀だということは何も変わらん。いかに腕が立とうと、これだけの軍勢を止めることなどできはしない」

右翼長から余裕が消えなかったのは、50人いるうちの2人を退治したところで大勢は変わりはしない、と考えていたからだ。只今の歌うたいの行為も、所詮は大海に落ちた一滴と同じかそれ以下のはかないものでしかない。

「おまえの腕に免じて、今なら見逃してやってもいいが、それともまだ棒を振って無駄な抵抗を続けるつもりか?」

シェリダンが嘲弄を込めながら言い放つと、「ああ、いえいえ」とカリーはターバンの上から頭を掻きながら、

「今お目にかけたのはほんの余興です」

あっさりと言ってのけてから、

「わたしの本職はあくまで歌うたいでして」

杖をしまいこんでから楽器を抱え直し、

「今から歌でみなさんを足止めしよう、と考えています」

一瞬の静寂の後に夜の森に笑いが爆発した。男たちの野太い哄笑が空気を震わせ枝葉を揺らし、「こいつは傑作だ」とシェリダンは笑いすぎて目に滲んだ涙を籠手で拭った。

「わたしの話がそんなにおかしかったですか?」

状況を理解できていない様子のカリー・コンプのきょとんとした表情を見て再発しかけた笑いをこらえながら、

「おかしいに決まっている。どうやって歌で軍隊を足止めしようというのだ。馬鹿馬鹿しすぎて、開いた口が塞がらない」

こいつ、本当の職業はコメディアンか道化師なんじゃないか、と思いながらも別動隊のリーダーは今度こそ進軍を再開しようと心に決める。とんだ三文芝居に巻き込まれたものだ、と思いながら馬を進めようとする。歌うたいがどかないのであればそれでも構わない。蹴散らしてくれる、と心が決まりかけたところへ、


ぽろろん


またカリー・コンプが弦を爪弾いた。とても美しい音色なのはさっきと同じだが、今度のそれは聞く者の心胆を凍てつかせる響きだった。人跡未踏の極地に吹く風のように、生命の熱を拒絶する絶対零度の音楽に、シェリダン以下荒熊騎士団の騎士たちから戦へと向かう高揚感は完全に消え失せ、進撃を再開しようとする気もなくなってしまっていた。

「こちらの言っていることを今一つおわかりになられていないようなので、もう一度お伝えしますが」

吟遊詩人の声も寒々しいものになっていた。

「今からわたしは歌であなた方を足止めします。これは嘘でも偽りでもありません。わたしのを今夜だけ解放することに決めたのです」

せいぜい覚悟することです、と「楽神」と呼ばれる詩人は禁断の舞台の幕を自ら上げようとしていた。







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