第134話 暗夜の葬送曲(その2)
見事なものだ、と芸事には疎いシェリダンも突然現れた歌うたいの演奏に拍手を惜しまなかった。もっとも、籠手をはめていたおかげで、がしゃんがしゃん、と金属音しかしなかったのだが。そうだ、褒美をとらさなければ、と懐から金貨を一枚だけ取り出して(シェリダンは
「ひとつお願いがあるのですが」
向こうの方から話を切り出していた。見るからに身分の低い青年が騎士に頼みごとをするなどもってのほか、といつものシェリダンなら思うはずだったが、
「こちらに出来ることであれば、聞いてやらないでもない」
珍しく寛大な気分で答えていた。素晴らしい歌声を聴かせてもらったのだ、それなりの対価を支払わなければならない、と心の何処かで感じていたのだろう。荒熊騎士団右翼長の答えを聞いた歌うたいは、それでは、と小さく頷いてから、
「今すぐ引き返してはもらえないでしょうか?」
あまりにも思いがけない言葉にシェリダンは目を剥き、背後からどよめきも聞こえた。部下たちもこの会話に聞き耳を立てていたようだ。相手の動揺を知ってか知らずか、歌うたいは小さく息をついてから、
「あなた方がこれから何処へ向かうのか、そしてそこで何をしようとしているのかはわかっています。それは誰にとっても不幸にしかならないと思うのです」
だから、今すぐ引き返した方があなた方のためなのです、と青年はつぶやく。力を籠めなくても、彼の美声は集団の最後方までちゃんと届いていた。その一方で、
(どういうことだ?)
シェリダンは混乱していた。今夜の作戦は極秘のはずなのに、どうしてこの吟遊詩人は知っているのか、と考えてから、あることに気付く。自分は騎士に向いていない、と思ってはいても、そこはマズカ帝国の騎士団のナンバーツーにまで出世しただけあって、彼はそれなりに優秀な男だったのだ。だから、
「セイジア・タリウスの差し金で、おまえはここまで来たのか?」
と訊ねた。彼らがこれから向かうはずのジンバ村とかいう集落にアステラ王国が誇る最強の女騎士が滞在しているというのは、シェリダンも当然知っていた。
「まあ、そんなところですかね。わたしとしてはあまり気が進みませんが、あの方に言われたら聞かないわけにもいきませんので」
むう、とシェリダンは唸った。盲目の青年を使者に寄越したセイの意図は測りかねたが、それ以上に問題なのは、彼女がこちらの作戦を知っている、ということだ。そうなると、アステラ王国国境警備隊や荒熊騎士団の本隊に対しても何らかの策を講じているに違いない。一刻も早く知らせるべきで、そのためにもこの別動隊も村へと急いだほうがいい、と右翼長は頭の中で結論付けていた。
「おまえ、名は何と言うのだ?」
薄汚れた寛衣を着た青年に訊ねると、
「申し遅れました。わたしはカリー・コンプという者です」
頭を下げながら名乗ったが、その名を聞いてシェリダンだけでなく誰も反応しなかったのは、荒熊騎士団全体に音楽への無関心が蔓延していたことの現れであり、一人でも彼の正体を知っていれば、この後の展開も少しは違ったものになっていたかもしれなかった。そうか、と平凡な風貌の騎士は頷いてから、
「カリーよ、こんな夜中にひとりでわれわれのところまで来た心掛けは神妙ではあるが、おまえの頼みは聞けない。おまえも知っているなら話は早いが、われわれは偉大なる皇帝陛下の命令を受けて作戦を実行している最中だ。わたしの一存で止めるわけにはいかないのだ」
「その作戦とやらで、何が起こるかは当然ご存じのはずですよね?」
吟遊詩人の口調には明らかに非難が含まれていたが、
「いかなる結果が起きようとも、命令を果たすのが騎士という者だ」
シェリダンは取り合わず、歌うたいに交渉を任せたセイジア・タリウスを嘲笑いたい気持ちになっていた。障害を抱えた人間を見れば同情心が湧くとでも思ったのだろうか。見くびられたものだ、とかえって反発心を起こした騎士は、
「わかったのならもう下がれ。おまえだけは見逃がしてやる。危ない目に遭わないうちに早く逃げた方がいい」
非情になりきれない中年男は敵の使者を傷つけることなく追い払おうとするが、
「やはりこうなってしまいますか」
カリー・コンプは大きく肩を落としただけで、その場から一歩も動こうとはしなかった。しばらく待っても微動だにしなかったので、
「おい、どかないならこのまま突っ切るぞ。馬に踏み潰されてバラバラになりたいのか?」
苛立ちながらシェリダンが叫ぶと、目の見えない若者は溜息をついてから、
「やれるものならやってごらんなさい」
挑みかかるような調子で言葉を返してきた。
「なんだと?」
色をなして怒鳴った騎士に向かって、「おや、聞こえませんでしたか?」とからかいを込めて言ってのけてから、
「あなた方ごときに、わたしをどうにかできるのならやってごらんなさい、と言ったのです」
カリー・コンプは視力が失われた2つの眼で居並ぶ戦士たちを力強く睨みつけた。
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