第133話 暗夜の葬送曲(その1)

ジンバ村攻略に乗り出したマズカ帝国荒熊騎士団は、団長ザイオン・グリンヴァルトおよび総勢100人余りの本隊が村の西方に陣取り、村を直接攻撃するアステラ王国国境警備隊の備えに回る一方で、2つに分かれた各50人ずつの別動隊が南北から集落に迫り逃走経路を遮断する役割を果たすことになっていた。このうち、北から接近しつつあった左翼長マクスウェル率いる部隊が「蛇姫バジリスク」ナーガ・リュウケイビッチと交戦した経緯は今まで書いてきた通りだが、もうひとつの別動隊もほぼ時を同じくして、南方から村を目指して徐々に進軍していた。しかし、軍団の先頭に立つ右翼長シェリダンの心境は晴れなかった。

(なんでこんなことをしなきゃいけないんだか)

そう思いながら、この夜何度目かの溜息をついてしまう。同盟国であるアステラにひそかに侵入して、鄙びた村が滅びるのを見守るのが今回の任務であったが、たとえ何らかの罪はあったにせよ、一般人を裁判にもかけずにいきなり抹殺してしまうとは、騎士として、という以前に、人間としてまっとうな行為とはとても思えなかった。とはいえ、皇帝直々の命令とのことなのでもちろん逆らうわけにもいかなかった。

(そもそも、おれって騎士には全然向いていないと思うんだわ)

先祖代々騎士の家柄に生まれついたおかげで「家業」を継ぐ羽目になったわけだが、シェリダン自身は体力面でも精神面でも平凡そのもので、戦場で勇猛果敢に駆け回るよりも薄暗いオフィスで算盤を弾いている方がずっと似合う男だった。好きでもないうえに資質に合わない職業にならざるを得なかっただけでも不幸だというのに、帝国が誇る八大騎士団のうち、最も野蛮な気風を持つ荒熊騎士団に配属されてしまったのもまた不幸だった。

(せめて大鷲か銀狼か幻鯱だったらまだマシだったのに)

騎士にならなければ犯罪者になっていたはずの反社会的な輩の群れに投げ込まれた小市民的な感性の持ち主はずっと生きた心地がせず、「早く馘首クビにしてくれ」と日々願っていたのだが、彼の願いとは裏腹に、団には珍しい堅実な人柄と事務能力の高さを団長のグリンヴァルトに見込まれ、とうとう右翼長にまで出世してしまっていた。マズカ帝国の軍制では団長の下に「左翼長」「右翼長」がそれぞれ就く旨が定められていたので、つまりは他国における副隊長、ナンバーツーの地位に上り詰めたわけである。だが、

(ちっともうれしくない)

なまじ出世してしまったために退役はおろか転属の願いも受け付けられそうになく、さらには、

「あの人、荒熊の右翼長なんですって」

数々の戦争犯罪で悪名高い騎士団の中枢を担う人間として、彼もまた帝国の市民から鬼か悪魔かのように思われていた。残虐行為に及ぼうとする部下をいつも必死で止めていたにもかかわらず誤解されただけでなく、そんな悪評の立った男に嫁ごうとする物好きな女性もいるはずはなく、家庭での幸福も得られそうにないのだから、悲惨という言葉では片付けられないほどに悲惨、というのが現在のシェリダンの状況だった。胃痛は日々激しくなる一方で、頭髪が額と後頭部の両面から足早に撤退しようとしているのも悩みの種であったが、ともあれクソッタレなこの夜が早く終わってくれればいい、と同居している母親(40歳近くなっても彼は実家で暮らしていた)に聞かれれば叱られるであろう下品な語調で考えてから、終わったところでやはりクソッタレな明日が来るだけだ、と気づいてもう一度溜息をついた。

(それにしても静かだ)

静かすぎる、と言った方が正確だろうか、とシェリダンは考える。馬群は快調に走り続けているが、軍用として訓練されているため足音は極めて低くなっている。細い道の左右に高い樹々が立ち並んでいるが、風はそよがず、枝が揺れて葉が擦れる音も聞こえない。まるで動きもしないので影絵のように見える、と感じていた男の耳に、


ぽろろん


という響きが不意に届いた。騎士に不向きだと自覚しながらも、数々の死闘を切り抜けただけあってそれなりに肝が据わっていたシェリダンが一瞬で恐怖のどん底に叩きこまれたのは、その音がこの場に似つかわしくないものだったからだ。彼が今いるのは真夜中の深い森の中だ。だから、鳥がさえずるのも虫が鳴くのもわかる。だが、人気のない辺境の地でに聞こえたにしては、その響きはあまりに美しすぎた。幻聴か、とも思ったが、そうではなく、ぽろろん、ぽろん、とあの美しい音が再び聞こえてきて、右翼長は手綱を引き絞って馬の歩みを止め、彼に続く部下たちも進行を止める。

前から誰かが歩いてくるのが見えた。頭に巻いたターバンと全身にまとった寛衣が夜目に白く映る。男だ。それもとても端正な容貌の、美男子と呼んで一向に差し支えのない若者だが、いかなる理由からなのか、その両目は固く閉じられている。彼は両手に楽器を抱えていた。木製のボディに6本の弦が張られた、大陸全土で広く使われているものだ。

(すると、さっきの音はこいつの仕業か)

シェリダンの推測を裏付けるかのように、若者が楽器を爪弾くと、ぽろろん、とこの世のものとは思えない天上の逸品とでも呼ぶべき妙なる音が荒熊騎士団員たちの鼓膜を震わせる。そして、若者は朗々とした声で歌い出す。


炎のごとき落陽が

遠い大洋わだつみを染めていく

ひとりさすらう歌うたい

寄り添うのはただ闇ばかり

荒野の果てに昇るのは

昨日と同じ太陽か


それは聴く者の脳髄と臓腑を激しく揺さぶり、人生の見方を変えずにはおかないほどの絶唱であった。芸術的な感性とは程遠い荒くれ者たちですら深い感動を覚え、自らがこれから果たすべき役割を束の間忘れてしまったのだから、若者の歌声が一級品であることに疑いの余地はなかったが、仮に賞賛されたとしても、

「それくらいで驚いてもらっては困ります」

彼はさほど喜ばなかっただろう。それもそのはずで、この歌うたいは「楽神」と称されるほどの演奏の名手で、たった今披露したのはほんの前奏曲プレリュードにすぎす、実力の一割もまだ発揮してはいなかったのだ。

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