第132話 「蛇姫」、奮闘する(その7)
(ガダマーはよくやってくれた)
ナーガは金の瞳を輝かせて笑う。背中に刺さったナイフが深く食い込んでいないのは、村の鍛冶屋が鎧を見事に仕立て直してくれたからだろう。刀身が内臓にまで達していればその時点でアウトだった。とはいえ、危機的な状況であることに変わりはない。左膝の傷がずきずき痛み、流れ出た血が鉄靴の中に溜まってじゃぶじゃぶ音を立てている。そして、いったん排除に成功した敵兵たちが障害を乗り越えて集結しつつあるのが見える。20人から30人と言ったところか。自分の体力が失われていく一方で、相手の戦力は増していく。心が絶望に覆われてもおかしくはなかったが、
(やってやるさ!)
「
「ゆくぞ!」
群れをなす荒熊騎士団員たちに「鉄荊鞭」を思い切り振り下ろす。斜め上から襲い来る死の鋼線を受け止めようと思う者は誰も存在せず、うわあ、ぎゃあ、と戦う前から遁走を測る。一瞬の後、大音響とともに倒木が金属の鞭によって破砕されたのを見て、兵士たちは自らの怯懦をかえって誇りたくなる。中途半端な勇気を出して防ごうとしたなら、今頃肉体は跡形もなく塵と化していたはずだ。しかし、ナーガ・リュウケイビッチの攻勢はそれでは止まらず、吹き荒れる鋼鉄の嵐から逃れきれなかった騎士たちの腕や脚やそれ以外の身体の何処かしらがちぎれて宙を舞う。たったひとりの少女によって殺戮が引き起こされているのを、
(いい気になるんじゃない!)
荒熊騎士団左翼長マクスウェルは怒りに燃えた目で睨みつける。楽なはずの任務をぶち壊しにされたことにも憤っていたが、それ以上に顔を傷つけられたのに激怒していた。自分は誰よりも美しい、と信じていた男にとって、一生消えないであろう傷をつけられたのは絶対に許しがたいことだった。もっとも、のっぺりした輪郭に剃刀で切れ目を作ったような目と口、といった容貌の男がナルシシストだというのは端から見れば滑稽でしかないのだが、それはさておいても、「マック・ザ・ナイフ」と呼ばれる短刀使いは少女騎士が逆襲に転じた現状にあっても尚もおのれの勝利を確信していた。反撃してきたのは予想外だったが、「蛇姫」が甚大なダメージから回復できたわけではない。実際、今の彼女の攻撃は破壊力こそ相当なものだが的確さには欠けていて、自らの行動を制御するだけの冷静さを欠いているものと思われ、白銀の鎧をまとった騎士にもまるで注意を払っていない。隙だらけ、というよりも隙しかない、という無様さだった。ふん、と愚かな小娘を哀れむかのように小さく息を吐いてから、
(今度こそ正真正銘のとどめです!)
ナーガの横顔を狙ってナイフを投げる。手ごたえは十分で、少女の眼窩を銀の刃が抉ったのを幻視したほどだったが、
「は?」
マクスウェルが、ぽかん、と口を大きく開けて間抜け面を曝したのは、事態が彼の思い通りにはいかなかったからだ。「蛇姫」の命を断つはずの白刃は、彼女の美貌まで届くことなく空中で静止していた。何が起こっているか理解できない騎士に向かって、
「これを待ってたんだ」
ナーガ・リュウケイビッチは、にやり、と笑う。浅黒い肌は汗にまみれていたが、それでもなお、いや、だからこそ彼女はいつもよりも美しく見えた。
「おまえのようなこすいやつは、また必ず不意打ちを仕掛けてくるものと思ってたんだ」
嵌められた、と歯噛みする「マック・ザ・ナイフ」の眼に、「鉄荊鞭」にからめとられた愛用の刃物が見えた。飛来するナイフを鞭でキャッチするとは、なんたる超絶技巧か。
「馬鹿な! 馬鹿な!」
逆上して連続攻撃するマクスウェルだったが、
「やめておけ。それはもうわたしには効かない」
ナーガは冷静に言い放つ。といっても、男の技を見切ったわけではなく、「来た」と感じた瞬間に身体が自然に動いてかわせるようになっていた、という話だ。「マクスウェルのナイフはナーガには二度と当たらない」と契約で取り決められたかのように、無意識かつ自動的に攻撃を回避していくが、あきらめきれない荒熊騎士団左翼長は隠し持った短刀を続けざまに投げつけてくる。
「返すぞ」
そう言いながら、ナーガは「鉄荊鞭」を頭上で何度か旋回させて勢いをつけてから、先端で捕えていたナイフを解き放った。そして、
「ごぶっ!」
返却されたナイフが持ち主の胸を刺し貫く。吐血しているところを見ると、かなりの深手だと見受けられた。
「痛いっ! 痛いっ! 畜生っ!」
サディストは地面をのたうち回る。他人を痛めつけるのは好きでも、自分が傷つけられるのは御免蒙る、というのは人間の本性の一つなのかもしれなかったが、
(わたしの方がずっとたくさん怪我をしてるんだぞ)
男にさんざんいたぶられたナーガは呆れてしまう。そして、やれやれ、と肩を落としてから、
「急いで治療すれば致命傷にはならないだろう。今すぐここから離れて、マズカに帰るんだな」
もう二度とジンバ村に近づくんじゃない、と七転八倒するマクスウェルに背を向けてふらふらと立ち去ろうとする。
(おのれ、おのれ)
だいぶ年下の娘に見下された苛立ちが「マック・ザ・ナイフ」の全身を支配し、既に勝負がついていると思い込んでいる彼女の迂闊さを嘲笑う気持ちが続けて湧き上がってくる。
(馬鹿め。おれを舐めるんじゃない、小娘が)
がらあきになった背中に短刀を投げつけようと右手を挙げたそのとき、ギャルギャルギャル! と甲高い音を立てて何かがマクスウェルの顔面に巻き付いてきた。
「そう来ると思ってた」
騙し討ちを読み切っていたナーガ・リュウケイビッチは溜息混じりに白銀の騎士の頭部を幾重にも取り巻いた「鉄荊鞭」を握る手に力を込めた。すると、
「あがあああああああっ!?」
マクスウェルが絶叫したのも無理はない。大蛇を思わせる強烈なパワーで締め上げられているばかりか、鞭の表面に付けられた棘が額を頬を顎を鼻を唇を眼球を後頭部をつむじを穿ってきたのだ。たちまち男の頭部は穴だらけのスポンジのように変貌していく。
(まさか、これは、そんな)
「蛇姫」ナーガ・リュウケイビッチは恐るべき技を使う、というのは他国でも知られていた。それを不覚にも忘れていた男は、やめて、とめて、と両足をジタバタ動かしながら手で鞭を顔から引き剥がそうとするが、確定済みの運命の進行を止めることはできない。そして、
「わが妙技、とくと味わうがいい」
金色の瞳の美少女は激した様子もなくつぶやいてから、マクスウェルを拘束していた鞭を一気に解き放った。べりべりべり、と聞くに堪えない音が深夜に響き渡る。
「え?」
マクスウェルは呆然とする。顔を縛り付けていたものがなくなって、痛みも消え失せていた。なんだ、大したことないじゃないか、驚かせやがって、と「マック・ザ・ナイフ」はとてもすがすがしい気分になる。真夏らしくない涼しさを感じていると、
「左翼長おおおおっ!」
「ひえええええっ!」
自分を見た部下が腰を抜かして後退っていくではないか。こらこら、それが上官に対する態度か。この美しい私を化け物みたいに見るんじゃない、と思ってから、妙なことに気付く。さっきまでは涼しかったのが、今では冬のように寒くなっていた。まるで氷に直に触れているかのような、と思ってから、ふと顔に右手をやってみた。血が流れていないか気になったのだが、何も感じなかった。おかしい、と思ってもう一度触れると、こつん、という音がした。なんだこれは。固いものと固いものがぶつかったときの音じゃないか。人の身体から出るものじゃない、と思いながらもう一度両手で触ったその瞬間、マクスウェルはようやく真相にたどり着いていた。
「あああああああああああっ!」
白銀の騎士の顔面は頭蓋骨が完全に露出し、目ばかりがぎらぎら光る髑髏に成り果てていた。これこそが「
「ああああああっ! あああああああっ! あああああああっ!」
叫んだところで何も変わらないのはわかっていても、叫ばずにはいられない。瞼もなくなったので目を閉じることもできなくなった騎士は絶望に身を震わせながら、
「ぐおおおおお!」
胸に刺さった短刀の柄を左右の手で強く握りしめると、そのまま我が身により深く喰い込ませた。もうこれ以上生きていたくはなかった。このような惨敗を喫して、醜い面相を晒してまでこの世に留まりたくはなかった。そう思い詰めたマクスウェルに、ぶつり、と心臓をナイフの先端が貫いた音が聞こえ(耳は無くなっていたが聴覚は残っていたようだ)、やっと死ねる、と思いながら、どうっ、と音を立てて荒熊騎士団左翼長は前のめりに倒れ、そのまま息絶えた。卑劣な男だったが、それでも最後は騎士らしく振舞ったということなのか、とナーガも粛然たる思いにとらわれる。
「貴様ぁっ!」
「よくも左翼長を!」
リーダーを失っても騎士団の戦意は衰えを見せず、逃げ去る者はいなかった。忠義に篤いのは感心なことだが、わたしにとっては都合が悪い、とナーガは大きく息を吐く。足元はふらつき、目もかすんできた。しかし、だからといって、今更後へ引けるはずもない。
「この先は一歩も通さん!」
ここが命の捨て場所だと心得た美しい騎士は声を限りにして叫ぶ。全員まとめて地獄へ道連れだ、と背と脚を深く傷つけられながらも猛々しく笑ってみせてから、迫り来る敵軍に向かって一人駆け出した。苛烈な戦闘をくぐりぬけているうちに、「蛇姫」と呼ばれる少女の内側に眠る巨大な龍が目覚めようとしていたが、今という瞬間を懸命に生きていることだけに集中しているナーガが自らの変化に気づくはずもなかった。
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