第125話 先制攻撃(その4)

目の前が開け、遠くに村が見えた。深夜なので明かりはなく、輪郭だけどうにか判別できる家屋が、ヴァル・オートモに机上演習で用いるミニチュアの模型を連想させたが、これから行われるのはまごうことなき実戦なのだ。世間の瑣事にとらわれまいとする、ノンシャランを気取る男でも昂りを感じずにはいられず、「わたしにも戦士としての本能があるらしい」と噴き出しかけて、後に続く国境警備隊の隊員たちに村に入ってからの指示を出そうとしたまさにそのとき、

ひゅんっ!

甲高い音を立てて何かが前方からかなりの速度で飛んできた。

(えっ?)

夜中に鳥が飛ぶはずもないから蝙蝠だろうか。こんな山奥だから有り得ないことではなかろう、と甘いマスクの騎士は考える。「今のは一体何だったんだろうね?」とすぐ隣にいる副隊長に笑いかけようとして、

「は?」

オートモの表情が笑いと戸惑いの中間で静止した。国境警備隊のナンバーツーの額に何かが突き立っているのがわかったからだ。眉間に命中した長い物体が男の頭部を貫通し、後頭部からは先端が突き抜け、鏃から黒い血を滴らせている。

(矢だって?)

飛来したものの正体を知り警備隊長が愕然としたのと同時に、頭に矢羽がめりこんだおかげで鬼のような外見になった副隊長は白目を剥き悲鳴すら上げずに、どたり、と落馬する。もちろん即死だ。突然の惨劇に快走していた集団も停止せざるを得なかったのだが、そこへ、

ひゅん! ひゅん! ひゅん! ひゅん!

またあの音がして、

「ぐ」

「ご」

「いっ」

「ぎゃあ」

後続の4人に矢が直撃していた。頭部、頸部、胸部、眼窩。部位は異なってもいずれも急所で、彼らもまた生命を絶たれ、地面へと転落し、忠実な部下として副隊長の後を追う羽目になる。

(なんだ? これは一体どういうことなんだ?)

あっという間に5人の部下を失ったオートモの頭の中は純白と化し、だらだらと汗を流すより他に何もできずにいたのだが、そんな彼の耳に飛び込んできたのは、

ひゅんっ!

災いをもたらす禍々しいあの音だった。さらに、

ひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅ!

辺りに響き渡る音は耳を聾せんばかりとなり、そればかりか、

「ああっ?」

漆黒の夜空から無数の矢が自分たちめがけて飛来してくるのを見た瞬間、

「敵襲だ!」

ヴァル・オートモはようやく何が起こっているのかを悟り叫んでいたが、判断のタイミングが数瞬遅れたがために、

「うっ」

「ぎっ」

「ぐはあ」

「ぜあっ」

「ぶほ」

狭い山道で動きを止めていた軍勢は格好の標的となり、隊員たちは次々と命を落としていく。

「くそ!」

左右の腰から二つの剣を抜き払い、雨霰のように降りしきる矢を切り捨てていくその姿は「双剣の魔術師」と呼ばれるだけのことはあったが、隊長ほどの技量を持たない部下は、

「んぐっ」

「な!」

「いええええ」

身体の何処かしらを貫かれて、一瞬あるいは緩慢な死に見舞われ、命を落とさずに済んだとしても戦闘不能に陥り、辺境の大地にその身を横たえていく。

「馬を降りて、森に入れ!」

遅れたとはいえ正確な対応をしたあたり、オートモは愚将ではないのだろう。騎乗したまま前進もしくは後退を選べば、引き続き矢の猛攻に晒されることになる。とりあえず木の陰に隠れて身を守ることを最優先にすべきだった。隊長に続いて部下たちも深い森に飛び込もうとするが、

「むっ!」

「うご」

間に合わずに絶命する者も何人かいた。そして、気が遠くなるほどの時間が経ち、ようやく凶運を呼び込んできたあの音が聞こえなくなった。ただ、それはあくまで彼の体感でしかなく、実際には数分の間に起きた出来事でしかないような気もしていた。

(どうしてこうなった?)

藪の中に身をうずめながら、ぎりり、とオートモは歯を強く食い縛る。樹々の間からは道を埋め尽くした騎士の死体が見えた。いちいち数える気にもなれないが、10人以上の部下が死んだのは確実だろう。主を失った馬が所在なさげに立ち尽くし、砂利道に突き刺さった数え切れないほどの矢が死の花壇を作り上げている。

(そう、矢だ)

何者かが弓矢で自分たちを攻撃してきたのはあまりにも明らかだった。しかし、一体何処から狙って来たのか、それがわからない。彼の眼には犯人の姿を捉えることはできなかったが、少なくとも近距離から狙われたわけではない、というのはわかっていた。矢の飛んできたコースから推測すると、かなり離れた場所からの狙撃だろう、と考えたところで、

(まさか)

一つの可能性に思い当たったオートモは慄然とする。昼間に訪れた際にジンバ村周辺の地形は記憶していたが、村のはずれの小高い丘の上にかなり大きな樹があったのを思い出したのだ。あそこに登れば西から集落にやってくる集団はよく見えるだろう、と考えてから、

(ありえない)

とすぐに否定していた。その樹から彼らの現在地点を狙撃することなど不可能だと思えたからだ。強弓の使い手であれば届かせることだけはできなくもないだろうが、正確に狙いを付けることはかなり難しいはずだった。だが、見えざる敵が高難度の技をやってのけたからこそ、国境警備隊員たちはあえなく死んでいったのだ。人の領域を踏み越えた超人のみがなしえる所業だ、と放心するヴァル・オートモの脳裏に閃くものがあった。

(「魔弾の射手」なのか?)

アステラ王国が危機に陥った際に現れる正体不明の弓矢の名人の存在を思い出していた。謎に包まれた伝説的な人間にしか成し得ないはなれわざだ、と思ってから、

(何故われわれを狙ってきた?)

「魔弾の射手」が実在したとして、それが「射手」の仕業だったとしても、自分たちを攻撃してきた理由がわからなかった。王国の国境を守る警備隊をどうして標的としてきたのか。

(セイジア・タリウスが奴を呼んだというのか?)

最強の女騎士が最高のスナイパーと知り合いだという話は聞いたことがない。

「あのお嬢ちゃんにもたったひとつ泣き所があるらしい」

というのはかつて天馬騎士団でささやかれていた噂だった。剣と槍を手足以上に自由に使いこなし、素手での格闘においても無類の強さを誇っていたセイが、どういうわけか弓矢だけは手にしないところから出た憶測だったが、金髪の美少女は弓術を苦手にしている、というのはいつしか定評になって、彼女に打ち負かされた男たちの傷心ブロークン・ハートへのわずかな慰めになっていた、というのを思い出したところで、

(それどころじゃない)

ひとつの深刻な事実にオートモは気づかざるを得なかった。

(タリウス嬢はわれわれが攻めてくることを読んでいた)

だからこそ、村に入ってこようとした集団と交渉することなく、いきなり攻撃してきたのだ。いや、予測すること自体はそれほど難しくはない、と騎士は考える。なにしろ、他ならぬ彼自身がハニガンとかいう若い村長に再度の訪問を通告していたのだ。今夜のうちに押しかけてくるかもしれない、と考えるのはある意味当然かもしれない。つまり、真に恐るべきことは、

(わたしが「敵」だと最初から見抜いていたわけか)

女騎士がかつての同胞をあっさりと見切ったのを知って「双剣の魔術師」は苦笑いせざるを得ない。お人よしの甘ちゃんだとばかり思っていたが、なかなかの肚の座りようだ、と評価を改める必要を感じつつ、

(しばらくは動けそうにない)

作戦を練り直す必要も感じていた。「魔弾の射手」かどうかは不明だが、相手側に弓矢の名人が存在するのは確実なのだ。今も狙われているかもしれず、おいそれと進攻を再開するわけにはいかなかった。それに、副隊長が死に、多くの隊員が戦死または再起不能になった以上、部隊の編成をし直さなければならない。とりあえず現状を確認することだ、と頭を低くしたままで動き出そうとしたオートモが、

「ん?」

違和感を覚えて振り返ると、背中に数本の矢が立っているのに気づき、背筋が凍り付いたかのような気分になる。鎧のおかげで身体に傷はないが、それでも命の瀬戸際にあったことに間違いはなく、

(この辱めは何倍にもして返してやらないとね)

憤怒と復讐心で胸を焦がしながら、男は逆襲のために行動を開始する。しかしながら、敵の先制攻撃により国境警備隊が蒙った損害は甚大なもので、総勢約100人いた隊員たちの半数近くが失われ、ジンバ村を攻め落とそうとするヴァル・オートモの作戦は第一段階から挫折を余儀なくされたのであった。

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