第91話 リボン・アマカリーの帰還(その2)

(老けたわね)

10数年ぶりに再会した叔父を見てリブは真っ先にそう思った。生きている以上加齢は避けられないことだが、良くない年の取り方をしているとしか思えなかったのだ。全体的に肉がたるみ顔色が暗いあたりは明らかな運動不足で、白髪を染めたのか、髪が茶と金のまだらになっているのは、飼い主に過剰な愛情を注がれた小型犬のようで笑ってしまいそうになる。そんな滑稽な外見の男に、

「貴様が占い師か。よくもまあ、下賤の者が貴族のわたしに会おうなどと吐かしたものだな」

威圧されてもちっとも怖いはずもなく、

「子爵様にはお初にお目にかかります。わたしはリブ・テンヴィーと申す者です」

以後お見知りおきを、と落ち着き払った態度で一礼する。人も立ち入らぬ深い森にある泉にたたえられた水のような清冽さに、様子を見守っていたゲオルグと屋敷の召使たちは思わず息を飲み、子爵もたじろいだ様子を見せる。

「タリウス殿、あなたもあなただ」

「おや、久々にお会いするというのに、いきなりその言われようは残念ですな」

攻撃の矛先を突如向けられてセドリック・タリウスは端正な容貌を曇らせる。「リブのオーラに気圧されたのだろう」と推測できたのでさほど慌てはせず、薄いグレーのスーツの下に白いベストをつけた長身が崩れることもない。

「残念に思っているのはこちらだ。あなたともあろう方が、このようないかがわしい女にたぶらかされるとは、いやはや嘆かわしいことだ」

愛する女性を侮辱されて伯爵が黙っていられるはずもなく、身を乗り出して反論しようとしたが、

「あら、その『いかがわしい女』を子爵様はお気に召したようにお見受けしましたが」

機先を制したリブが蠱惑的な微笑でもって答えていた。

「何を申すか、無礼者め!」

ロベルト・アマカリーは血相を変えて怒鳴りつけるが、周囲から見ても彼の視線が美女に釘付けになっているのは一目瞭然だったので、まるで説得力はなかった。とはいえ、その日のリブがいつにも増して魅力的だったのは確かで、初老の貴族が一目で悩殺されたのも無理からぬことではあった。肩まで伸びたブルネットの髪、大きな目、長い睫毛、紫の瞳、高い鼻、赤い唇。どれをとっても一級品で、縁のない眼鏡も美貌と知性を飾り立てるアイテムとして十二分に機能していた。身にまとった燃えるような真紅のドレスは彼女の勝負服で、その赤さに引き立てられた肌の色は白さを通り越して輝かんばかりに見えて、占い師の気力の充実ぶりを物語っていた。あらわになった肩はなだらかに優美な曲線を描き、天上の美果のように実った胸の上半分も隠されることはなく、2つの球体の間にできた深い渓谷に迷い込みたいと願わない男はいないだろう。それだけでもたまらないのに、深いスリットからちらちらのぞく長い脚がダメ押しのように子爵の脳髄を刺激して、人の目が無ければすぐにでもかぶりついてしまっていたはずだった。全身これセクシーのかたまり、というべき美女の頭には、ちょこん、と頂の尖った帽子がかぶせられていて、いたずら好きの魔女のようなコケティッシュさまでも醸し出していた。つまり、リブ・テンヴィーは無敵状態の完全体となって、実家へと帰還したわけである。

「気づいていないから仕方がないことなのだが」

すぐそばにいたセドリックが小声でリブにささやきかける。

「実の姪に色目を使うのはどうかと思うぞ」

恋人を欲望をあからさまにした目で見られた不快感を滲ませる。

「あら、別に驚くほどのことじゃないわ」

占い師があっさりと答えたので伯爵が戸惑っていると、

「だって、おじさまは子供の頃のわたしも変な目で見ていたもの」

突然の告白に愕然とするセドリック・タリウス。叔父の邪な目つきに危険を感じたのも、少女が家を出て留学することにした理由のひとつだったのだが、

「なあ、リブ。やっぱり、あいつ、殴っていいか? いや、殺した方がよさそうだ」

元より愛する女性の命を狙った男を許すつもりなどなかった金髪の青年は早速行動に移ろうとするが、

「やめて、セディ。あの人にはあなたがそこまでする価値なんてない、って言ってるでしょ」

ぴしゃり、と鞭のような鋭い声でリブは制止し、セドリックもそれに従うしかない。

「しかしだな、に、わたしは納得しているわけじゃないんだからな」

伯爵のやんわりとした抗議に、

「納得してなくても、わたしのやることを受け入れて、そして一緒に付き合ってくれている。そういうあなたがわたしは好きよ」

リブの艶やかな微笑に、セドリックは少年のように赤面する。これからもこうして毎日のように彼女に惚れ直していくのだろう、と気が遠くなるような思いを味わう。

(ええい、昼間から堂々といちゃつきおって)

目の前の男女が愛し合っているのを実感したロベルトは嫉妬のあまり歯噛みする。自分には決して得られないものを若者たちが手にしているのが悔しくてならなかったが、

「いつまでぼやぼやしているのよ?」

背後から聞こえた金切り声に思わず溜息がこぼれる。かつては彼女ともわかりあえていたつもりなのだが、互いの心が通わなくなって長い時間が経過していた。

(あら、おばさまだわ)

新たに登場した貴婦人を見て女占い師の眼が大きく開かれる。ロベルトの妻エレナ、リブにとっては叔母に当たる女性だ。

「こんな連中なんかすぐに追い返しなさい、って言ってあったじゃないの」

しかも、と露出度の高い恰好をした若い女性を憎らしそうに睨みつけて、

「なんてはしたない。ふしだらで破廉恥な女に決まってるわ。そんな売女ばいたがわたしの屋敷に来るなんて。おお、なんておぞましい」

ヒステリーのあまり口もきけなくなってがたがた震える妻を見かねたのか、

「いいから、落ち着きなさい。客の前だぞ」

夫がとりなそうとするが、

「何言ってるのよ! 客の前で鼻の下を伸ばしてデレデレしているのは誰なのよ?」

余計に怒りを掻き立てることになってしまった。彼が美女の虜になっているのはお見通しだったのだろう。

「どうやら夫婦仲は円満とは言えないようですな」

リブとセドリックに同行してきた中年男に話しかけられたゲオルグは無言で頭を下げる。2人の喧嘩は毎日の習慣のようになっていて、止めようとすれば無駄に怪我をするだけなのはわかりきっていたので、使用人たちは誰も動こうとはしなかった。

(なんとも無惨ね)

かつて自分を陥れた夫婦ではあったが、リブは痛ましく思っていた。ロベルト同様にエレナもまた老化していたのだ。夫とは違って体型は崩れてはいなかったが、肥満を恐れてダイエットをやりすぎたのか、外見からはみずみずしさが失われて、実際の年齢以上に老けて見えてしまっている。そのくせ、着ている服は若い娘の好みそうな派手なもので(新しい屋敷と同じピンクだ)、そのミスマッチが余計に惨状を来している次第だった。少なくとも、今の2人が幸福であるようにはとても見えない。姪の命を奪おうとしてまで手に入れた地位によってもたらされたものが、多額の借金と不和でしかなかったことに、かつてのアマカリー家の令嬢は暗然たる思いにとらわれる。

「あんたたち!」

ロベルトに襲い掛かっていたエレナが出し抜けに指差してきて、リブとセドリックは驚く。

「ここはあんたたちなんかが来ていい場所じゃないのよ。さっさと出て行きなさい。出て行かないと警備の者を呼んで痛い目に遭わせるわよ」

きいきい、といきり立つ夫人に、

「奥様、お客様が訪問した理由を一応お聞きになった方がよろしいのでは」

ゲオルグが声をかかるが、

「何言ってるのよ! そんなのわかりきっているじゃない。金をせびりに来たに決まってるわ」

アマカリー夫人が怒りとともに断言するやいなや、

「いえ、それは誤解です」

朗らかな声で入り込んできたのはリブ・テンヴィーだった。あはは、というのんきな笑い声に、諍いによってざわついていた空気は一変する。

「そうじゃありません。わたしたちが今日ここまで来たのは、お金が欲しいからではありません。むしろその逆です」

「逆だと?」

思いがけない言葉に素っ頓狂な声を上げたロベルト・アマカリーの顔を見つめながら、

「はい、その通りです。わたしたちは、あなた方にんです」

女占い師は華やいだ笑顔を見せた。

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