第92話 リボン・アマカリーの帰還(その3)

風変わりな美女が金をせびりにやってきたのではなく、その逆に金を渡しに来たのだと聞かされたアマカリー夫妻は揃って呆けた表情をしていたが、

「その手は食わんぞ」

先に我に返った夫が怒鳴ってきた。

「その手、ってどういうことかしら?」

言っている意味が分からずにリブが首を傾げると、

「『大金が舞い込むチャンスだ』と耳寄りな話を持ち掛けて、こちらをその気にさせたところで、『そのためには少しばかり手数料が要る』と相手から金を引き出し、それを何度も繰り返そうというのだろう。そうに違いない」

完全に言いがかりだわ、と善意を疑われた女占い師は呆れながらも、

「やけに詳しいわね」

思っていた通りのことをつぶやいてみる。子爵の語った詐欺の手口がかなり具体的な気がしたのだ。すると、

「貴様の知ったことではない」

また怒鳴られてしまった。

(子爵殿は以前に金をだまし取られたことがあるんじゃないのか?)

(たぶんね)

甘い言葉に乗せられてさらに借金を重ねる結果になったのだろう、とセドリックとリブがひそひそ話していると、

「何をこそこそ話しておるのか。とにかくそんなうまい話などあるわけがない。この悪党どもめ。警察に突き出してくれる」

激昂するロベルトに「そうよそうよ」と妻エレナも同調する。聞く耳を持たない叔父夫婦に姪は途方に暮れかけるが、

「現物を一度お目にかけるのが一番手っ取り早いのではないですか?」

同行してきた中年男がぼそっとつぶやいたのに、「それしかなさそうね」と溜息をつく。論より証拠というやつね、と心を決めてから、

「あなたたち、申し訳ないけど、馬車から荷物を下ろしてくれないかしら?」

陰から騒ぎをこっそり見物していた使用人の中から、大柄な青年を2人選び出して声をかけた。美女に見つめられた若者たちはたちまち顔を真っ赤にしてから、「はい!」と元気良く返事をすると、客人をここまで乗せてきた馬車に向かって弾けるように駆けて行った。自分たちの命令以上に占い師の言うことに素直に従っている家来の姿に子爵夫妻の表情は最大限に苦り切る。

「うわ、なんだこれ」

「すごく重い」

召使たちは2人がかりで荷台に積まれていた箱を地面へと下ろした。どさっ、と大きな音をたてたあたり、かなりの重量があるものと想像できた。

「ご苦労さま」

リブににっこり微笑まれた2人の青年は、ぽーっ、と頭から湯気を出しながら覚束ない足取りで屋敷の中へ戻っていく。どんな多額のチップよりも有難い対価を貰えた気がしたのだ。

「では、開けますよ」

箱の前に蹲った中年男に向かって、

「お願い」

赤いドレスの女性が頷くと、風采の上がらない男は厚ぼったい掌に握った鍵を錠前に差し込んだ。かちゃかちゃ、と小さな音が聞こえて、

「これが今回お持ちしたものです」

ご確認ください、と頭を下げながら男が蓋を跳ね上げると、「ああっ!?」と玄関に集まった人たちの間から悲鳴とも驚愕ともつかない大きな叫び声が上がった。箱の中は金貨で満たされていた。少なく見ても千枚は下らず、一万枚以上はあるかもしれず、収まりきらなかったコインが2枚、3枚と地面へとこぼれ落ちた。この黄金の塊があればかなりの贅沢が出来るはずで、現在セイジア・タリウスが居住しているジンバ村であれば、村人全員の生活を子孫の代まで100年以上にわたって十二分に賄えるものと思われた(貧しい村人たちはそもそも金貨自体を見たことがなかったのだが)。

「これは一体?」

リブの申し出が虚言でなかったことにアマカリー子爵は愕然とし、腹を空かした野良犬のように舌を突き出したが、

「これだけじゃないわ」

美女の言葉が、夫婦をさらなる混迷へと導く。

「これと同じ箱が、都の銀行にあと十数個あるの。それを全部、あなたたちに進呈したいの」

ひい、と悲鳴を上げたエレナが顔を蒼白にしてガタガタ震え出した。あまりに過ぎた幸運が彼女に恐怖に近い感情を引き起こしていたのかもしれなかったが、

「こんなものを受け取れるか」

ロベルトは大声を上げる。

「あら、どうして? あなたたちにとってもいい話だと思うけど」

財政も厳しいんでしょ? という思いを美しく光る紫の瞳から感じ取ったのか、子爵はむきになって、

「こんな出所のわからない怪しい金などろくなものじゃない。犯罪が絡んでいるに決まっている。おまえたち、わたしを嵌めるつもりだな。そうに違いない」

ぎゃあぎゃあとわめく男の頑迷さに「このわからず屋め」とセドリックは閉口するが、

(まあ、そう考えるのも無理はないかも)

リブは叔父の用心深さに感心してもいた。動物レベルに低下していた知能が人並みに戻りつつある、と褒めているのか貶しているのかわからないことを考えてから、

「安心して。そのお金はちゃんとしたものよ」

宥めるように言ってから、両手を腰にあてて背筋をぴんと伸ばすと、ぶるん、とバストが大きく揺れて男のみならず女の視線もそこに集中する。そして、

「これは先代アマカリー子爵の遺産よ」

「なに?」

きっぱりと言い切った美女に向かってロベルト・アマカリーは絶叫する。そんな馬鹿な。父リヒャルトの死後、残された資産は逐一調べ上げたのだ。隠されたものなどあるはずがない、と思ってから、遺産の額が想定よりもかなり低かったことも思い返していた。もしかしたら、本当に父親の遺した金なのかもしれない、という考えが頭をよぎり、

(しかし、仮にそうだったとしても、今まで何処にあったのだ? 心当たりを散々探し回っても見つからなかったんだぞ)

しかも、何故その金を得体の知れない女が手にしているのか、それもさっぱりわからなかった。混乱に混乱が重なって粗雑な脳味噌が動作不良を起こし、子爵はだらだら脂汗を流しながら目を回しそうになるが、

「ねえ、子爵様」

蜜のように甘いささやきが聞こえた方にふらふらと視線を送ると、

「これに見覚えがあるんじゃないかしら?」

にんまり微笑むリブ・テンヴィーの姿が見え、その手に一枚の封筒が握られているのもしっかりと見えた。

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