第81話 吟遊詩人、勝負に出る(前編)
「今日はご苦労様だった」
セイジア・タリウスにねぎらわれて、
「いえ、そちらこそ大変だったでしょう。料理をたくさん作られたみたいで」
カリー・コンプは椅子に腰掛けたまま頭を下げた。目が見えなくても、手にしたカップの中のコーヒーの熱さはわかる。結婚式がつつがなく終了した後、セイの家まで招かれたのだ。夜になって二次会か三次会が行われているのか、何軒かの家からは騒がしい声が聞こえてくるのを、盲目の代わりに優れた聴覚を持つ青年は感じ取っていた。
「なに、わたしが厨房を担当するのは前々から決まっていたことだが、遠路はるばるやってきたおまえにいきなり演奏してもらうのは少しばかり心苦しくてな。大したお礼もしてやれなくて悪いと思ってる」
いえ、そんなことはありません、と詩人が否定したのは謙遜ではない。美しい女騎士とふたりきりになれたこと、それこそが彼が望む最高の褒美なのだ。
「わたしは音楽には疎いのだが、それでもおまえが前よりも腕を上げたのはなんとなくわかった。何か特訓でもしたのか?」
はあ、とカリーの返事が要領を得ないものになったのは、上達した自覚がなかったからだが、
「強いて言うなら、結婚されたお二組と村のみなさんのために心を込めて歌ったおかげで良く聴こえた、ということはあるかもしれません」
とだけ答えた。
「なるほど。おまえの技術は大したものだと思うが、一番素晴らしいのはその心構えだと思っている。どんな場でも決して手を抜くことがないところは、わたしも見習わなければならないと思っている」
過ぎたお言葉です、と歌うたいは恐縮するが、それにも増して憧れの女性に称賛されて感動のあまり震えてしまいそうになる。
「そういえば、おまえが来る前にシーザーのやつがこの村にやってきたんだが」
「存じております」
いけないな、とカリーは思う。恋敵の名前を聞いた不快感が声に滲んでしまっている。
「フィッツシモンズさんもいらっしゃったそうで」
「ははは。さすが、カリー先生だ。なかなか耳ざとい」
「『先生』はやめてくださいよ」
詩人の端正な容貌が苦々しく歪むのを見たセイは噴き出して、
「悪い悪い。まあ、とにかく、おまえがマズカの皇帝の誘いを断ったらしい、とシーザーから聞いたんだが」
お恥ずかしい話です、とカリーは顔を赤くする。
「照れることはないじゃないか。むしろ、わたしは大いに感心したぞ。金や権力に
今すぐ訂正しておきたい、とくすんだ銀髪の青年は感じる。低く見られるのはもちろん望むところではないが、実像以上に大きな存在と見做されるのもあまり気分のいいものではない。彼女には等身大のありのままの自分を見てほしかった。
「いい暮らしをしたい、と思う気持ちはわたしにもあるのですよ」
「ほう?」
思いがけない言葉に驚きながら、セイはマグカップに注いだコーヒーを、ぐび、と飲む。
「以前、とある資産家が『パトロンになりたい』と言ってきて、大きな屋敷とたくさんの使用人をあてがってもらったことがありまして。日に一度、彼のために歌を歌いさえすれば、全てがわたしの思うがまま、というこれ以上望むもののない暮らしをしたことがあります」
ふーん、と金髪の女騎士は顎に手を当てて考え込み、
「そんな生活が出来れば、何も不満などなさそうに思えるが」
「実際不満はなかったのですよ。ただ、ひとつだけ困ったことがありまして」
ふっ、とカリーは皮肉っぽい笑みを浮かべて、
「安楽な状況に身を置いていると、頭がぼんやりしてくるのですよ」
「ぼんやり?」
「ええ。それまでは当たり前のように天から降ってきた音楽が消えてしまって、何も思い浮かばなくなってしまったのです。まあ、新曲を作らなくても数千曲のレパートリーはマスターしていたので、一生歌い続けることができたはずなんですが」
「でも、やらなかったんだな?」
何かを理解した様子のセイが瞳を輝かせる。
「はい。そういう人生はわたしの望むものではありませんでしたから。抜け殻のようになってありものの音楽を奏で続ける楽器として生きるのは、飢えと渇きと暴力に満ちた路上での生活よりもずっと恐ろしいものだ、と気が付いたのです」
部屋の片隅に置かれた六弦の楽器に詩人は顔を向けて、
「屋敷を抜け出してすぐに新たな着想が湧いてきたときには、涙がこみあげてきたものです」
音楽のためだけに生きていける喜びと、音楽のためだけに生きるしかない諦め。その涙には両方の意味が含まれていたのだろうか。
「その気持ちはわたしにもわかるような気がする」
「あなたもですか、セイジア?」
驚きにカリーの声が高くなる。
「おまえが音楽に人生を懸けているように、わたしも騎士として生きるために全てを捧げたつもりだ。しかし、騎士になるために多くのものを引き換えにしたのは事実だ。後悔がないと言えば嘘になる」
貴族の令嬢として生まれた彼女が家を飛び出して家族とは疎遠になっている、という事情はカリーも知らないわけでもなかった。
「騎士はわたしの天職だが、もしも誰かが『騎士になりたい』と言っているのを聞いたら『考え直した方がいい』と忠告してしまうだろうな。命の危険がある苛酷な職業で、おまけに実入りもさほどあるわけではない。そのように生きるしかない人間だけが歩むべき道だと思うし、わたしはそんな人間だった、ということなんだろう。騎士になるのを諦めて別の生き方をしている自分など、考えただけでぞっとするしな」
「あなたならさぞかし立派な貴婦人になったと思いますよ」
「よしてくれ。わたしはそんな柄じゃない」
女騎士が顔を赤らめたのが目の見えない青年にもわかって思わず笑ってしまう。
「まあ、わたしはおまえが音楽に全てを懸けているのを立派なものだと思うし、そんなおまえと友人になれたことを誇りに思っているよ」
勿体ないお言葉です、と頭を下げながらも、
(そうではない)
という不満も胸の中に渦巻いていた。カリー・コンプは音楽以外にもひとつだけ欲しいものがあり、セイジア・タリウスと「友人」でいることに満足してもいなかった。
(わたしはあなたに愛してほしいのですよ)
そのためにここまで来たのだ、と旅の目的を思い起こすのと同時に、カリーは椅子から立ち上がっていた。
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