第80話 祝典の裏で(後編)

いきなり嫌な記憶を思い出させるようなことを言われて「げふげふ」と「影」は咳き込んでしまう。ぱさぱさした鶏肉が咽喉に貼りついたおかげで、咳はいよいよ止まらなくなる。

「ほら、それを飲みなさいよ」

見かねたモニカが指さした先を見ると、バスケットの中にワインの小瓶が入っているのに気が付いた。飲み物も用意してくれていたわけか、と怨み骨髄の金髪の女騎士にこの時ばかりは感謝したくなる。

「どうしておまえがそれを知っている?」

酒を飲み込み、人心地ついてから訊ねると、

「わたしだけじゃなくて、村中みんな知ってるわよ。あんたがセイジア様にボコボコにやられて、ズタボロにされたっていうのは」

けろりとした顔で即答されて、黒ずくめの暗殺者は苦り切る。勝負に敗れただけでも屈辱なのに、それを大勢の人間に知られたとなると完全に恥の上塗りだ。セイジア・タリウス本人か、たまたま居合わせたナーガ・リュウケイビッチがばらしたのだろう。騎士の癖におしゃべりな奴らめ、と腹立たしくて仕方がなくなる。

「それで最近落ち込んでたんだ?」

村の少女に訊かれて、「悪いか」と「影」は思わず顔を背けてしまうが、

「あんたって本当に馬鹿よね」

ふん、と鼻で笑われて、かっとなってすぐに向き直る。しかし、モニカは男が気色ばむのにも取り合わず、

「だって、あんたなんかがセイジア様にかなうわけなんかないじゃない。負けて当たり前だし、そんな当たり前の結果になってがっかりしているのがあほらしいし、そもそも勝負を挑む時点でどうしようもない間抜けとしか思えないわ」

バカ、アホ、マヌケ、という三重の烙印を押されて、

(小娘が知った風なことを)

激怒した闇の刺客の顔面がどす黒く染まっていくが、自分の行為は素人に酷評されても仕方がないことだったのだ、とすぐに考え直した。

「惜しかったわね。また次頑張りましょ。ドンマイ!」

などと励まされた方が逆に辛くなりそうだ。美辞麗句で飾られたところで敗北が消えて無くなるわけではない。敗者は見当違いの罵倒でも甘んじて受けなくてはならないのだろう。

「まあ、負けて落ち込むのはわかるけど、あんたってもともと薄気味悪いから、がっかりしてると余計にキモくなるのよ。だから、せめてもうちょっと明るくしたら?」

そこまで言って、んー、とピンクの唇に指をあてて考えてから、

「あ、やっぱり今のなし。あんたが明るくなったら、それはそれで最高にキモくなりそうだから、今のままでいいわ」

どうしろっていうんだ。「キモい」「キモい」と連呼しやがって。これだから近頃の若い者は。などと無自覚におじさん的思考に染まりつつあるのに気づかないまま、「影」は鳥の骨を捨ててパンに取り掛かる。怒りながら食べているので、しっかりと焼かれて確かな歯ごたえがあることすら腹立たしくなる。

「おれといたらおまえまでキモくなるぞ。さっさと帰れ」

仏頂面で皮肉を込めて吐き捨てたが、

「なに本気で怒ってるのよ。大人げないわね」

へらへら笑われて「なんだこいつ」と困惑するしかない。大陸各地でその名を知られた仕事人がただの田舎娘を扱いかねているのは、天下の奇観というべきなのだろうか。

「でも、あんた、村を助けてくれたんでしょ?」

モニカは険しかった表情を不意に緩めると「影」にぎこちなく微笑んでみせた。

「何のことだ?」

だが、そう言われても、黒い男に心当たりはない。

「セイジア様が言ってたわよ。よその村を全滅させた悪者たちがこの村も襲おうとしたのを、あんたが一人で止めてくれた、って」

あのことか、と思い出すのと同時に、「あの女、なんでもかんでもしゃべりやがる」と「影」は今しがた飲み込んだばかりのパンが胃の中でずしりと重くなるのを感じた。

「別に村を助けたつもりはない。人の風上にも置けない外道を始末するのはおれの趣味なのでな」

今いる雑木林にジンバ村を襲撃しようとした正体不明の騎士たちの遺体が埋められていることまでこの娘に伝える必要はないだろう、と男は心の中で判断を下してから、

「だから、おれが勝手にやったことであって、おまえたちが助かったのはたまたまだ」

「でも、あんたのおかげでわたしたちが救われたのは確かだから」

そのときたまたまセミの群れが鳴きやみ、「影」とモニカの間に沈黙が流れた。

(妙なことを言いやがる)

いつも生意気な少女にしおらしい態度を取られて、男としても反応のしようがなく、風も凪いでいるのか、気まずい雰囲気を吹き飛ばしてはくれない。やがて、セミが合奏を再開すると、モニカは俯いていた顔を上げ、

「だから、村のみんなはあんたをそんなに悪く思っていない、感謝している人だっている、って言いたかったの。もっと自信を持ってもいいんじゃないかしら」

少し黙ってから、

「わたしは全然そう思わないけどね」

と付け足したので、「一体何が言いたいんだ」と「影」も閉口する。励ましたいのか悪口を言いたいのか、どちらかに統一してほしい。

「じゃあ、もう戻るから。いつまでもあんたの相手なんかしてられないし」

「ああ。さっさと帰れ。若い娘は日のあるうちに家の中に戻っておけ。親父さんに心配をかけるな」

「言われなくても分かってるわよ。この変態」

べーっ、と舌を出して帰っていくのにも慣れてしまった。こまっしゃくれたガキめ、と思いながらケーキを手に取り、指がクリームでべとべとになるのも厭わず、一口二口と食べ始めると、

「まだ何か用か?」

帰ったはずのモニカが少し離れた場所で立ち止まっていたので声をかけた。すると、

「ううん、別にそんなことはないけど」

長く伸びた髪を指で梳りながら、

「あんたって、ご飯をとても美味しそうに食べるんだな、って思ってね」

ただそれだけ、と言ってから、今度こそ少女は去っていく。

(馬鹿なことを)

彼にとって食事とは必要欠くべからざる時間であっても、味を楽しむひとときではなく、笑顔など浮かべているはずがない。ただ、以前セイジア・タリウスに似たようなことを言われたのを思い出すと、胸の中に名状しがたい不快感がこみあげてくるのをいかんともしようがなかった。

(おれが「いいやつ」だ、などと吐かしやがった)

あの女騎士の癇に障るポイントを挙げればキリがなかったが、一番頭に来たのはそれだった。数々の悪行を積み重ねてきた懺悔のしようもない人間がどうして「いいやつ」なのか。人を見る目がないにも程があった。

(だが、そんな相手におれは四たび敗れたのだ)

「金色の戦乙女」に勝てる手立てを「影」を見出すことができなかった。仮に見つけられたとしても、最強の女騎士に挑みかかる気力が萎えてしまっているのを感じていた。

(おれはどうしちまったんだ)

度重なる敗北で闘志が挫けただけでなく、この山奥の村に来てから自分の内面に変化が生じつつあるのを男は感じていた。何が彼をそうさせたのか、これからどうなっていくのか、まるで見通せないまま「影」は、ただひたすらケーキをかじり続けた。

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