第82話 吟遊詩人、勝負に出る(後編)
「おい、カリー?」
セイが慌てたのは、カリーが立ち上がって足を踏み出したからだ、目の見えない彼が杖もなしに歩き続けられるはずもない。だが、吟遊詩人には成算があった。
(こちらに進めば)
視覚が失われている代わりに常人以上の空間把握能力を持つ青年は室内の構造を完全に理解していた。そして、女騎士がベッドに座っているのもわかったうえで、彼女へと近づこうとする。
「わっ?」
つまずいたカリーの下敷きになってセイも仰向けに倒れてしまう。その拍子に落ちたマグカップから飲み残しの黒い液体が床にこぼれる。
「すみません、痛くありませんでしたか?」
「いや、そっちこそ大丈夫か?」
怒られるどころか逆に心配されて歌うたいは噴き出しそうになる。この人はやっぱりいい人だ、と思いながらも、密着した身体から伝わってくる鼓動を感じたことで、自らの胸も高鳴っていくのを自覚する。
「わたしもこういうことはしたくないのですが、でも、こうでもしないとあなたにはわたしの気持ちは伝わらない気がしたのです」
「いや、カリー、おまえの気持ちはちゃんと」
「わかってないから、そう言っているのです」
整った顔立ちが近づいてきて、セイの困惑は一層ひどくなる。
「どうか、わたしの気持ちを受け入れてください」
熱烈な告白を受けて、金髪の騎士が一番に思ったのは、
(またか)
ということだった。つい先日、夜の森でアリエル・フィッツシモンズに押し倒されたばかりなのに、日を経たずして男に再び強引に迫られている。アルもカリーも日頃は礼儀正しいが、やはり男である以上、蛮性を捨てられないのだろうか、と何かの研究者みたいに新たな事象を発見した気になっていた。もちろん、最強の女騎士なので手荒な真似をしてきた男をはねのけることなどたやすかったが、心の中に葛藤が生じているおかげで、行動に出るのを躊躇わざるを得なかった。
(やっぱりそういうことだったのかな)
親友のリブ・テンヴィーをたびたび呆れさせていたほどに色恋に鈍いセイでも、カリーの好意には薄々と感づいていた。自分のためだけに熱烈なラブソングを作られれば、戦乙女といえども心を揺さぶられずにはいられないのだろう。
「お許しください」
だんだんと顔が近づいてくる。このまま何もしなければ、唇と唇が触れ合うことになるが、戦場では果断を下している女騎士もラブアフェアでは迷いが生じるようで、
(カリーに乱暴は出来ない)
とも考えていた。相手は目が見えないのだ。痛い思いをさせるわけには行かない。そんな思いもまたセイの挙動を縛りつけて、決心がつかないまま詩人の愛をその身で持って受け止めることになりかけていたそのとき、
「ん?」
徐々に近づきつつあったカリーの動きが止まったかと思うと、のしかかっていた男の身体が離れ、重みから解放された。どうしたのか、と思っていると、
「やっぱり、こういうやりかたはよくありません」
力ずくで女を我が物にしようとした愚かさにすんでのところで気づいた、というだけではなさそうだった。カリーの眉がいかにも不快そうに顰められている。
「あなたからわたしへの憐れみを感じました」
それが彼が行為に及ぶのを断念した理由らしい。
「わたしがあなたを尊敬しているように、あなたにもわたしを尊敬してほしいのですよ」
なるほど、とセイにも詩人の考えがなんとなくわかった気がした。彼を思いやったつもりで、「弱者」だと一方的に規定して上から見てしまっていたのだろう。
「それは悪かったな」
マットから背中を起こしながら詫びると、
「謝るのはわたしの方です。焦るあまりひどいことをしようとしてしまいました」
カリーも頭を下げる。
「まあ、それは確かにそうだ」
「はい?」
顔を上げ直すなり、額に何かが衝突して、歌うたいの暗く閉ざされた視界に火花が飛び散り、激痛が走った。
「女に乱暴を働こうとした罰だ。よく反省するといい」
デコピンを喰らったのだ、とわかるまでそれなりの時間を要した。頭蓋骨に罅が入ったかと思われるほどの衝撃だったが、当然の報いであったし、女騎士が自分を対等に扱ってくれている証でもあると思えたので、「肝に銘じます」と受け止めることにした。
「まったく。男というのは本当にしょうもないな」
ぶつくさ言いながら、セイは床に溜まったコーヒーを雑巾で拭き始める。
「お恥ずかしい限りです」
カリーの額が赤く腫れ上がっているのを見た女騎士は笑いを噛み殺しながら、
「悪いと思っているなら、ひとつ頼みを聞いてはくれないか?」
「あなたの頼みならなんなりと承りましょう、セイジア」
うむ、素直でよろしい、と立ち上がりながら詩人の方へ向き直ると、
「この村にしばらく居てほしいんだ」
「それだけでいいんですか?」
「ああ。そのうちに用事を頼むことになるはずだから、それまで待っていてほしい」
「別に構いませんが」
あてのない旅を続ける青年には反対すべき理由はなかった。
「それは助かる。おまえが来てくれたおかげで、どうにか目途が立ちそうだ」
よくわからないことを言われたが、村に滞在しているうちにその理由も判明するのだろうか。
「あの、セイジア」
「ん? なんだ?」
カリーはいつになく自信なさげにおずおずと話を切り出すと、
「こういうことをしでかしたばかりで言えた義理ではないのですが、その用事とやらが片付きましたら、またチャンスを頂けないでしょうか」
わたしの思いをわかってもらいたいのです、とは続けられなかった。「楽神」と呼ばれる稀代の歌手も、恋に落ちると口下手になってしまうようだ。
「別に構わないぞ」
「本当ですか?」
「もちろんだとも。一度の過ちで見限るほどわたしの心は狭くない」
それに、とセイは腕を組んで、
「またわたしのためだけに歌ってほしい気もするしな」
詩人の盲いた目にも、彼女の髪と同じ金色の微笑みが見えた気がして、
(きっとわたしは一生この人を諦めきれない)
カリー・コンプの口の中には歓喜とやるせなさがブレンドされた味わいが広がっていた。
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