第71話 女占い師、再会する(その5)
「そのことがあってから、みんなと仲良くなれたような気がしているんだ」
セイジア・タリウスはかすかに微笑む。
「わたしを認めてくれるのは嬉しいが、伏兵に気付いたことを褒められるとどうにもきまりが悪くてな」
わたしはただ、きみの言うことを聞いただけなのに。そう言って目を伏せたセイの左の頬にすべすべしたものが触れてきて「いっ!?」と思わず椅子から飛び上がりそうになる。リブ・テンヴィーがテーブルの向こうから手を伸ばしてきたのだ。
「それが素敵なんじゃない」
紫の瞳がレンズ越しで輝くのがセイにもわかった。
「あなたがわたしの言うことを聞いてその通りに動いてくれたこと。それが何より素晴らしいことだわ。占い師冥利に尽きる、というものよ」
歓喜のあまり馥郁たる花の香りを室内に撒き散らしながら、
「こっちこそお礼を言わなきゃね。セイ、わたしを信じてくれて、本当にありがとう」
しばしの間、ぼんやりしてしまってから、セイは「ふん」と荒々しく息を吐いて、
「まだ2度しか会っていないのに、少しなれなれしすぎるぞ」
と言いながら、ほっぺたに置かれていたリブの右手を引き剥がした。その動作がいささか無理矢理、と見て取れたのは、女占い師のボディタッチと感謝の言葉に心を大きく動かされたからなのだろうか。顔も真っ赤になっている。
「そうね。あなたと会うのはこれが2度目だもんね」
リブの微笑みがいくらか淋しげなのは、目の前の少女が自分の正体に気づいていないからかもしれない。それと同時に気付かれていないことへの安堵も確かにあって自分のことがよくわからなくなってしまっていた。しかし、
「そもそも、あのときのきみに悪気がなかったことはわかっていたんだ。それなのに、わたしの態度はひどいものだった。騎士として、いや、それ以前に1人の人間としてあってはならないことだ。だから、今日ここへ来たのは、きみに謝罪したうえで『ありがとう』と伝えたかったからなんだ」
美女の複雑な胸中を察することなくセイは訪問の目的を告げる。それを聞いたリブは「ふうん」といたずらっぽく笑ってから、
「別に謝らなくてもいいのよ。あなたのような立派な地位にある人が、わたしみたいな下々の者に頭を下げる必要なんてないんじゃないかしら」
そっけなく言い放つ。
「そうはいかない。何事においてもけじめが大事なんだ」
生真面目な娘が色をなして反論すると、
「あら、なかなかいいことを言うじゃない。じゃあ、そんなあなたなら、罪を詫びる、ということはうわべだけの言葉ではなく行動で示さないと意味がない、と言うことも当然わかるわよね?」
「ああ。もちろんだ」
と力強く言い切ってから、
「わたしに何かしてほしい、ということか?」
やや太めの眉をひそめて少女騎士は声をかける。
「ええ。その通りよ。あなたには是非やってほしいことがあるの」
そう言われてもな、とセイは頭を掻く。今の自分にできることが大してあるとも思えない。給料だってさほど貰っているわけではないのだ。しかし、
「わかった。元はと言えば悪いのはわたしで、いわば身から出た錆だ。きみの言うことを聞くべき義務が、わたしにはある」
金髪の娘はすぐに割り切って考えていた。
「立派な心がけね、副長さん。じゃあ、言わせてもらうけど」
言わせてもらうけど、とつぶやいたにも関わらず、赤い唇に笑みをたたえたまま無言でいる不思議な美女に「早く何とか言ってくれ」とセイがじりじりした気持ちでいると、
「わたしと友達になって」
実に意外な言葉が聞こえてきた。
「えっ?」
「わたしと友達になってほしいの」
少女騎士は狐につままれた表情のまま、
「それだけでいいのか?」
と訊き返す。もっと厳しい償いを要求されるものとばかり思っていたのだ。
「ええ、それだけで十分よ。あなたも忙しいでしょうから、たまに会ってたまにおしゃべりしてたまに一緒に食事する。そうしてくれたら言うことはないわ」
どうもよくわからない。そんなことをして、この女占い師の得になるとも思えない。
「わたしがそうしたい、って言ってるんだから、あなたが気にしなくてもいいのよ。それに、あなたにとっても悪い話じゃないと思うわ。だって、セイ、あなた、友達いないんでしょ?」
「こら、人聞きの悪いことを言うんじゃない」
かっとなって大声を出してしまうが、リブの言ったことはセイの痛いところを確実に衝いていた。騎士団は男所帯なうえに10代の若者も少なく、気軽に話をできる人間は皆無に等しい、と言ってよかった。それが少女が孤独を深めることにもつながっていたわけである。
「騎士は大変な仕事でしょうから、不満や愚痴も溜まってるんじゃないの? その話し相手になってあげる、って言ってるのよ」
「不満や愚痴をわざわざ聞きたいとは、おかしなことを言う」
呆れるセイに、
「まあ、人の悩み事を聞くのが好きなんでしょうね。だから、こうして仕事にもしている」
リブはあっさり答えた。
(妙なやつだ)
妖艶な占い師の考えが読めずにセイは戸惑いを消せなかったが、考えてみると別に悪い話でもない気がしてきた。こちらに害がありそうなわけでもないし、この美女と会って話せば日頃の鬱憤が解消できるかもしれない。実際今も心がウキウキしていることは否定できなかった。
「うん、わかった。それなら、きみと友達になることにしよう」
「あら、ありがとう。セイ、あなたと友達になることができて、とても嬉しいわ」
「こちらこそ、よろしく、リブ」
初めて彼女の名前を呼んだときに、まるで炭酸水のように感動が身体の奥底から湧いてきたのがセイ自身にも意外だった。自分も本当はリブと友達になりたくて、その願いがかなったことに喜んでいるのだろうか。自分のことが一番わからないものなのか、と苦笑いをしていると、
「何を変な顔をしてるのよ」
年上の美女に不審がられたので、「いや、なんでもない」と首を横に振った。それから2人は長い時間をかけて話をした。特に大事な話題を出すわけでもない、他愛のないおしゃべりを続けた。しかし、そうしているうちに、お互いのことを深く感じられるようになり、心のどこかで確かなつながりが出来たような、生まれる前からこうなることが定められていたかのような気持ちになっていた。
「母上のことは今でも夢に見る」
悲しげにつぶやいたセイをリブも同じく悲しげに見つめ、
「まだお若かったのに残念ね」
と小さくつぶやいた。少女の母が亡くなって、まだ1年余りしか経過しておらず、肉親を失った苦しみから抜け出せてはいなかった。
「『最強の女騎士になれ』と最後に会ったときに母上は言ってくれた。母上の願いを実現することでしか、生んで育ててくれた恩を返せないと思っているんだ」
最愛の人へ報いようとしている健気な娘をリブは眩しそうに見つめてから、
「ねえ」
と、さりげなく話を切り出した。さりげなく聞こえるように最大限気を配ったつもりだ。セイにずっと聞きたかった話題を、頃合いを見計らって口にしていた。
「セドリック・タリウス伯爵って、あなたのお兄さんよね?」
思いがけない名前を聞いてセイの目が大きく見開かれる。
「さすがだな。兄上のことまで知っているとは」
驚きはしたが、何故セドリックの名前が出てきたのか、深く考えなかった。リブの知性を短い時間だけで信用するようになっていたからだ。
「まさか、兄上によからぬ噂でもあるのか?」
「そんなことはないけど、あなたを勘当するような人だから、あまり性格がよくないんじゃないか、と思って」
それを聞いたセイは「いやいや。とんでもない」と慌てて、
「それは誤解というものだ。勝手に家を飛び出したわたしが悪いのであって、兄上に何の落ち度もあるはずはない。兄上は優しく真面目でとても素晴らしい人だ。そのような人の妹に生まれたことを、わたしは心から誇りに思っている」
うるわしき兄弟愛に心を動かされはしたが、
(今のセディはどんなものなのかしらね)
リブは青年へと成長したかつての幼馴染に対して不信感を拭い切れなかった。彼女の知っている彼なら、妹を決して見捨てたりはしなかったはずなのだ。長い別離の間に、何かが若い貴族を変えてしまったことは確かだ、と思われてならなかった。
「ただ、気がかりなことがひとつあって」
顔を曇らせた金髪碧眼の美少女に、
「なによ。お兄さんが不行状でもしでかしたの?」
「その逆だ。兄上は神父顔負けのお堅い人なのだが、あまりにも堅すぎて女性に全く見向きもされない、というのだ。父上が気を利かして縁談を持ち込んでも即座に断られるそうだから、何か事情がおありなのだろうか、と妹ながら心配しているのだが」
ぶるんぶるん、と音が出そうなほどに大きく首を捻ってから、
「意中の人でもいらっしゃるのだろうか」
とセイがつぶやいたのを耳にして、白ワインの入ったグラスを手にしたリブの細い腕が震えた。
「そういう人に心当たりでもあるの?」
「いいや。だが、兄上は真面目な方だから、もしそういう人がいれば一途に愛を捧げることだろう、と思ったまでのことだ」
ただの想像さ、と少女騎士が笑ったので、「ああ、そういうこと」と占い師も笑い返す。上手く笑えた自信はなかったが。
(まさか、ね)
仮に「意中の人」が存在していたとしても、それが自分だとは思わなかった。そのように信じそうになるのが怖かった。幼い頃に愛を告げられた思い出を決して忘れたことはなかったが、所詮は子供のお遊びに過ぎず、大人になってまでこだわり続けるべきものではない。セドリックも消えた令嬢をいつまでも待ち続けているわけではないだろう。過ぎ去った初恋にとらわれていては不幸になるだけだ。
(わたしはわたしの道を行くわ。セディ、あなたも前に進みなさい)
忘却の河に過去を流すかのように、リブ・テンヴィーは酒を一息で飲み干した。
「おいおい。そんな無茶な飲み方をしていると倒れるぞ」
「ご心配には及ばないわ。こう見えても、この前早飲みコンテストで優勝したんだから」
おまえはうわばみか、とセイは呆れ果てるが、リブは気にすることなくお代わりをグラスに自分で注ぐ。
「変なやつ」
「お互い様よ」
しばしじっと見つめ合った後、2人は笑いを爆発させる。セイジア・タリウスとリブ・テンヴィーが生涯の友人となったのは、まさにこの日のことだったのだ。
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