第69話 女占い師、再会する(その3)

「つぐみが鳴いたら気を付けなさい」

リブは思わず声をかけていた。

「は?」

セイは足を止めて振り返る。その表情には猜疑心があふれ、収まりきらない感情が暮れなずむ夕方の空気に溶け込んでいく。

「それは一体どういう意味だ?」

「さあ。あなたを見ていたら急に思い浮かんだだけで、わたしにもわからないわ」

別に嘘は言っていない。誰かと話していたり、街ですれ違ったときに不意に言葉が降りてくることはよくあった。しかし、少女騎士にしてみればまるで納得できない説明でしかなかった。つかつか、と女占い師へともう一度近づくと、

「わたしを勝手に占うんじゃない。押し売りでもするつもりか?」

「あら、失礼ね。親切で言ってあげたのに」

「それは親切とは言わない。大きなお世話というやつだ」

こほん、とかわいらしく咳払いをしてから、

「何の魂胆があってのことかは知らないが、わけのわからないことを言ってわたしを惑わそうとするとは実に失敬だ。騎士たる者への侮辱だ」

青い瞳をぎらりと光らせて睨みつけてきたセイに、

「それくらいのことで混乱するなんて、まだまだ修業が足りないんじゃないかしら。小さな騎士さん」

リブは微笑みかけるが、眼鏡の奥の大きな目は真剣そのものだ。至近距離で見つめ合う美女と美少女からは殺気が漂い、市場に集う客も商人も遠巻きに見守るしかない。

「どう責任を取るつもりだ?」

「はい?」

セイの言っている意味が分からず、リブが首を傾げると、

「おまえがさっき言ったたわごとだ。スズメだかヒバリだかがなんとかという」

「つぐみよ。ちゃんと覚えなさい」

「ああ、もう、うるさいなあ。みんな小鳥なんだから、どうでもいいじゃないか。とにかく」

金髪ポニーテールの騎士は狡猾にも見える笑みを浮かべて、

「万が一、それが全くの偽りだったらどうするつもりなのか、と訊いてるんだ。適当な法螺を吹いて、それが間違っていたら知らんぷりするつもりか? 占い師とは気楽な稼業だな」

そんなことはない。占いが外れた、と客から苦情を申し立てられることは珍しくないし、たった一度の失敗でも悪評が流れて商売に影響することもよくある。

「損得もあるけど、それ以上にお客にとって一期一会の大切な場なんだ。つまらないことを言ってくるやつでも決してないがしろにせず、しっかり向き合ってやりな」

テンヴィー婆さんには耳にタコができるほどに注意されたものだ。一人の人間として誰かの悩みに寄り添おうとする気持ち、それこそが占い師に一番求められるものかもしれない、とも思っていた。

(でも、それを今のこの子に言ったところでねえ)

いくら腕に覚えがあるとはいえ、まだ14歳の世間知らずの浅墓な娘にわかるはずもない機微だ。言って聞かせようとしたところで徒労に終わる、と見極めた女占い師は、

「じゃあ、間違えたときに責任を取れば満足してくれるの?」

そう訊き返していた。

「ああ、そうだ。失敗に見合う代償を払ってもらわなければ納得できない」

嘲りをもろに顔に出した少女騎士を「ふうん」と興味深そうに見て、すーっ、と深く息を吸い込み、

「それじゃあ、もしもわたしの占いが間違っていたら」

少し溜めを作ってから、

「この首を差し上げるわ」

リブ・テンヴィーが高らかに宣言した途端、市場の賑わいが消え失せ、秋風が通りを吹き抜けていった。

「なんだと?」

セイジア・タリウスが目を白黒させて訊き返すと、

「だから、わたしの首を騎士団の副長様に謹んで進呈する、と言ってるんだけど」

喉元を、すーっ、と右の人差し指が横切っていく。占いが誤っていたら首を刎ねられてもいい、と言っているのは明瞭だった。

「リブ・テンヴィーとか言ったな。おまえ、正気か?」

「正気と狂気の中間くらいなんじゃないかしら。完全に正気だと占いなんてできないから」

「混ぜっ返すんじゃない。いいか? いくら冗談でも言っていいことと悪いことがあるぞ。わたしは騎士として戦っている人間だから、人の命の価値はわかっているつもりだ。命というものは軽々しく扱っていいものじゃないんだ」

「その通りね。だから、そう言ってるのよ」

「はあ?」

いまや形勢は一方に傾き、騎士は占い師に気圧されつつあった。

「あなたは占いを世迷言や戯言だと思っているようだけど、それでもわたしは必死でやっているのよ。一言一言に魂を込めているつもり。だから、間違っていたら死んでもいい、と思うのはむしろ当たり前なんじゃないかしら。それくらいの覚悟がなければ占い師なんてやれないわ」

なんということだ、とセイは顎の先から冷たい汗が滴り落ちるのを感じながら愕然とする。リブの紫の瞳から立ち昇る静かな炎から目が離せなくなっていた。

(この占い師、ただものじゃない)

それに気付くのに遅すぎた、と後悔していた。魅力的な容姿にばかり気を取られていたが、この美女の内面には力強い精神が潜んでいる。それこそ、少女騎士もよく知るオージン・スバルやティグレ・レオンハルトといった勇者たちに匹敵するほどの強靭さだ。わたしではとても敵わない。戦場で常に光り輝く騎士の闘志が、あろうことか平和な街角にあって萎みかけている。

「ぐっ」

無意識のうちに、右手が腰に帯びた剣に伸びつつあったのに気づいて、セイは呻いた。馬鹿な。議論で勝てないからといって、力に訴えてはそれこそ騎士としての最大の恥辱ではないか。震える手をどうにか引き戻して、深呼吸を2、3度した後に、目の前の女占い師をきっと睨みつけ、

「馬鹿馬鹿しい。おまえの首など要るものか」

と吐き捨てて、今度こそ立ち去っていく。さっきの二倍以上の速さなので、ポニーテールもその分激しく揺れる。張り詰めた空気がようやく和らいで、居合わせた人々は一様に緊張から解放された喜びに浸ったのだが、中には「あの人の首なら是非とも欲しいものだ」とけしからぬことを考える男たちも多くいた。むしろ全身を、自宅の寝室に生きる彫像として常置したい、などという妄想にリブは気づくことなく、

(セイ、あなたが元気でいてくれて、それだけで嬉しい)

可愛い年下の幼馴染との再会に胸は喜びであふれ、その目には再び透き通った涙が浮かんでいた。

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