第59話 女占い師、世界を巡る(その6)

視界のきかない状況で、螺旋を描いている階段を転ばないように恐る恐る下りながら、

(そういうことだったのね)

リブは以前からの疑念が解消され、腑に落ちた心地になっていた。さらわれてきてからずっと違和感を覚えていたのは、自分が閉じ込められた別宮ハレムが広大すぎることだった。藩主の愛人は誘拐されてきた少女を含めても10人くらいしかいないにも関わらず、本館よりも広い土地を占めているのはどういうことなのか、と不思議に思っていたのだ。隠し扉があるところを見ると、建物の地下に何やら秘密が隠されているようだ。生まれながらに探偵趣味をもつ美女が胸がわくわくしてくるのを抑えかねているうちに、いつの間にか階段を降り切っていた。前方の壁に手を伸ばすと、そのまま向こう側に開きそうな手ごたえを得る。ここが出口ね、と確信したリブがもうひとつの隠し扉を押し開けると、

「えっ?」

目の前には白い煙が立ち込めていた。何やら甘ったるい臭いもしているので、火事というわけではないらしい。濛々たる白煙のおかげで正確に見て取ることはできないが、それでもこの地下室が馬を放し飼いできる程度に広いことはわかる。いくつも並べられた長いテーブルに向かって、鼻と口を布で覆った白衣の女たちが作業をしているのが認められた。何かを瓶に詰めているようだ、と思ったリブの脳裏に稲妻のように閃くものがあった。

(嘘でしょ。麻薬を作ってるの?)

鼻を衝く香りには覚えがあった。ティタの都の貧民窟で嗅いだものだ。ほとんど廃人と化した薬物中毒者たちが、力なく壁にもたれかかり、だらしなく地面に横たわっているのを見て、

「ああなっちまうと誰にも救えない」

テンヴィー婆さん―弟子がいなくなってどうしているのだろう?―が苦い顔をしたのが記憶に残っている。サタドでは麻薬の蔓延が社会問題になっていて、当局も摘発に乗り出しているが捗々しい効果を上げていない、というのはその後で知ったことだが、

(それもそのはずだわ)

正義感の強い女占い師は眉をひそめる。本来であれば薬物を取り締まるべき権力の側が違法な代物を自ら製造しているのだ。一体誰が止められるというのか。今まさに目の前で行われている所業を抛っておけば、またしても不幸になる人が大勢出る。どうにかして止めなければならないが、自分一人で何ができるのわからずにリブが立ちすくんでいると、

「おい、あんた、そこで一体何をしてるんだ?」

痩せぎすの男が声をかけてきた。白衣を着ているので、見張り役ではなく麻薬の製造を担当している医学者なのかもしれない。

「あ、いや、えーと」

ごまかそうとしても無理なのは自分でもわかる。秘密の工場でビキニの娘がうろついているのは明らかに不自然だ。製造元に薬を直接買いに来た設定にしようか、と一瞬考えるが、健康的でグラマラスな美人さんがジャンキーなわけがない、と怒られるよりも笑われてしまうはずだった。男の方も突然現れたリブを扱いかね、見知らぬ娘に気付いた女たちも作業の手を止めてこちらを眺めていたそのとき、どたどた、と後方から大勢の足音が近づいてくるのが聞こえてきた。

「ええい。いつまで待っても来ないと思っていたら、ここに忍び込んでいたとは」

集団の先頭に立つ藩主は怒り心頭で、じらすのも「プレイ」の一環だ、という言い訳も通じそうになかった。

「最初からおかしいと思っておったのだ。貴様、やはり秘密警察の犬だったのだな」

例によってギンギラギンに光る服に身を包んだ主人が大声を出してリブを指差すが、

(そう思ってたならもうちょっと警戒しなさいよ)

寝室での浅ましい姿をよく知っている美女は男の恫喝に脅えることもできずにいたが、

「いや、そうじゃなくて、たまたま迷い込んじゃっただけなのよ。わたしはただの一般人で、警官なんかじゃないわ」

一応弁明を試みてみたものの、

「見え透いた嘘をつくな。ただの人間がどうして隠し扉を見破れるというのだ」

と反論されて困ってしまう。わたしは占い師でちょっとした超能力があるんです、と正直に言ったところで、冗談だと思われて男を余計に怒らせてしまうだけだろう。リブの人生は小説よりも奇妙で、他人に理解してもらえるものではなかった。

「この秘密工場で製造した麻薬で財産を築き、加えて麻薬を広めることで社会を混乱させ、それに乗じて太守の座を奪おうとする、いわば一石三鳥ともいえる、わしの完璧な計画も貴様にはすっかりお見通しなのだろう」

ちっともお見通しじゃありません。そんな大それたことを企んでいたとは全然想像もしていなかったので、

「あのう、秘密の場所に無断で入ったのは悪かったわ。このことは忘れるから、いったん上に戻ってお話ししない?」

穏便に提案してみるが、

「そうはいくか。このはかりごとを知られた以上、生きて返すわけにはいかん」

自分からべらべらしゃべったんじゃない、と女占い師は呆れるが、

「やれ」

男の命令を受けた一団が飛び出してリブを取り囲む。ナイフや棍棒を手にしたならずものたちが現れて、薬物を作っていた男女は悲鳴を上げて地下室を逃げ惑う。

(どうしたらいいの)

次第に狭まってくる包囲の輪の中でリブはどうにか逃げ出す手立てを見出そうとするが、腕力ではとてもかなうはずもない。師匠なら「力」でどうにかしてみせたかもしれないが、弟子の彼女にはそこまでの才能はない。

「観念するんだな」

勝利を確信して、ぐふふ、と藩主が笑みを漏らしたそのとき、地下室の中に口笛が鳴り響いた。

「なんだ?」

緊迫した状況に突如流れ出した軽快な行進曲に、宮殿の主人もリブもやくざ者たちも驚愕して、音の出所を探し出そうと辺りをきょろきょろと見渡すが、

「おれはここだぜ」

天井から黒い人影が女占い師のすぐそばに舞い降りる。

「あんたのその恰好、とてもいかすからもっと眺めていたかったんだが、そうもいかなくなっちまったようだな」

「あなたは」

聞き覚えのあるへらへらとふざけた口調で人影の正体がわかってリブはまたしても驚く。自分にしつこくつきまとい、挙句の果てにこの宮殿に売り飛ばした遊び人だ。

「乱暴な真似をして本当に悪かった。だが、そのおかげで国に仇なす悪党の正体を突き止めることができた。礼を言う」

遊び人の横顔には隠し切れない真剣さが浮かんでいた。これが本当のこの人なんだ、と初めて彼の本質に触れられた気がして、危機に瀕しているのも忘れてリブはときめきを感じてしまう。

「おのれ、貴様、一体何者だ?」

闖入者に激怒する藩主に向かって、青年はまたしてもへらへら笑って、

「おいおい、つれないことを言ってくれるなよ。あんたとおれは満更知らない仲じゃないんだぜ?」

貴様のような与太者など知るか、と言い放とうとした巨漢の挙動がぴたりと停止する。記憶の奥底から何かが甦るのを感じていた。悪趣味な服装の男の異変を気にすることなく、

「あんたが麻薬の元締めだというのはつかんでいたんだが、何処で作っているのか皆目見当がつかなくて困ってたんだ。まさか、後宮の地下に工場があったとはな。なかなか考えたもんだ、とその点だけは褒めておいてやる」

遊び人が不敵な笑顔を見せたことで藩主の怒りは頂点に達し、

(「あのお方」がここにいるはずがない)

と束の間生じた迷いを無理矢理振り切る。

「自分の置かれた状況がよくわかっておらんようだな。この人数を相手に無事で済むとでも思っているのか、この馬鹿者めが」

その2人をたたっ斬れ、と大音声で命令が発せられたのと同時に、男たちがリブと遊び人に向かって襲い掛かる。

「しっかりつかまってな」

青年のたくましい腕が美女の細い腰に伸びたかと思うと、密着した2人の身体は宙へと舞い上がり、一瞬にして死の包囲網から抜け出ていた。

「なに?」

謎の人物の驚異的な跳躍力に、藩主は口をあんぐりを開ける。

「ずっとこうしていたいところだが、そうもいかないか」

リブの身体をしっかりと抱きしめた若者は身体から沸き起こる熱情を打ち消してから、「離れてろよ」と少しだけ名残惜しそうに抱擁を解くと、

「状況がわかってないのはあんたらの方だと思うぜ」

と言うなり、一番近くにいたごろつきを床にたたきつけ、そいつが手にしていただんびらを奪い取った。とんでもない強さだ、とその場にいた誰もが認識させられる。

「それだけの人数で、おれを相手にして無事に済むとでも思ってるのか?」

獣じみた凄愴な気配を発しながら青年が悪漢どもに真っ向から挑みかかり、たちまち剣戟が始まった。刃が閃光を放ち高い音で鳴り、地下室は戦場と化す。

(すごい)

少し遠い場所まで逃げていたリブには青年の強さがよくわかった。並み居る悪党をまるで寄せ付けない。しかし、一番に驚いていたのは、彼が敵の命まで奪わないことだった。傷つけはしても殺しはしない。そういったポリシーの持ち主なのだろうか。

「さあ、残るはあんただけだ」

あっという間に全員を打ち倒した遊び人はだんびらの切先を藩主の鼻面に突きつける。

「あんたもこの国では知られた男だ。まだ誇りが残っているなら、潔く縛に付け」

投降を促された巨漢は「ううう」と傷つき追われた猪のごとき呻き声を漏らしてから、

「だあっ!」

と絶叫しながら馬鹿力でテーブルを横倒しにして逃走を図った。

「しまった!」

青年が舌打ちしたのは、藩主の狙いが読めたからだ。工場の隅に避難しているリブを捕らえて人質にするつもりなのだろう。うおおおお、と両手を振り上げて死に物狂いで駆けてくる男を見て、女占い師は「やれやれ」と溜息をついてから、

「えいっ」

背中に隠し持っていた木材を、ごいん、と思い切りその横面に叩きこむ。女占い師は優れた洞察力でもって、ボスの目論見を見抜いて鈍器をあらかじめ用意していたのだ。

「ぶべっ!」

妖艶な美女からの予想外の攻撃に藩主はたまらず昏倒する。襲い来る激しい痛みは神の国からもたらされた福音でもあった。どれほど懇願しても自分を痛めつけてくれなかった娘が、ようやく自分を打擲してくれたのだ。何を犠牲にしても惜しくはない、と思えるほどの快感に包まれた男の意識が白い光に包まれ、そのまま消失する。

「どうしてこいつは笑ってるんだ?」

気絶した藩主がにやけ顔を浮かべて倒れているのを見下ろして、青年が首を捻ると、

「さあね」

なんとなく事情を察したリブは返事を濁した。秘められた性癖を明かさなかったのは、彼女なりの優しさだったのかもしれない。そこへ、

「ご無事でしたか」

数十人もの男たちが工場の中に駆けこんできた。統一された服装で、俊敏な動作をしているところを見ると、官憲の役人たちだと思われた。

「申し訳ありません。やってくるのが遅れました」

リーダー格と思しき、いかにも真面目そうな、遊び人と同年代の口髭を生やした青年が頭を下げると、

「なに。おれの方こそ勝手におっぱじめちまって悪かった。このお嬢さんが危なくなるのを抛っておくわけにはいかなかったのでな」

遊び人は平然と答えた。普段街角で飲んだくれた姿からは想像できない威厳に溢れた様子にリブは言葉を失う。

「ははあ、なるほど。若殿がこの件にことのほか熱心なのを不思議に思っていましたが、やはりいつもの病気が出たのですか」

呆れ顔になる口髭の隊長に、

「病気とか言うなよ。美しいものを愛するのがおれの宿命だ」

それに従ったまでのことさ、とおどける遊び人に向かって、

「ねえ、あなたってもしかして」

リブがささやく。その目が少しだけ大きくなっていたのは、真実に気が付いたからだろう。

「あー、ばれちまったか」

気まずそうに遊び人は頭を掻いた。さっき隊長が「若殿」と不用意に漏らしたのをこの賢い娘は聞き逃してくれなかったものと推測できた。しゃあない、と観念した細面の若者はリブの顔をしっかりと見つめて、

「あんたの想像通りだ。おれは太守の嫡男で、いずれその後を継ぐことになっている身だ」

と、道化の仮面を脱ぎ捨てた未来の国家指導者は重々しい声でその正体を明かした。

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