第55話 女占い師、世界を巡る(その2)

ヴィキン女王国の首都ミョジョの北西に位置するアプロの港から船に乗ったリブとテンヴィー婆さんは大陸の東端をまわって南下してカイネップ洋国に出るつもりでいた。陸路でモクジュ諸侯国連邦へと向かうこともできたが、ヴィキンとモクジュの間には「空白地帯」が存在し、そこで行われている戦争が終わるにはセイジア・タリウスの登場を待たねばならず(この時点で彼女はまだ騎士にもなっていなかった)、占い師たちがなるべく安全なルートを取ろうとしたのは当然の判断だったと言えよう。

しかし、危険は海の上にも存在した。あと数日でカイネップに上陸できる、という海域まで来たところで、リブたちの乗った船は海賊船に拿捕されてしまったのだ。荒くれ者たちに捕らえられた占い師の師弟は、その超人的な能力を見込まれて、東の大洋に隠された伝説の秘宝探しを手伝わされることになったのだが、そこへ海賊退治に乗り出したメイプル皇国の戦士たちも襲来してきて、大冒険が繰り広げられることとなったのである。現代において大陸全土の子供たちに親しまれている小説「魔法使いリズと秘密の宝島」はこのときのリブたちの体験談が元になっている、というのは一部でよく知られた話である。

「わたしはリブさんから聞いたお話をほとんどそのまま書いたつもりです」

と、物語の作者である女流作家はよく語っていたとされるが、

「いくらわたしでも魔法は使えないわよ」

人気作品のヒロインである妖艶な魔女のモデルではないか、と訊かれるたびにリブは苦笑いと共に煙に巻いていたという。


「骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだわ」

数々の災難を乗り越えて、どうにかカイネップへとたどりついたリブはうんざりした顔でそう言った。生命を危険に晒したにもかかわらず、結局財宝はおろか、一銭も得られなかったのだから愚痴も言いたくなるというものだったが、

「命あっての物種、ってやつさ」

老婆が年長者らしいゆとりでもってつぶやくと、

「そう思うしかなさそうね」

若い占い師はすぐに立ち直った。物欲はさほど強くないので、財宝に執着があるわけでもなく、五体満足で無事に帰れたのに満足すべきなのだろう。

「元気になったばかりで悪いんだが」

「なによ」

勿体ぶった様子の師匠を弟子が見つめると、

「また旅に出るよ」

えーっ、と叫びたくなるのをリブはどうにかこらえた。カイネップに到着してほんの数日しか経っていないのに、あまりにも気が早すぎる、と言いたくなったが、

「そうしなくちゃいけない気がするんだ」

と言われれば反論することはできなかった。こういうときのばあさんの勘はよく当たるのをリブはよく知っていた。そのおかげで旅の過程で何度も命を救われている。

「じゃあ、モクジュに行くの?」

少女の質問は常識的な思考に基づくものだった。2人の現在地である港町から西に向かえばモクジュの国境まで数日でたどりつく。だが、

「いいや」

老女は短い首を横に振って、

「サタドへ行くよ」

とつぶやいたのでリブはまた驚いてしまう。サタド城国はカイネップの西方に位置する大国だが、国の四囲を城壁で固めていて外部の人間は容易に出入りすることができない。それに加えて、占い師は賤しい業種と見られがちだ。とても入国が許可されるとは思えなかったが、

「その辺はどうにでもなる」

テンヴィー婆さんは堂々とした様子で弟子の不安を一蹴する。何か伝手でもあるのだろう、とリブは思うことにしたが、それ以上に、

(おばあちゃん、モクジュに行きたくないみたい)

という気がしてならなかった。老婆は自らの長い人生を語ることは滅多になく、彼女が何を抱えて生きてきたのか、推測に頼らざるを得ない。もしかすると、モクジュにテンヴィー婆さんの生まれ故郷があるのかもしれない、とも思ったが、尊敬する女性の秘められた過去を詮索するのはやめよう、とリブは考える。少女はまだ短い時間しか生きてはいなかったが、過ぎ去った日々に残された深い傷を忘れたことは一度としてなかった。リブの胸の裡から望郷の念が消えたわけではない。しかし、忌まわしい記憶の残る土地から遠ざかりたい気持ちの方が強かった。だから、美しい娘は老婆の決断に異を唱えることなく、同じ痛みを持つ者としてともに旅を続けていくことにした。


サタドへと通じる城門ゲートを目指して、若くセクシーな占い師と短躯の老占い師の凸凹コンビはカイネップの地を南西の方角にルートを取った。夏も盛りの熱帯の地を歩くのは婆さんはもちろん、まだ10代のリブにも厳しいものがあったが、強い日差しの下で咲き乱れる原色の花々や、紺碧の海から強く漂う潮の香りが彼女を楽しませ、旅路に倦むことはなかった。途中で首都トリトに立ち寄った後(滞在中の宿屋で発生した密室殺人をリブはたちどころに解決している)、出発から3か月後に城門に到着した。

「うわあ」

天にも届くかと思われるほどの高い壁を見上げてリブは思わず声を上げてしまう。灰色に塗り固められた防塞は見るだけで気持ちが萎えてくるものがあった。それだけでなく、周囲にはいくつもの死体が磔にされていて、国境を侵犯しようとした者への見せしめとなっていた。何の頼りもない自分たちが入るのはやっぱり無理なのではないか、と少女はハラハラしていたが、

「おお、あなた様は」

テンヴィー婆さんに手渡されたしわくちゃの書類を見るなり、いかつい顔をした警備隊長は表情を一変させて、

「ようこそいらっしゃいました」

と、あっさり入国を認めてくれた。

「どんな手を使ったの?」

ひそひそ声でリブが訊ねると、

「ちょっとしたイカサマさ」

老婆は人の悪い笑顔で答えた。手品の種を知ることはできなかったが、リブも長い旅の間にその手の「イカサマ」をいくつも覚え、使うことに躊躇がなくなっていた。正しいだけでは生きてはいけない。まずは強くなって、自分の身を守ることだ。数々の失敗から教訓を得て、娘はしたたかさを身につけていた。最強の女騎士セイジア・タリウスの親友にふさわしいふてぶてしいまでの度胸は、この時期において育まれたものだったのだ。


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