第54話 女占い師、世界を巡る(その1)

「あんたもすっかりいけるくちになったね」

陶器のコップに口を付けたテンヴィー婆さんにそう言われて、

「まあね」

既に酒を飲み干していたリブ・テンヴィーは気怠そうに返事をする。酒を飲むようになってもう数年になる。まだ見習いだった頃に、酒屋で買ってきた安いワインを夜中に隠れてこっそり飲んでいるところを婆さんに見つかったのが始まりだった。老占い師は弟子を叱りはせずに、

「酒は楽しく飲むもんだよ」

と少し寂しげにつぶやいた。慣れない生活に心身を擦り減らしているうえに、「力」をコントロールできずに苦しんでいる少女が酒に逃げようとしたのを理解していたのだろう。頭ごなしに怒れば、少女は道を踏み外しかねない。

「あたしも一緒に付き合ってやるから」

それ以来、老婆は毎晩リブと一緒に晩酌をたしなむようになり、そのうちに弟子も自分に合った飲み方がわかってきて、いまや立派な酒飲みに成長(?)していた、というわけである。

店先に置かれた長椅子に並んで腰掛けた占い師の師弟は好対照をなしていて、齢90に近づいた老婆がますます背が縮んで二頭身のマスコットキャラのように見える一方で、19歳のリブの身長は高くなり、身体も全体的にボリュームを増して「大人の魅力」を早くも身に付けつつあるように思われた。今、彼女は深緑のロングドレスを身にまとっていて、肩も腕も胸の上半分も隠そうとはしていなかった。深い切れ込みから見える2つの長い足の脚線美は破壊的なまでの威力を誇っていて、さっき酒を運んできた店の主人が危うくコップを取り落としそうになったのも無理からぬものと思われた。デビューを飾った「レッド・パール」の一夜から、若き女占い師は露出度の高い恰好を好みだして、自らの魅力を積極的にアピールするようになっていた。リブの美しさにとち狂った男たちによってトラブルに巻き込まれることもたびたびあって、

「あんたが街を歩くだけで風紀が乱れる」

老婆は皮肉を言ってみたが、「誰のせいだと思ってるのよ」と弟子に反論されれば返す言葉がないのも事実だった。嫌がる娘に破廉恥な服装を無理矢理させた過去は消したくても消せはしない。

(まあ、度胸がついて何よりだ、と思うべきなんだろうね)

そう考えながら顔を上げたテンヴィー婆さんの視線の先には、頑丈な壁が高く聳え立っていた。サタド城国を外部の侵略から数百年にわたって守ってきた無敵の防御だ。老女と美少女があの壁を越えてから、まだ1時間も経っていない。

「ここまで来ればもう追ってこないだろう」

ばあさんの声には安堵が含まれていたが、

「さあ。どうかしらね」

リブはまだ不安を捨てきれてはいないようだった。自分自身が狙われているせいで楽観的になれない、ということもあっただろうが、彼女の美貌に影が差している理由が他にもう一つあるように、師匠には思われていた。

(ここはあの子の生まれ故郷だ)

サタドの北の国境を越えた2人は、アステラ王国に足を踏み入れていた。リボン・アマカリーとして旅立って以来、6年ぶりにリブは祖国に戻ってきたことになる。


「旅に出るよ」

テンヴィー婆さんがそんなことを言い出したのは、リブが「レッド・パール」で初仕事を終えて間もない頃だった。何の前触れもない突然の発言に、一人で仕事をこなすのに慣れ始めていた少女は大いに困惑したが、「そんなものかな」と納得もしていた。もともと放浪癖のある老婆が定住してに店を構えていた方がイレギュラーなのだ。この街にも住み飽きたのだろう、と素直に受け入れると、久々に旅に出ることに気持ちが昂るのを感じていた。ばあさんに拾われてマズカ帝国からマキスィ都市連合へとやってきた長い道のりは険しくつらいものだったが、楽しい思い出もたくさんあって、得難い経験をすることで大きく成長できたのだ。今度の旅路もそうなればいい、と願いながら、リブは師匠と共にエルメの港から出る船に乗って旅立った。後になって、美しい新人占い師の評判を聞きつけたマキスィの統領が彼女を自分の元に呼び出そうとしていた、という噂を少女は聞かされることになる。当時の統領は色好みとして悪評が高く、もし出向いていたら占い以上のことをさせられたに違いなかった。

(おばあちゃんは気づいてたんだ)

神がかりの力を持つ老占い師ならば予見して不思議はなかったが、

「何のことだかさっぱりわからないね」

話を聞こうとしてもとぼけられてしまった。あるいは本当に偶然だったのかもしれないが。

ともあれ、2人の占い師を乗せた船は北の大洋へと出て東へと進んだ。生まれて初めての船旅はリブにとって驚くことばかりで、冬の荒波の中に漂う流氷、海面から飛び出す鯨や鯱、そういった光景は彼女の中で美しい記憶として長く残されることとなった。1か月近くの航海の末に2人はヴィキン女王国にたどりついた。その名の通り、女の君主が代々統治する旨が定められている古い国だ。首都ミョジョは東西に分かれた美しい街で、

「ここで暮らせたら素敵ね」

と少女はうきうきしていたが、到着してすぐにちょっとした事件に巻き込まれて、面倒なことになった、と思っているうちに、あれよあれよ、という間に女王国の後継者争いに首を突っ込む羽目になり、それが原因で命を狙われた占い師の師弟はやむを得ず解決に乗り出し、見事に事態を収束させて、女王陛下から直接お褒めのお言葉を頂く栄誉に浴することになった。

「旅に出るよ」

老婆に再び言われたのは、女王に謁見した翌日のことだったが、今度はリブも意外には思わなかった。ヴィキンの地は外国人にあまり寛容な土地柄ではなく、良くも悪くも目立ってしまった占い師たちがさらなるトラブルに巻き込まれるであろうことは、人一倍賢い娘にはすぐに想像がついた。滞在を続けたところでろくなことはありそうもない。かくして、師弟は流浪の旅へと再度旅立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る