第56話 女占い師、世界を巡る(その3)

「サタドは岩と砂しかない土地だ」

という子供の頃に読んだ旅行記の記述は間違いではなかった、と現地を訪れたリブは感じていた。国土の大半が砂漠に占められ、過酷な環境に暮らす人々の性格も酷薄に思われてしまう。しかし、実際に来てみなければわからないこともある、とも思っていた。ラクダという動物の乗り心地は本を読むだけではとても想像がつかなかったし、旅の途中で立ち寄ったオアシスの緑の美しさは例えようのないものがあった。そんなオアシスのひとつで若い女占い師は一人の老人と出会った。白い髭を長く伸ばした、見るからに薄汚れた風体をした老爺が、手にした弦楽器をかき鳴らした途端、たちまち賢者のごとき風格を表に出したのには驚かされてしまった。老いた吟遊詩人の歌は聞く者の心を激しく揺れ動かさずにはおかないほどの、まさしく絶品と評するべきもので、天上で奏でられる音楽とはまさにこのことだ、とリブは賞賛を惜しまなかったのだが、

「なんのなんの。わしよりも弟子の方が技量は数段上だ」

と言ったのでさらに仰天してしまう。そんな腕前の持ち主がいるとすれば、もはや人間ではなく、天使か悪魔なのではないか。

「ははは。お嬢さん、なかなか上手いことを仰る。わしも『楽聖』などという身に余る二つ名を奉られて辟易しておるが、それで言うならうちの弟子は『楽神』とでも呼ぶべきなのであろうな。ただ、人の身でありながら神として生きることは幸いよりも不幸が多い気もするが」

ヤンギ・ヒジャという名の歌うたいは遠い目をして荒野を転がる根無し草を見つめた。自らを越えて遥かな道を歩もうとする愛弟子への思いが感じられる視線だったが、

「親がいなくても子は育つ、というから、あんたの弟子も自分で勝手にどうにかやっていくんだろうさ。心配したって始まらないよ」

テンヴィー婆さんがそっけなく言い放つ。彼女もヒジャ老人と同じく優れた弟子を持つがゆえの苦労を感じていたからなのか、その口調はサタドの砂漠以上に乾いたものになっていた。

「それならばいいのだが。あいつは今、一人で修業の旅に出ておるから、あんたたちも何処かで出会うことがあれば歌を聴いてやってくれ」

そのとき出会えなかった「楽聖」の弟子カリー・コンプと数年後にセイジア・タリウスを介して知り合うことになるとは、さすがのリブにも予想がつかないことであった。


荒涼とした赤い大地を北へと向かううちに、2人の占い師は首都ティタにたどり着いた。100万を超える住民が暮らし、交易の一大ターミナルとして栄える大陸最大の都市だ。

「そろそろ懐具合も寂しくなってきたしね」

路銀を得るために婆さんは占いの店を出すことにした。元手もなしにすぐに始められるのがこの商売のいいところかもしれない。もちろん、事前にあちこちに許可を取る必要はあったが、百戦錬磨の老婆は瞬く間に各方面との交渉をまとめることに成功し、ティタに着いたその日のうちに路上で露店を開いていたのだから、手際の良さには驚くべきものがあり、弟子としては学ぶべきところが多かった。

一度店を出してしまえばしめたもので、鬼神のごとき眼力を誇る2人の占い師はたちまち評判を呼び、多くの客を集めるようになった。これなら旅費もすぐに稼げるに違いない、と思っていたが、このときリブもテンヴィー婆さんも大事なことをうっかり忘れてしまっていた。客が多く来る、ということは、その中には招かれざる客もいる、ということを。


その男が来たのは、ある蒸し暑い夜のことだった。

「あっ。あたし、運勢を見てもらいたーい」

さほど知性が高いとも思ない若い女の嬌声の後で、

「そうかい、そうかい。じゃあ、見てもらうといい」

明らかに酔っぱらった男の声が聞こえたかと思うと、どたどた、と数人の若者が店へと雪崩れ込んできた。四角いテーブルの周りを布で仕切っただけの、簡素な造りの店は危うく崩壊しそうになるが、酔っぱらいの集団は悪びれもせず、げらげら笑っている。このとき、婆さんはたまたま留守にしていたので、リブが応対するしかなく、「面倒なことになった」という本音を胸の奥底に押し込んで、早急にお引き取り願うことにしよう、と営業用のスマイルを提供しつつも考える。長い旅の間にそれなりの経験を積んでいた少女は、トラブルにもしっかり対応できる力が身についていた。

彼らの素性はすぐに判明した。酒のおかげで口が軽くなっていたので、わざわざ聞き出すまでもなく自分から喋ってくれたのだ。この街でも有名な遊び人のグループだ。とりわけリーダーの男は、もともとは金持ちの生まれだったというが、勘当されても反省することなく、今でも「飲む・打つ・買う」の放蕩三昧で、

「ほんと、こいつってばとんでもない馬鹿息子なんだよね」

占い師でなくても水商売あがりだとわかるけばけばしい化粧の女にからかわれても、

「言ってろよ」

気分を害した様子もなくへらへら笑って、高級な服を着崩したやくざ者は手にした瓶からぐびぐびと酒をラッパ飲みし、何もおかしいこともないはずなのに、飲んだくれたちは爆笑する。実に見下げ果てた連中、と評するしかない若者たちだったが、

(違う)

リブの眼には異なるものが見えていた。他はみんなどうしようもないダメ人間だが、トップの青年だけはただものではない、ということが美しき占い師にはわかってしまったのだ。堕落した仮面の裏側にきわめて怜悧な素顔が隠されている。何故本当の自分を隠し愚か者を装う必要があるのか、それはわからない。だが、

(この人は危ない)

それだけはわかっていた。豹の素早さと鷲の狡猾さに加えて蠍の猛毒を併せ持っている男に迂闊に触れればただでは済まない。だから、深く関わる前に帰ってもらおう、と考えて適当にあしらおうとするが、

「ふうん。そういうことか」

酔漢に似合わない瞳の輝きが見えたとき、リブは観念していた。わたしが正体に気付いたことに、彼は気付いてしまった。それがわかったのだ。どうにか素知らぬふりをしようとしたが上手く行かなかったようだ。ポーカーフェイスは上手くやれるつもりでいたが、賢い人間には通用しないのだろう。とはいえ、

「あんた、とてもきれいだな。気に入ったぜ」

リブ・テンヴィーの美貌を目にした青年が何もせずに済ませたとも考えにくく、出会ってしまった以上、何をしようが運命の渦に飲み込まれるのは必然だったのかもしれない、と後になって彼女はしばしば思い出すことになる。




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