第31話 ある令嬢の初恋(その4)
リボンの名誉を回復するために身体を張ったことをセドリックは自慢したりはせず、守られた少女に恩着せがましいことを言ったりもしなかった。ただ、
「ああいうことは二度としないで」
ボロボロになった少年の姿にショックを受けたアマカリー家の娘が、事件からしばらく経って幼馴染に語気を強めて注意をしても、タリウス家の跡取りは何も言わずに「ふっ」と小さく笑って顔を背けただけだった。再び同じ場面に遭遇したとしても、彼は迷うことなくまたもや自分の身を顧みずに彼女を守るつもりなのだろう、と察したリボンは嬉しくなるよりもうんざりしてしまう。そこまでしてもらいたくなどないのだ。もっと自分を大切にしてほしいのに。一体何が彼をそうさせるのか。
(もしかして、セディは)
普通の女の子でも男の子が自分のために捨て身になったとしたら、恋心が彼を突き動かしたのだろう、と思うはずで、平均を上回る知能の持ち主であるリボンも当然そのように思っていた。いつも生意気なことばかり言って、彼の言うことなどちっとも聞かないのに、どうしてこんなわたしを好きになってくれるのだろうか。不思議に思いながらも、少女は胸の高鳴りを抑えることができなくなり、いずれ告白される日が来るものと思って、セドリックと会うたびにどぎまぎするようになってしまっていた。だが、待てど暮らせど金髪の少年は少女に対して何も言うことのないまま時間だけが経過していき、リボンはそのうち不満を抱くようになり、やがてそれは軽蔑へと変化していった。あのときの勇敢な行動は何かの間違いで、やっぱりこの子はただのお馬鹿さんで意気地なしなんだ、といつしか思い込んでいた。そして今、
「この前、遠乗りに出かけたときに、レドのお兄さんやマギラさんたちがきみのことを噂してたんだ。だから、きみって本当にもてるんだなあ、と思って」
赤面しながらこんなことを話し出したセドリックを心の底から馬鹿だと思っていた。
「わたしがもてたからって、あなたにどんな関係があるのよ」
季節が突然真冬に変わったのか、と聞く者が思うほどに冷たい声だったが、それは彼女の心境を正確に反映したものでもあった。そう言われた少年は急に慌てて、
「いや、だって、きみは友達なんだから、気になるに決まってるじゃないか」
確かにわたしとあなたは「ともだち」よね、とリボンは皮肉な笑みを浮かべる。それ以上でもそれ以下でもない、と考えた令嬢の鋭く閃く瞳に射すくめられて、セドリックは身体を硬直させる。
「それなら、わたしも友達として言わせてもらうけど、あなただって結構モテモテなのよ、セドリック?」
「は?」
少年は驚いたが、リボンの言葉は事実でもあった。絶世の美女と称される母親から優れた容姿を受け継いだ彼は貴族の女性陣から熱い注目を浴びていて、
「リボンさん、あなた、タリウス様とお知り合いなんでしょ? もしよかったら紹介してくださらない?」
と同年代の女子から頼まれたことも一度ならずあった。
「そうねえ。もし今度誰かから頼まれたら、あなたを紹介することにしようかしら」
からかい半分でそう言ってみたところ、
「そんなことはしないでくれ」
温和な少年に珍しく強い語調で言い返された。
「え? でも、だって」
「その必要はない、って言ってるんだ」
あからさまに不機嫌になったセドリックにつられて、
(何いきなりキレてるのよ。馬鹿じゃないの)
リボンもむっとしてしまう。とはいうものの、彼に逆らわれるのに慣れておらず、多少動揺していたのも事実ではあった。昼下がりの庭園に険悪な雰囲気が漂いかけて、リボンはもう一度皮肉っぽく笑ってみせると、
「そうね。お互いに嫌なことはしないほうがよさそうね」
と言いながら立ち上がった。屋敷の方へと2、3歩向かいかけたところで振り返り、
「あなたもわたしのことなんか気にしないでいいのよ。おばかで弱虫のセドリック・タリウス」
明らかに嘲笑われているのに、まだ12歳だというのに、リボン・アマカリーの流し目があまりに蠱惑的すぎて、セドリックは感動を通り越して恐怖心を抱いてしまう。しかし、その後の彼の行動は素早かった。ふん、と少年への蔑みがこもった息を飛ばしながら足早に屋内に戻ろうとする少女の右の手首をつかむと、ぐい、とその細い身体を引き寄せた。
「えっ?」
セドリックに乱暴な真似をされたことのないリボンは驚いた後で大いに困惑していた。あの意気地なしのセディがこんなことを? と思っていた。臆病で泣き虫のおぼっちゃんのはずなのに、彼女を間近で見つめるまなざしは真剣そのもので、凛々しさすら感じられる。成長した未来の自分から男らしさを前借りしてきたのかも、と突飛な空想をしてしまうが、
「なによ? 殴ろうっていうの?」
どうにか笑ってみせたつもりだったが、上手く行った自信はあまりない。男の子に触られるのは、たとえそれがよく知っているセドリックでも怖かった。しかし、だからといって、向こうのいいようにされるつもりなどなかった。力の限り反撃してやろう、と心を決めて、ビンタしてやろうと空いている左手を振り上げようとしたが、
「そんなことしないよ」
セドリックが柔和な笑みをこぼしたので、リボンの俄仕立ての闘志は消え失せていく。
「きみを傷つけるくらいなら、死んだ方がマシだ」
その言葉に思わずどきっとしてしまう。少年が本気でそう考えているのがよくわかったからだ。でも、それなら彼はこれから何をしようとしているのか。賢い少女にもわからずにとまどっていると、
「リボン・アマカリー」
真剣に見つめられて、真剣な声をかけられたので、
「はい」
と合わせるつもりはなかったのに、こっちも真剣に返事をしてしまう。セドリックは小さく頷いてから、リボンの右手をとったまま地面に片膝をつくと、少女の顔を見上げた。その瞳は空よりも海よりも青く、神々しいものを見るときにだけそのように色を変えるのかもしれなかった。そして、
「ぼくと結婚してください」
少し震えた声で告げてから、少女の白く小さな右の手の甲にそっと唇をつけた。
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