第30話 ある令嬢の初恋(その3)

セドリックの言葉を耳にして、

「この世で一番くだらない話題が出た」

とリボン・アマカリーの顔には書いてあって、実際そう思っていた。後に恋愛相談の名手として知られるようになる彼女も、少女の頃にはその美しさゆえに事あるごとに色恋を持ち出されて、ほとほとうんざりしていたのだ。

貴族の子供たちにも人づきあいというものはあって、リボンも同年代の令嬢たちと一緒になって話をすることもあったのだが、彼女たちときたら、「どこそこの子息のルックスはいけている」「どうしたら殿方の気を引けるか」「初体験を迎えるにあたってどんな準備が必要なのか」などなど、異性の話しかしないのに呆れ果ててしまっていた。それ以外に出てくるものといえば、化粧品とファッションくらいのものので、結局それもラブ・アフェアーにまつわる話題、ということになる。馬鹿じゃなかろうか、世の中にはもっと他にいくらでも大事な話があるというのに、来る日も来る日も男の子のことしか頭にないなんて、盛りのついた犬猫じゃあるまいし、と思っていたし、その考えを口にして平和な語らいの場を凍り付かせたこともある。それ以来、ガールズトークの場には呼ばれなくなり陰口を叩かれるようになったが、別に間違ったことを言ったつもりはなかったので、かえってせいせいした、と12歳の少女は思っていた。

「いくら正しくても、それをそのまま言うと相手を傷つけてしまうのよ」

女占い師リブ・テンヴィーならリボン・アマカリーにそのように忠告してくれたかもしれないが、そのときの少女は、自分の考えが絶対的に正しい、と信じて疑いもしていなかった。

ただ、馬鹿さ加減においては女も男も変わらない、とリボンは考えていた。貴族の少年たちの振舞いも、彼女から見れば実にひどいものだった。思春期に至り性に目覚めかけた彼らにとってみれば、空から舞い降りた天使のごとき美しさを誇るアマカリー家の令嬢は、何を引き換えにしてでも口にしたい極上の美味以外の何物でもなかった。だから、少年たちは彼女にアタックを繰り返した。甘い言葉で口説き、スペックの高さをアピールし、時には体を触ったりするなど、強引にアプローチすることもあった。しかし、狙われた娘にとってそれは迷惑でしかなく、遠回しの拒絶が通じないと見ると、相手の欠点を情け容赦なくびしびしと指摘しては、図体ばかりでかい未熟なおぼっちゃんたちをコテンパンに叩きのめしていた。リボンとしてはやりたくてやっているわけではなく、降りかかる火の粉を払いのけたまでのことだが、そうやって男子たちを撃退しまくったおかげで、彼女はすっかり同年代の友人たちを失うことになってしまった。男の子はリボンに憧れながらも恐れ、女の子はリボンを嫉妬し嫌っていた(恋愛に興味のない彼女が、男子の一番人気だというのは、女子にとってどうにも我慢できない事実だった)。

なんて生きづらい世の中、とブルネットの髪の少女は溜息をつく。人が羨むほどの美しさと賢さを生まれつき持ち合わせたおかげで、彼女の人生には波風が付き物のようになり、それはこれからも変わらないのだろう、とうんざりしてしまう。どうせあと何年もすれば、どこかの誰かと婚約して家を継がねばならないのだ。貴族の娘の相手にふさわしいのはやはり貴族なのだろうが、彼女に迫ってきた少年たちはもちろんのこと、アステラの実力者である祖父を訪ねてきたそれなりに位の高い男たちも、馬と酒と金のことしか頭にないろくでもない連中ばかりだった。芸術を愛好し、自ら絵筆を握ることもあるアマカリー子爵を孫として尊敬していたが、それはあくまで例外中の例外なのだろう。ともあれ少女は前途に用意されているはずの結婚に何ら希望が持てず、男性という存在のあさはかさに呆れることしかできなかった。

(でも)

リボンはすぐそばで顔を赤くしている金髪の少年を横目でちらりと見て、

(セディは他の人と違う気がする)

そう思うのは幼馴染としての身贔屓ではなく、彼女自身の経験から判断したことだった。もう1年前のことになるだろうか。ある男爵家の昼餐に祖父と叔父夫婦とともに招かれたリボンは、食事を終えると屋敷の外に出ていた。祖父は知り合いとの話に夢中で相手をしてくれそうになく、叔父と叔母とはそもそも仲が良くなかったので、少女は自分で暇を潰す手段を見つけなければならなかった。広い庭のあちこちに、いくつかのグループが出来ていた。立ったまま話し込む男女、丸いテーブルを囲んで談笑するおばさま方、羽根つきをする子供たち。誰もが誰かと一緒で、ひとりきりなのはリボンだけなのかもしれなかったが、孤独に慣れた誇り高い娘はフリルのついた黄色いドレスを身にまとって、庭の隅にある花壇へと足を運ぶ。初めて来る場所にある見知らぬ草花を観察しているうちに心が安らいでいくのを感じていたが、

「こっちへ来なよ、かわいこちゃん」

へらへらした笑い声が彼女の平穏を打ち破った。あえて無視していると、

「ツンツンした顔もかわいいよ」

今度はげらげらと爆笑が耳に届く。仕方なく顔の向きを変えると、予想通り何人かの貴族の少年たちが群れ集まっていた。いずれも彼女よりも少し年上で、今までにも何度か声をかけられた記憶もあったが、名前までは覚えていなかった。セックスのことしか頭にない愚か者のデータを脳内に保存する必要があるはずもない。面倒なのに見つかった、と思ったリボンはなるべく感情を表に出さないようにつとめて、その場を立ち去ろうとするが、

「なあ、いつまでもお高くとまってるなよ」

それでも彼らを刺激してしまったらしく、一人の少年が近づいてきた。赤く染めた髪を長く伸ばした、いかにも気障なやつだ。身なりはいいが、内面の品の無さを隠し通せてはいない。

「おれたちと遊ぼうぜ。お嬢ちゃん」

そう言いながら伸ばしかけた手は、

「それ以上近づかないで」

鞭のように鋭い声でぴくりと止まる。年下で身体も小さく、強引につかみかかれば思い通りになるはずなのに、紫の瞳に見つめられると動きが取れなくなった。

(なんだこいつ。妙に迫力がありやがる)

冷や汗を流すイケメン風の少年がこれ以上迫ってこないと見て、

「わたしのことは抛っておいて」

リボンは背中を向けてゆっくりと立ち去ろうとする。

「なんだよ。だらしねえ」

仲間にナンパの失敗を笑われた少年はかっとなって、

「うるせえ!」

と吠えた後で、少女の後ろ姿をいまいましそうに睨みつけて、

「いい気になってんじゃねえぞ、ブス!」

と叫んだ。負け惜しみの憎まれ口でしかない、というのはわかったが、しかしそれでも容姿を貶める言動は女性の心をひどく傷つけるものに違いなく、リボン・アマカリーがいかに聡明であるといっても、冷静なままではいられなかった。頭に血が上り、涙が出そうになるが、泣いてしまえば相手に傷つけられたのを認めることになるので、どうにか我慢をしてこの場を離れようとしたそのとき、どん、という音が後ろの方から聞こえてきた。

「えっ?」

振り返ると、さっき少女を罵倒した少年がみっともなく尻餅をついていた。そして、

「リボンちゃんに謝れ」

セドリック・タリウスが年上の男子に告げていた。

(まさか、セディ?)

そういえば、幼馴染の少年も今日ここに来ていたのをリボンは思い出す。食事が始まる前に一言二言挨拶を交わしただけだったので、つい忘れてしまっていた。

「リボンちゃんに謝れ。レディに失礼な口を利くんじゃない」

言っていることは立派だったが、少年の顔は青ざめ声は震え、まるで迫力がない。突き飛ばされた赤髪の男子は、

「やってくれたな、てめえ」

と言いながら立ち上がるとすぐに、セドリックの胸を突き飛ばす。ついさっきやられたことをやりかえしたのだ。大きく吹き飛ばされながらもどうにか転ばなかった金髪の少年は、

「リボンちゃんに謝れ」

もう一度繰り返した。しかし、体格に劣るうえに明らかに怯えている男子の言葉は逆効果にしかならず、

「他人の心配をしている場合じゃねえだろ」

と言いながら近づいてきた赤髪に思い切り頬を張られた。

「セディ!」

リボンは悲鳴を上げる。優しく大人しい性格のセドリックはこれまでに喧嘩などしたことはない。顔面を襲う激痛と暴力をふるわれた恐怖でタリウス家の少年の両目から涙がこぼれるが、

「リボンちゃんに謝れ」

それでも彼は屈しなかった。しかし、それが年上の少年の怒りに火をつけてしまい、

「しつけえんだよ!」

普段はお上品なうわべに隠されている粗暴な本性が剥き出しとなり、殴る蹴るの暴行を加えられる。倒れ込んだセドリックは亀のように身を固めるしかなく、最初はへらへら笑っていた赤髪の仲間たちも「おいおいマジか」「やりすぎなんじゃねえの」と明らかにドン引きしていた。他の招待客も庭の片隅の異変に気付いてざわつき出し、そのうちの何人かが屋敷の中へ駈け込んでいく。

(もういいから。セディ、もうやめて)

リボンは黙ってすすり泣くことしかできなかった。止めに入りたくても怖くて体が動かない。日頃は大層なことを考えていても、いざというときにまるで役に立てない自分を情けなく思っていると、

「いい気になってんじゃねえよ、馬鹿野郎」

がつん、と蹲った少年の頭を蹴ってから赤髪は離れようとする。あまり動いてもいないのに、肩で呼吸をしているところを見ると、大して身体も鍛えていないのだろう。だが、

「リボン、ちゃんに、あやま、れ」

血まみれになったセドリックに右足をつかまれて、赤髪は悲鳴を上げながら前につんのめる。

「なんだこいつ。しつこすぎだろ」

あまりの執念深さに肝を潰して、懸命になって足を振りほどこうとしている不良少年に向かって、だだだだだ! と何物かがものすごいスピードで突っ込んできて、

「だあっ!」

背中に衝撃を受けた赤髪が地面にひっくり返り、顔面を強打する。

「あにうえをいじめるなーっ!」

わあわあ泣き叫んだのは5歳のセイジア・タリウスだ。後に最強の女騎士となる幼女は、兄の危機を察知して助けにやってきたのだ。

「セディ!」

セイの登場がきっかけになったのか、ようやく身体が動くようになったリボンはセドリックの元へ駆けつける。

「きみ、だいじょうぶ? リボンちゃん?」

本来心配されるべき少年が傷だらけになってそんなことを言ってきたのが苛立たしく、

「馬鹿よ。あなたって本当に馬鹿よ。わたしのためにこんなこと」

感謝すべきはずなのに文句しか出て来ないのに余計に腹が立ってしまう。

「きみが無事なら、ぼくはそれでいいんだ」

そう言って、微笑みながら目を閉じたセドリックをリボンが抱きしめようとすると、

「あにうえ、あにうえ、あにうえーっ!」

泣きじゃくるセイに先を越されてしまった。

(なんでおまえが抱きつくんだよ)

せっかくのチャンスを逃がして残念に思っている少年の耳に、大勢の足音が聞こえてきた。騒ぎを知った大人たちがようやく駆けつけてきたのが、リボンの涙に濡れた目に映っていた。

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