第27話 雨の訪問者(後編)
「あなたがここに最初に来たときから思ってたんだけど」
リブ・テンヴィーは少し呆れた顔になって、
「あなたとセイって本当によく似てる」
そう言われた途端にセドリック・タリウスは憤然として、
「馬鹿なことを言ってほしくないな。あんな跳ねっかえりと一緒にされたらたまらない」
語気を強めて否定するが、
「だって、本当のことなんだから仕方ないじゃない。これと決めたら考えを変えない、頑固なところがそっくりよ」
嫣然とした微笑みに見とれながらも、「話にならない」とかぶりを振る伯爵。目の周りには黒い隈ができて、頬も少しこけている。彼の懊悩がまがいものでないことは占い師の慧眼でなくとも容易に見抜く事が出来ただろう。
「え?」
すっ、と伸びてきた白く光る腕に左手を取られてセドリックは驚く。
「こっちに来て。このままだと風邪を引いてしまうわ」
粘りに根負けしたのか、体のあちこちを雨で濡らした青年を見かねたのかはわからないが、再び彼女の家に入ることを許されたのにセドリックの体温は上がっていく。いったん奥に引っ込んだリブが、ぱたぱた、と足音を立てて玄関先へと戻ってきた。手にした白いタオルを若い貴族の頭にかけると、金色の髪についた水滴を拭い出す。
「しょうのない人ね」
くすくす、と笑い声が耳に届き、レンズの奥の紫の瞳に優しく見つめられた瞬間に、セドリックはもう我慢が出来なくなってしまい、向かい合ったリブの身体を抱きすくめていた。突然抱擁された占い師は息が詰まってしまうが、
「いきなりがっつくのは感心しないわね、セドリック」
すぐに冷静さを取り戻し、機械の方がまだしも感情があると思えるほどの平坦な声でたしなめた。その美貌ゆえにしつこく口説いてくる男の不埒な振る舞いには慣れてしまっているのかもしれない。
「いきなりじゃない」
タリウス家の当主は心の赴くままに言葉をほとばしらせる。
「ずっと待っていたんだ。きみに会える日をどれだけ待ったことか。きみが死んだと聞かされても、わたしはずっとずっと、きみだけを待ち続けたんだ」
彼女を抱きしめた両腕にさらに力を込め、
「リボン・アマカリー。それがきみの本当の名前だ」
耳元でささやかれたリブはそっと目を閉じると、
「わたしの名前はリブ・テンヴィーよ。何か勘違いをしているんじゃないかしら?」
否定してみせるが、さっきとは違ってその声はかすかに震えていた。
「勘違いなものか。きみを一目見たときから心を奪われていた。わたしが愛しているのは彼女だけのはずなのに、と大いに戸惑った。だが、そうじゃない、と今ならわかる。きみが彼女だから、わたしは恋に落ちたのだ、と。大人になって姿が変わり名前が変わっても、わたしはきみを決して忘れてはいなかったのだ。子供の頃から、ずっときみを、リボン・アマカリーをわたしは愛していた」
ひたむきな愛情は誰の心も動かさずにはおかないはずで、リブの気持ちも大いに揺らいでいた。だが、
「おめでたい人ね」
それでも、美女は頑なな態度を崩しはしなかった。
「なに?」
「子供の頃の恋がいつか実ると信じて待ち続けるなんて、呆れてものが言えない、って言ってるのよ。そんなおとぎ話みたいなこと、現実であるわけないじゃない」
「ああ、確かにきみの言う通りなのかもしれない。初恋は実らないものだ、と世間では言われているらしい」
セドリックは噴き出してしまう。彼女に言われて自分の愚かさに初めて気づいたのかもしれなかった。
「だが、そういう問題じゃないんだ」
「え?」
自分を抱きしめた青年の口ぶりがとても優しいものだったので、リブは思わず彼の顔を見上げていた。互いの視線がぶつかりあい、からみあい、結ばれていく。
「たとえ実らなかったとしても、わたしはきみを探し求めるつもりだった。わたしにとって、一生に一度の、最初で最後の恋だと決めていたからね」
そう言ってから、セドリックはリブのブルネットの髪に顔を埋めた。
「初めて本当のわたしになれた気がする」
とも思っていた。彼が今まで生きてきて味わったことのない満ち足りた気持ちにしてくれているのは、腕の中にいるリブに他ならなかった。自分の内側にぽっかり空いた欠落を埋めてくれるのが彼女であり、自分もまた彼女のために生きるべき存在なのだ、とわずかな時間だけで確信していた。
「馬鹿なことを言わないで。馬鹿よ。あなたは馬鹿よ。大馬鹿よ」
リブは懸命になってセドリックの腕から逃れようとするが、
「それなら、わたしは馬鹿でもかまわない」
伯爵は決して離すつもりはなく、彼女をしっかりと抱きしめ続ける。しばらくの後、抵抗は無意味だとわかったのか、リブは動きを止める。黙ったまま身体を寄せ合う男女の耳には外界の雨音だけが聞こえていた。やがて、
「そうよ」
リブがだしぬけに口を開いた。
「えっ?」
セドリックが彼女の白い顔を見つめると、
「そうよ。あなたの思った通り、わたしはリボン・アマカリーよ。それがわたしの本当の名前。とうの昔に捨てた名前。どう? これで満足?」
熱烈な愛の告白に心の防壁は破れ、彼に抱きしめられた身体は
「ちょっと、ちょっと待ちなさいよ!」
あまりに突然の出来事に占い師は迫り来る青年の頭を全力で押し返す。
「いったいどうしたというんだい、リボンちゃん?」
「いったいどうした、はこっちのセリフよ。『これで満足?』って訊いたら、いきなりキスしてくるなんてどういうつもりなのよ?」
「わたしはきみを愛しているんだ。愛する人に唇を捧げるのはごく自然なことじゃないか」
こいつ、頭がおかしくなってる。リブは呆れかえるが、あまりに堂々と頭がおかしくなられるとかえって対応が難しい、と困ってもいた。なおも、「リボンちゃん、リボンちゃん」と言いながらキスを迫る貴公子の顔を跳ねのけながら、
「あのねえ、その前にもっとやるべきことがあるんじゃないの?」
「と言うと?」
彼の妹と同じ青い瞳でまじまじで見つめられた占い師は戸惑いながら、
「あなたと会わなかった間、わたしがどうしていたか気にならない? どうしてわたしが名前を変えたのか知りたくない?」
その話をするのが先でしょう、と告げると、
「確かにきみの言う通りだ」
さっきまでの痴態はどこへやら、セドリック・タリウスはきりっとした表情になる。
「ぜひ教えてほしい。きみのことならなんでも知っておきたい」
「でも、それを知ったら、あなたはきっとわたしを嫌いになるわ」
馬鹿なことを言わないでくれ、と笑いながらセドリックはリブを再び強く抱きしめた。
「何があろうと、わたしがきみを嫌いになったりするものか」
そんなわけない。でも、そうであってほしい、と思うリブの目から涙がこぼれ落ちた。ずっと自分の胸だけに秘めておくべきことだと思っていた。妹のように思っているセイにも伝えたことはない。だが、ひとりだけで抱え込むには重すぎる秘密だったのかもしれない。
「最後にあなたと会ってから、どれくらい経つのかしらね」
青年の胸に頭を預けながらリブが訊ねると、
「もう13年になる」
セドリックがすぐに答える。返事の早さが思いの強さの証でもあるかもしれなかった。
「そう」
今となっては長いとも短いとも感じる月日を思いながら、
「セディ、こうしてあなたに会えたのも何かの運命なのかもしれない」
リブ・テンヴィーは自らの過去を打ち明けようと決めていた。
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