第25話 女騎士さん、「影」と最後の対決をする(その4)
「いやあ、なるほどな」
セイは黒ずくめの男をじっと見て微笑む。
「打突によって『波』を体内に伝えるとはなかなか面白いことを考えたものだな。しかも、この技を完成させるまでには相当苦労したはずだ。恐れ入ったぞ」
賞賛されてもちっとも嬉しくはない。一度受けただけで技の原理を見抜かれたうえに破られたのだ。そして、「影」には「通し」が通用しなかった理由が推測できていた。
(打点をずらされた)
「通し」がセイに命中した後で呆然としたのは、その手ごたえに違和感があったためでもあった。右の拳が最大の威力を発揮するヒットポイントに到達する手前で彼女の身体に中途半端な形で当たってしまったのだ。もちろん、それは偶然ではなく、女騎士が狙ってやったに違いなかった。無造作にダッシュしたように見せかけて、男が「通し」を仕掛けた直後に一瞬だけスピードを上げて間合いを詰めたのだろう。
「いつから気づいていた?」
「ん?」
「おれの技に気づいていたから、貴様は対応したのだろう? どうしてそんなことができる?」
動揺で波打つ声で問いかけられたセイは頭を掻いて、
「いつから、と言えば最初からだ」
あっさり答えて、「影」とナーガを唖然とさせる。
「最初から、だと?」
「ああ、最初からだ。正確には向かい合ったときからだな」
誰もが知っている常識を説明するようなつまらなさそうな表情をして、
「前に立ち会ったときよりも、おまえの重心が低く見えた。だから、今回はスピード勝負ではなく何か別の技を当てたいのだろうと思ったのだ。まあ、簡単な推理さ」
何が簡単なものか、と「影」は愚痴をこぼしたくなる。「通し」を打つためには、足をしっかり踏ん張る必要があって、その意識があったために姿勢が異なっていたのだろうが、たとえそうだったとしても精密機械でないと判別できないくらいの些細な違いにすぎない。それだけの差違を看破する眼力もまた「金色の戦乙女」の恐るべき能力のひとつなのだ、と男は思い知らされる。
「万が一、毒を仕込まれたら面倒だ、と思っていたが、そうではなさそうなので、一発だけなら受けても平気だろう、と思って仕掛けてみたわけだ」
ひっく、ともう一度しゃっくりしながらセイは笑顔を浮かべ、
(まんまと誘われた)
「影」は苦り切る。隙だらけになって近づいてきたのはあまりにも見え見えの罠だった、と今なら気付けるが、蹴りの痛みと勝ち急いだ心が判断を誤らせたのだ。
「セイ、おまえ、大丈夫なのか?」
大声で訊ねてきたナーガに、
「大丈夫じゃない。見てくれ、しゃっくりが止まらない」
ひっく、ひっく、と女騎士は困った顔になるが、「それくらいで済んでよかったじゃないか」としかモクジュから来た少女には思えない。
「冷たい水を一気に飲んだら止まる、というが、そんなものはここにはないしな。あ、そうだ! ナーガ、わたしを驚かせてくれ。ビックリしたらきっと止まるはずだ」
「驚かせてくる、と事前にわかってたらビックリしようがないだろ」
実にもっともなことを言われて、「それもそうだ」と笑った後で、
「心配させて悪かったな」
とセイは謝る。目の端に滲んだ涙が見つかったのを知ったナーガは、
「おまえの心配などするものか」
慌てて否定するが、顔は赤く色を変えていたので説得力も何もあったものではなかった。美しい騎士たちが仲良く会話している一方で、
(なんたる屈辱!)
「影」は怒りに震えていた。他の誰でもない、自分に対して憤っていた。決死の一撃が女騎士の横隔膜を痙攣させただけに終わるとは。許せない、と思っていた。ふがいない自らも、敵である金髪の騎士も、誰も彼もこの世から存在を消してしまいたかった。だから、
(まだだ!)
黒い凶人はセイへと再び駆け出した。今度こそ「通し」を効かせてやるつもりだった。次は顔面を狙う。頭部にかすりさえすれば、最初のときのような不十分な威力でも脳震盪を起こして彼女の戦力を大幅に削れるはずだ。自分からこの対決が「最後」だと言ったのだ。簡単に諦められはしない。その思いが男をただひたすらに走らせる。だが、
すぱんっ!
軽快な音とともに何かが右足に触れたのに「影」は気づいた。だが、痛みも衝撃もなく、何も感じなかった。だから、構うことなく走り続けようとしたのだが、
(えっ?)
それはできなかった。無様に頭から転倒したからだ。一体何故おれは倒れちまったんだ、と怪しんでから、右足から完全に感覚が消失しているのに気づく。視線を移して、何も感じないのに右の脚がまだ自分の身体にくっついているのを不思議に思っていると、
「あがががががががが!」
突然激痛がやってきた。耐え難い苦しみに凄腕の刺客は誇りも見栄も何もかもかなぐり捨てて絶叫して転げ回る。
「あの技をもう一度やられると面倒だからな」
セイは男の狂態を冷たく見下ろしながらつぶやく。
「だから、足を潰させてもらった」
恐ろしい奴だ、とナーガは金髪ポニーテールの騎士の横顔をうかがう。「影」に襲い掛かられるなり、セイはすぐさま黒ずくめの男の右足にローキックを食らわせたのだ。東方の戦士が用いるサムライソードを思わせる鋭い切れ味で、あれを食らえば「通し」は二度と使えず、歩くことはおろか立ち上がることもできない、と思わざるを得なかったのだが、
「まだだ」
驚くべきことに、「影」はよろよろと体を起こしていた。もちろん蹴りを受けた右足はもはや使い物にならないが、残った左足一本だけで地面を踏みしめ、だらだらと脂汗を流しながらも、尖った歯を食いしばって憎き敵への殺意を剥き出しにして睨みつけてきた。
「ど根性だな」
ひゅーっ、と口笛を吹いて、セイは男に感嘆する。勝利への執念を捨てきれない者に、それなりの贈り物をすべきだ、という思いが彼女の中に芽生えていた。片足だけになった暗殺者が追いつけるとも思えないので、このまま立ち去ってしまってもよかったが、全身全霊で相手を完膚なきまでに打ちのめすことが戦士としての礼にかなう、と思っていた。
「よし」
気を取り直した女騎士は青い瞳を輝かせると、
「それでは、わたしもひとつやってみようか」
と言いながら、何の予備動作もなしに「影」の懐に飛び込んでいた。
(なに?)
裏社会にその人あり、と謳われた男でもセイの速攻に対応することはできなかった。万全な状態でも避け切るのは至難の業で、傷ついた不自由な身体では尚更だった。
「ふん!」
女騎士の右の拳が「影」のみぞおちに炸裂した、はずだったが、意外にもその衝撃は軽いもので、親愛の情を示すために肩を叩かれる程度の感触しかなかった。なんだ、驚かせやがる、と漏れかけた嘲笑が顔に出る前に、暗殺者の背筋は凍り付く。このような状況を数時間前に体験したばかりではないか。ただし、そのときとは立場が異なり、自分が相手にしたことを、今度は自分がされようとしていることに男は気づいていた。
(この女!)
セイジア・タリウスの
「がはっ!」
「影」の身体から血が噴き出していた。口から目から鼻から耳から、全身の穴という穴から鮮血がほとばしる。
「ふむ」
白目を剥いて失神した男を解剖学者のごとき冷徹なまなざしでセイは見下ろす。
「見よう見まねでやってみたが、意外と上手く行った」
女騎士は「影」を相手に「通し」をやってみせたのだ。そもそも、「通し」はセイの技をヒントに編み出されたものだ。理屈さえわかれば実行するのは、彼女にとってそれほど難しいことではなかった(逆に言えば彼女以外の人間にとってはとてつもなく難しい)。
「おい、大丈夫か、これ?」
近づいてきたナーガが眉を顰める。「影」の身体は小刻みに震え、出血は相変わらず続いていた。このままでは死んでしまってもおかしくなかったが、
「ふん!」
そんな哀れな男にセイは拳を振り下ろす。とどめを刺そうというのか、と「
「波に波をぶつけて消したんだ」
セイは事も無げにつぶやく。つまり、「通し」を再び当てることで「影」の体内を駆け巡っていた「波」を相殺したということなのだろう。ひとまず、この無法者は生命の危機を脱したようだ。
「こいつがこれで諦めるとも思えんが」
ナーガが疑念を示すと、
「かもしれないが、まあ、そのときはそのときだ。世の中はいい方向に動くものだ、とわたしは信じているから、今度もきっとそうなるさ。決して悪いことにはならない」
と金髪の騎士が言った直後に、「ひっく」としゃっくりがまた出てしまい、セイとナーガは二人して笑い合う。かくして、ジンバ村は危機を脱し、セイジア・タリウスと「影」の最後の対決も終わりを迎えた。しかし、それはさらなる危機の前触れに過ぎず、美しい2人の騎士と村人たち、それに「影」もまた、波乱の渦の中に巻き込まれていくことになるのだが、いったん辺境の村から離れることにして、次回からはある一組の男女について見ていきたい。彼と彼女の恋もまた、最強の女騎士の物語へとつながっていくことになるはずである。
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