第24話 女騎士さん、「影」と最後の対決をする(その3)

セイジア・タリウスと「影」、2人の間に距離が出来ていた。そして、

「ぐぐぐ」

苦悶の表情を浮かべる黒の仕事人の腹から、しゅううう、と白煙が上がっている。セイの右の前蹴りが直撃したのだ。鋼鉄のごとく固く鍛えられた腹筋が断ち切られ、はらわたが激痛にのたうちまわる。千を下らない連撃でも相手に何らダメージを与えられなかったというのに、自分の方はたった一撃で戦闘不能の一歩手前まで追い込まれている。あまりにも理不尽すぎるレートを前にしておのれの人生の破産を実感しつつあった「影」に、

「おい、唐揚げ。いや、チゲだったか? まあ、それはともかくとして」

相手の名前をまともに覚える気のない女騎士の顔には戦いの興奮など見当たらず、

「いつまでレディファーストを気取るつもりだ。切り札を温存したままわたしに勝つつもりか?」

あらゆる草木も枯らしてしまうほどの冷気を帯びた口調で言い放つ。

(ばれてやがる)

秘策の存在を知られた、と気づいた「影」の額に墨のような汗が流れる。彼女の言う「切り札」とは無論「通し」のことだ。最強の女騎士をも倒し得る一撃必殺の秘技だ。男は別に温存していたわけでも、勿体ぶっていたわけでもない。セイに攻撃を仕掛けながら技を繰り出す頃合いをうかがっていたが、そのタイミングが訪れなかっただけだ。「金色の戦乙女」の防御はそれだけ堅固で、蟻の這い出る隙間すら見当たらなかった。進退窮まった仕事人が言い返すこともできずにいるのを見たセイは「やれやれ」と言いたげに腰に手を当てて溜息をつくと、

「もういい。さっさと終わらせることにする」

と言うなり、「影」めがけて駆け出した。

(馬鹿な?)

観戦していたナーガが驚いたのはダッシュするセイがあまりにも無防備になっていたからだ。隙だらけ、というよりは隙しかない。勝利を確信して油断したとしか思えない、とんでもない失態だと少女騎士は唖然としてしまう。

(甘く見るな!)

ナーガが気づいたことは金髪の騎士と相対する「影」にも当然わかっていた。おれを侮った罰を受けさせてやる、と溢れる殺気で髪が逆立ち針のように尖っていく。腹の痛みは消えないが、呼吸はようやく整ってきた。これならいける。千載一遇の好機を逃すまいと、闇に棲む悪鬼は美しき獣を狩るために前へと出た。

「ああっ?」

ナーガ・リュウケイビッチは思わず叫んでいた。「影」が最初に踏み出した歩みを見て、この男が尋常でない手段をとろうとしているのを見破ったあたり、現在戦いの最中にある2人に及ばないまでも、彼女もまた一流の武人であることに間違いなかった。だが、「蛇姫バジリスク」の驚愕とは関わりなく、黄金の戦士と漆黒の凶人の距離は瞬く間に詰まり、

(当たれ!)

「影」が繰り出した「通し」はセイの腹部に命中した。彼女がガードしなかったのは男にとって意外だったが、たとえ防御したところで関係はなかった。身体の何処だろうと当たりさえすれば、「波」は全身隅々まで行き渡って、「金色の戦乙女」の生命を奪うに決まっていた。「通し」を食らった女騎士の身体が後方へと吹き飛ぶ。

「セイ!」

ナーガはまたしても叫ぶ。セイがまともに攻撃を受けたのを見るのは初めてで、しかも、今の一撃はただの一撃ではないのを、彼女は見抜いていた。深刻なダメージを受けていてもおかしくない。

(馬鹿、何をやってるんだ。こんな奴に負けるようなおまえじゃないだろう)

浅黒い肌の娘はパニックに陥る。おまえを倒すのはわたしだけなんだ。ここで負けたら許さないからな。憤りと悔しさのせいで涙が出そうになりながらも、ナーガは宿敵であるはずの女騎士を睨みつけた。セイは倒れはしなかったが、ぴくりとも動かずただ立っているだけ、という有様で、俯いた顔はよく見えない。一方、「通し」を当てた「影」も、あまりに狙い通りに行きすぎたせいなのか、わずかの間呆然として動きを止めてしまったが、

(とどめだ!)

これまで数知れない人間を血祭りにあげてきた暗殺者はすぐに平静を取り戻すと、セイを仕留めようと動き出す。「通し」を食らえば全身の穴という穴から血を噴き出して死に至る、というのは昨晩の騎士で証明済みだ。だから、これ以上の攻撃は余分なはずだが、相手は最強の女騎士だ。息絶えるその瞬間まで安心できるはずがない。

(これで終わりだ、セイジア・タリウス!)

輝く金髪を頂いた頭に右の貫手が迫り来るのを直視できずに、ナーガが思わず目を逸らしてしまった次の瞬間、

「ひっく」

戦場と化した早朝の森にかわいらしい音が鳴り渡った。

「は?」

「え?」

あまりにも場の雰囲気にそぐわないのんきな響きに、「影」は動きを止め、ナーガはもう一度2人へと視線を戻していた。

(え? これって、もしかして)

モクジュの少女騎士が戸惑っていると、今度は「ひっく」「ひっく」と同じ音が2度鳴った。そして、

「ひっく!」

セイジア・タリウスは顔を上げて、

「ひっく! ひっく! ひっく!」

盛大にしゃっくりをしてみせた。

「馬鹿な!」

「影」が絶叫したのも無理はない。殺人技である「通し」を食らったのに、彼女はまるで平気な顔をしていたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る