第17話 女騎士さん、遭遇する

(ん?)

「ぶち」は思わず脚を止めた。今、彼はセイジア・タリウスを乗せて鬱蒼と生い茂った森の中を歩いていたので、目指す前方に何があるのかよく見えはしなかった。だが、それでも、若い馬は行く手に「よくないもの」が待ち受けているのを感じ取って、そのおかげで前に進みたくなくなってしまったのだ。

「おまえも気付いたか」

だしぬけにセイに声をかけられた「ぶち」はぎょっとする。人間風情がこのおれよりも早く異変を察知するとは、と動物としての誇りを傷つけられた思いだったが、

(さすがはおれの女だ。並の人間とは一味違うぜ)

いい気なもので、女騎士の彼氏を気取った馬はすぐに機嫌をよくして、

「急いでくれ」

と言われる前に既に駆け出していた。ゆるやかな傾斜を登り切ったところでようやく視界が開けたが、

(ひでえ)

と真っ先に思っていた。見下ろした視線の先には小さな村があった。セイと一緒に何度が訪れたことがある村だった。「あった」「だった」と過去形で書くのは、その村がもうなくなってしまったからだ。民家が全て焼け落ち、余燼がくすぶっているのが「ぶち」の目にはしっかりと見えて、彼の背中に乗ったセイにも同じように見えているはずだった。もはや燃えるものもなくなってしまったために、煙の黒さは薄れつつあるが、駿馬の鼻は焦げ臭さだけでなく死の臭いも嗅ぎ取っていた。つまり、あの村で失われたのは建物だけではない、ということだ。

(なんてこった)

いつもは暴れ回っている若い馬も生命への敬意は持ち合わせているのか、厳粛な気分にならざるを得ない。あるいは彼にまたがった女騎士の怒りと悲しみが伝播していたのだろうか。ようやく村の入口までたどりついたセイと「ぶち」の前に、鎧をまとった一人の騎士が両手を大きく広げて立ちはだかった。バイザーを上げた兜から見える顔には疲労が色濃く浮かんでいる。

「貴殿は?」

黒い口髭を生やした中年の騎士が訝しげに訊ねると、

「この先に所用があるのでたまたま通りかかったのだが」

セイはそう言ってから、「一体何が?」という思いを込めて騎士を見つめ返した。男が深く息をつくと、がちゃり、と鈍く光る鎧が音を立てた。

「ゆうべのうちに賊に襲われたようだ。知らせを受けて駆け付けたときには、もう遅かった」

つまり、犯人に逃げられた、ということだ。おそらくこの村の領主のもとで働いているのだろう、とセイは騎士の身元の見当をつける。

「皆は?」

女騎士の問いかけに男は答えず、黙って視線を村の中へと移した。男と同じ方向をセイが見ると、何枚もの筵が敷かれていて、その下にある何物かを隠そうとしていた。だが、人の形に膨らんでいるのは明らかで、その数は10体や20体どころではない。そして、その中に小さな膨らみもいくつかあるのを彼女は見つけてしまっていた。

「生き残った者は?」

セイが訊ねると、男は無言で首を横に振り、その答えを予期していたのか、女騎士は何も言わずに俯いた。

(おれらよりも人間の方がよっぽどケダモノじゃねえか)

蛮行に憤る「ぶち」は手綱が震えるのを感じ取っていた。彼の主人は平静を装おうとしているが、しかしそれでも感情がこぼれ落ちてしまっているのだろう。

「貴殿の知り合いがこの村にいたのかね?」

騎士に訊ねられて、

「いや、わたしも何度か通りかかっただけだから、詳しいことは知らない」

セイジア・タリウスはジンバ村以外の集落の相談事にも乗っていたが、この村は特段トラブルもなかったために、そこまで深く関わったことはなく、ころころと太ったいかにものんきそうな村長と短く会話を交わしたことがあるくらいだ。だが、たとえ関係性が薄くても、多くの人々の命が失われた悲しみで誇り高い女騎士の胸は張り裂けそうになる。どうにかして守ることはできなかったのだろうか、とセイが自責の念を覚えていると、

「だいぶ前にこの村で食事に招待されたことがあるのだが、みんな気のいい人間ばかりでね。人の怨みを買うとはとても思えない」

男は温厚そうな顔にわずかに怒りを見せて、

「この落とし前は必ずつけさせる。それがわれわれの総意だ」

重々しくつぶやく。人が消え家も失われた村の中で何人もの騎士たちが立ち尽くしているのが見える。領地での凶行にやりきれない思いを抱えた男たちを眺めてから、

「すまないが、確かめたいことがあるので、村に入ってもいいだろうか?」

セイは騎士に声をかけた。何者かは知らないが、隠しようのない気品を備えた女子に、

「それは別に構わないが」

男は頷く。ありがとう、と言ってから金髪の女騎士は「ぶち」から音もなく飛び降りる。「いい子にしてろよ」と愛馬の首筋を優しく撫でてから、入口を通り抜けたセイの後を追って騎士も村へと入る。並べられた遺体の前に跪き、しばしの間黙祷した後に女騎士は調査を始める。全焼したいくつもの家屋から漂う悪臭で呼吸するのが難しく、消えやらない余熱のせいで、あたりは陽炎で揺らめいて見える。

「何か気になることでもあるのかね?」

騎士が訊ねてもセイは何も答えずに、あたりをきょろきょろと見渡すだけだ。妙な娘だ、と思った騎士がふと視線を落とすと、路上に大きな染みが出来ているのに気づいて、思わず舌打ちしてしまう。遺体は全て回収したが、血痕までは消しきれていないのだ。逃げ惑う村人を無惨に殺して回る野盗どもの姿が目に浮かぶようで、こみあげてきた吐き気を我慢するのに一苦労する。このような非道をしでかした輩を決して許すわけにはいかない、とあらためて怒りを覚えていると、

「おや?」

セイが蹲っているのが見えた。地面をじっと見つめてから立ち上がって移動すると、また蹲って別の地面を凝視している。それが彼女の「確かめたいこと」なのだろうか。

「何か変わったところでもあったかね?」

騎士に訊ねられたセイはかすかに微笑んで、

「ああ、いや、大したことではないんだ」

と言いながら立ち上がった彼女の表情がさっきとは違っているのに男は気づく。惨劇に対する激情は見えなくなり、その代わりに決然たる意志が表に現れているように見えたが、その強い思いの意味するところまでは、彼にはわからなかった。

「先に謝っておくぞ」

「なに?」

近づいてきたセイの言葉に騎士は戸惑う。

「悪いが、この件の落とし前はわたしがつけることにする。本当なら、あなた方がやるべきなのだろうが、どうもそうはいかないようだ」

言っている意味はさっぱりわからないが、目の前の美しい女子が本気なのはよくわかったので、

「いや、犯人が処罰されるのであれば、われわれがやろうと貴殿がやろうと別に問題はない」

とだけ返答する。止めたところで無駄なはずで、おそらく彼女の言う通りになる、という気が何故かしていた。

「それならいいんだ」

と言うと、面倒をかけてしまったな、と美貌の騎士はもう一度微笑んでから入口を出て行く。「ぶち」に飛び乗り、元来た方向へと戻ろうとする金髪碧眼の女子に、

「そういえば、貴殿の名前をまだ聞いていなかったが」

騎士が声をかけると、

「申し遅れた。わたしの名はセイジア・タリウスだ。片がついたら必ず連絡するから、そのときはよろしく頼む」

じゃあ、と言って、茶色い大きな馬とともに疾風のごとき勢いであっという間に走り去っていく。

(あれが「金色の戦乙女」?)

彼女の正体を知った男は呆然として、愛馬にまたがった女騎士が消えた方向をしばらくの間見つめ続けた。

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