第138話 終わりの始まり(中編)

このところ、アステラ国王スコットの顔色はすぐれなかった。現在推し進められている弱者救済策の取り扱いをめぐって、目下彼は悩んでいるところだった。といっても、政策そのものは比較的スムーズに進んでいると言えた。国内各地のインフラ整備や職にあぶれた者を救うための大規模な公共工事などは既に着手されていて、若手官僚から提出された福祉を充実させるプランも実行に向かいつつあり、熱意を持って動いていた若き王はより一層情熱を傾けていたのだが、しかしながら、この件に関して生じた問題に対する苦悩は深く、それが彼の表情を険しいものにしていた。

「余の不徳の致すところだ」

家臣たちを前にして、玉座につく高貴な青年は溜息を漏らした。彼を悩ませていたのは貴族からの反発だった。弱者を救済するにあたって要する多大な費用の一部を、国王は貴族たちにも分担するように命じたのだが、それに賛同したのは3割か4割程度で、多くの連中は反対の意か、あるいは不快感を示したのだ。上流階級の人間は他人のこととなると財布のひもをきつく締めてしまうものらしく、平民のためになど一銭たりとも出したくない、という態度を取るものまで出る始末だった。

「恵まれない者を救おうとするのは当然の義務ではないか」

予想外の反応に王は驚いたが、世の中が建前のみで動いているわけではなく、利害関係が複雑に絡み合って出来上がっていることを学ぶ機会にもなった。それでも、王国の頂点に立つ若者は理想主義者ではあったが夢想家ではなく、自分の意のままにならない家臣たちの説得につとめ、時にはなだめすかし、時には暗に脅しつけたりして、どうにか支持を広めていき、その結果として政策の実行にこぎつけていた。

「陛下があそこまでなされるとは」

いつもは政治家や官僚の言うことを素直に聞いて、自分からは動こうとしなかった主君の変化に侍従長をはじめとしたおつきの者たちはかなり戸惑ったが、国民を救おうとする王の本気を感じて、あらためて忠誠を誓っていた。だが、彼の推進する政策の影響は負のかたちで明確に現れていた。

「各地で小競り合いが起こっているようです」

宰相ジムニー・ファンタンゴは表情を崩さずに王に告げた。貴族たちは国王へ拠出した資金の穴埋めに、領民たちにより重い税を課すかさらなる負担を命じるなどして、その結果として王国のいたるところで衝突が発生していたのだ。自分の計画によって、国民同士がいがみあうことになってしまったのに、温和な性格の王は大いに苦しんでいた。

(皆が幸せになるために、正しいことをやっているはずなのに、どうしてこうなる)

20代半ばの青年にはこの世界が不条理に満ちたものであることを理解するのは難しすぎた。

「畏れながら、陛下に申し上げます」

宰相の横に控えていた内務大臣が一歩前に進み出た。

「今のところは幸い死者は出ておりませぬが、このままでは時間の問題かと思われます。最悪の場合、暴動が起きる可能性も有り得ます」

実直一本槍の大臣の顔に隠し切れない焦りが浮かんでいて、王国に危機が現実のものとして迫っているのを、王の周りに集う人間は頭だけでなく皮膚感覚で理解せざるを得ない。

「そうなった場合には、暴徒の鎮圧のために、王立騎士団の出動もご検討されるべきかと」

「それはならぬ」

内務大臣の言葉を国王スコットは即座に否定する。

「アステラの国民は余の子供も同然である。親として子に刃を向けるなど、言語道断だ」

そんなことは考えたくもない、と嫌悪を露わにして青年は顔を背ける。とはいえ、騎士団を動かすことは政治家や官僚の間では現実の対応策として議題に上っていて、その噂がアリエル・フィッツシモンズの耳にも届いていたわけである。

「しかし、このままではいずれ血が流れることは避けられません」

ファンタンゴの淡々とした言葉に、

「そうならないようにするのが、余とそなたたちの務めだ」

とだけ王は答えた。気まずい雰囲気が流れる謁見の間に、だだだだだ! と使者が駆け込んできた。

「何事か?」

ただならぬ気配に、冷徹な宰相もかすかに顔色を変えて訊ねると、はあはあ、と息を切らしつつも膝をついた使者は視線をファンタンゴから国王スコットに移し、

「畏れながら、陛下にご報告であります。バニング男爵の屋敷が領民によって焼き討ちされた、とのことです」

王が立ち上がり、広間がどよめく。遂に恐れていた事態が起こってしまったのだ。

(バニング、あの馬鹿者めが)

内務大臣はひそかに唇を噛んだ。王国の南東部に領地を持つバニング男爵の支配の苛酷さは遠く離れた王都チキでもよく知られていて、その圧迫に農民たちが耐えられなくなったのだ、と思われた。

「して、怪我人はいるのか?」

波打つ声で王が訊ねると、

「いえ、男爵とご家族は避難されて無事だと聞いております。また、領民にも怪我はないようです」

そうか、と小さく呟いて、青年は再び玉座に腰を下ろす。貴族も平民も差別することなく思いやる王の深い心に、居並んだ人々は感銘を受けたが、愛や優しさだけで解決できない段階にまで状況が悪化しているのを、この場にいる誰もが認めざるを得なかった。

「即刻、会議を招集せよ」

決断を迫られる王の言葉は重く、その表情は沈鬱だった。

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