第139話(第5章完) 終わりの始まり(後編)

バニング男爵の屋敷が領民たちによって焼かれた、との知らせが王都チキに届いたのとほぼ時を同じくして、ジンバ村のセイジア・タリウスもその件を知ることとなった。彼女が村の集会場で村人たちと話し合いをしているところへ、飲んべえのドラッケがやってきて急報を伝えたのだ。

「孫の顔が見たくて、隣村に嫁いだ娘に会いに行ったら、たまたま来ていた行商人からその話を聞いたんだ」

驚きのあまり酔いがさめてしまったかのように、いつになく真面目な顔をする飲んべえの話に、村人たちも驚きを隠せない。ここしばらくは平和なアステラ王国でも農民や労働者が集団で抵抗を示すことはたまにある。だが、それはストライキや小競り合いと言ったところがせいぜいで、館が燃えるほどの大規模な争いはきわめて珍しく、彼らとしてもどう反応していいのかわからない、というのが正直なところだった。とはいえ、そのうちの何人かの顔には「よくやった」と言いたげな肯定的な態度が見て取れるのは、ジンバ村もまた領主を称するレセップス侯爵によって苦しめられていたからで、決起した人々への共感を抑えかねたためだろう。

(とんでもないことになったものだ)

集会を取り仕切っている村長のハニガンは突然のニュースに驚いてはいたが、それでも我が事とは受け取れずにいた。セイジア・タリウスがやってきて以来、この村は平穏そのもので、村の北の土地を占拠するモクジュからの避難民ともそれなりに上手くやれている現状にあっては、圧政に耐えかねたがための暴動、と聞かされても対岸の火事でしかない、というような気分でいたのだが、

「どうされました?」

集会場の隅に立って話し合いを見守っていた女騎士が表情を強張らせているのに気づいて声をかけた。いつも陽気な彼女らしからぬ怖い雰囲気が漂っているのを感じ取って、ざわついていた村人たちも静かになる。すると、

「まずいことになった」

ぽつり、とセイはつぶやいた。

「何がまずいのですか?」

意味を図りかねた若い村長が訊ねると、女騎士は溜息をついて、

「貴族の屋敷が焼かれるなど、どう考えたってまずいじゃないか。たとえ、そのバニング男爵とかいうやつがろくでもないことをやっていたとしても、大っぴらに反逆した以上は、領民たちだけが悪者になってしまう」

わたしが助けてやれていれば、という思いがセイの表情にハッキリと出ていて、集まった人々は黙り込んでしまう。貴族出身でありながら、彼女が身分にとらわれることなく誰にでも親身になってくれるのを、彼ら彼女らはよく知っていた。

「しかも、問題はそれだけじゃない。もしかすると、わたしたちにだって関わりが出てくるかもしれない」

思いも寄らない言葉に、「えっ?」とハニガンは声を出して驚き、村人たちの間にも動揺が走る。

「この件を利用して強引な手段に出る貴族もいるかもしれない、ということだ。暴動を起こす前にあらかじめ力ずくで領民を抑え込もうとするやつも出てくるかもしれない」

私兵を抱える貴族は少なくない。そして、

「最悪の場合、王立騎士団が出動することになる可能性だってある」

かつて騎士団を率いていたセイの言葉に、誰かが悲鳴を上げた。事態が予想以上に深刻で、我が身に跳ね返ってこないとも限らない、とわかって素朴な村人たちの中に恐怖心が目覚めていく。最強の女騎士は常に逆境を想定して動いていたが、自分の言葉がみんなを怖がらせてしまったのを敏感に察知して、

「でも、安心してくれ。陛下がそのようなことをお許しになるはずがないし、いろいろ批判はされてはいても、この国の政治家と官僚は優秀なんだ。本当にひどいことになる前に食い止めてくれるさ」

暖かい笑顔で村民たちの不安を消し飛ばそうとするが、

「どうだかな」

吐き捨てるように言ったのは鍛冶屋のガダマーだ。

「何か文句があるのか、ガダマー?」

ひげもじゃの丸い顔をしたむさくるしい男に反抗されるのに慣れっこになっていたセイが笑みを消すことなく問いかけると、

「なんだかんだ言っても、あんたは所詮貴族じゃねえか。いざとなったら、おれたちを見捨てて寝返るんじゃねえのか?」

ヒゲダルマの言葉に、金髪ポニーテールの騎士はわずかに首を傾げてから、

「そんないかつい顔をしているくせに案外心配性なんだな」

からかうように言うと、集会場の中が笑いに包まれる。外部からやってきた女子がすっかり村に溶け込んでいるのを今更感じたガダマーは、

「馬鹿にして偉そうにするんじゃねえよ」

慌てて大声を上げるが、

「そんな風に思うのは、おまえが勝手に『自分は馬鹿だ』『自分は偉くない』と思っているからだ。おまえの仕事の腕前はわたしから見てもなかなかのものなのに、そうやって僻みっぽいと損をするぞ。もっと自信を持ったらいい」

言いがかりをつけた相手から励まされて、ガダマーは何も言えなくなる。心の広い人間と向かい合って、おのれの偏狭な精神を否応なく思い知らされた、ということもあった。

「今のわたしはジンバ村を守る役目を仰せつかっている身だ」

セイは何気なくしゃべっているはずなのに、極上の音楽を思わせる響きに、集まった人は全員思わず聞き惚れてしまう。

「だから、何があろうともこの村を守るし、いつだってみんなの側に立つ。そのことは信じてほしい」

どんなへそまがりの心も動かさずにはおかない熱さのある言葉に、ジンバ村の人々は深く感動し、

「この人と一緒にいれば大丈夫だ」

とセイへの信頼をゆるぎないものにしていた。そして、女騎士もまた、

(必ずみんなを守ってみせる)

と心に固く誓っていた。


その夜。眠りにつくために明かりを落とした自宅の部屋でひとり、ベッドに腰掛けたセイは物思いに耽っていた。

(ごまかしてしまった)

と思っていた。昼間の集会のことだ。村人たちを安心させるためにやむを得ないことではあったが、考えをはっきりと伝えなかったのがどうしても心に残っていたのだ。あの場では一応否定したが、王立騎士団が暴徒を鎮圧するために出動する可能性は、はっきり言ってゼロではない。暴動が手に負えなくなれば、寛大な国王スコットであっても、騎士の力を用いるしかないはずだった。もちろん、ジンバ村で騒ぎを起こすつもりなどセイには全くなかったが、他所で発生した暴動がこの村に及ぶことも考えられる以上、ここだけがいつまでも平和なまま、と考えるのは都合が良すぎた。村を守るために動こうとする彼女の心に偽りはない。だが、

(シーザーやアルと敵対するかもしれない)

そう思うと気持ちはどうしても重くなる。もちろん、彼らもそのような事態は望んではいないだろうが、とはいえ2人は騎士なのだ。究極の状況においては個人的な感情を押し殺してでも与えられた使命を果たそうとするだろう。村人と友人、どちらも守ろうとするのは甘い考えなのだろうか。悩みに悩んだ結果、

(そのときはそのときだ)

開き直った彼女はベッドに寝転ぶ。考えてもわからないことは、その場で身体が自然に動くのに任せればいい、というのがセイジア・タリウスのやり方だった。それで今まではどうにか切り抜けてきたのだ。明日になれば、今日とはまた違った世界が目の前に現れるだろう。そう思いながらセイはそっと目を閉じた。戦場で長く過ごしているうちに、わずかな時間で睡眠をとれる体質に変化していた彼女はすぐに眠りに落ちると、そのまま夢もみずに、すーすー、と朝まで安らかに寝息を立て続けた。


アステラ王国に波乱が迫りつつあり、その波は最強の女騎士の身にも及ぼうとしていた。その過程において、彼女は多くの人と関わり、自らを見つめ直すこととなる。そして、その結果、セイジア・タリウスの青春にひとつの区切りが打たれることになるのだが、そこに至るまでには、いくつもの死といくつもの愛を通り過ぎなければならなかった。

(第5章 終)



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