第137話 終わりの始まり(前編)
「おまえ、なんつーことをしてくれてるんだよ」
アステラ王国王立騎士団本部の一角にある団長室のデスクに向かって座っているシーザー・レオンハルトががっくり肩を落としたのは、休暇から戻ってきたアリエル・フィッツシモンズにジンバ村での出来事を聞かされたからだ。部下と決闘に及んだのがセイジア・タリウスに知られたとあっては、彼自身の将来にも黒い影が差してきたと思わざるを得なかった。
「今度あいつと会ったとき、ぜってー半殺しにされるじゃねえか。何考えてんだ、てめえアルこの野郎」
「そこは全殺しにされないだけありがたいと思ってもらわないと」
デスクの前に立つ茶色い髪の副長に苦情をあっさりと受け流されては、「ちっ」と舌打ちするしかない。
「ぼくと同じくらいひどい目に遭ってもらわないと割に合いません」
思わず声を暗くしたアルの気持ちはシーザーにもわからないでもなかった。秘技を再び破られた少年騎士のショックは彼にも測り知れないものがあったが、
(おれは必死こいてやっとアルを負かしたっていうのに、あいつはいとも簡単に勝っちまいやがった)
恋する女騎士と自らの力の差がさらに開いたと実感せずにはいられなかった。好きな女の子が自分より強くても別に構わないじゃないか、と思えれば楽になれるかもしれないが、強くなることだけを考えて生きてきた男にとっては到底受け入れることのできない理屈であり、結局のところ、彼の苦しみは強さと愛を同時に手に入れようとしているところに起因している、とも言えた。だが、そのどちらかを手放してしまえば、シーザー・レオンハルトはシーザー・レオンハルトではいられなくなってしまう、というのもまた確かで、彼が彼であり続けようとする限り苦しみは続くのかもしれなかった。
「っていうか、そっちの方を気にされるとは思ってませんでした」
「あん?」
ぞんざいな返事をした上官を部下は冷たく見やって、
「ぼくがセイさんにキスされたことに驚かれるかと思いましたが」
ああ、それか、とシーザーは椅子の上でふんぞり返って天井を睨むと、
「まあ、『あの野郎』と思いはするが、『やっぱりな』と思ってもいる。わけのわかんねえ女がわけのわかんねえことをするのは、ある意味当然なのかもしれねえしな」
「セイさんをそんな風に言うのはやめてくださいよ」
「じゃあ、おまえにはあいつのことがわかるか?」
それは、とアルは口ごもってしまう。長く一緒に働いてきたが、セイの行動や考えを理解できている自信はなかったし、逆に言えば理屈で捉え切れないところに彼女の魅力があるとも思っていた。
「っつーわけで、おれもおまえもあいつのために長旅をしたわけだが、結局は痛み分け、ってところなのかな」
「アステラの若獅子」と呼ばれる騎士は大きく息をつく。辺境まで行きながら告白できなかった自分を情けなく思ったが、彼女との再会で得られたものもありはしたので、全くの徒労とも言い切れない。良かったとも悪かったとも判定できないもどかしさを味わっていると、
「この先はどうするつもりですか?」
とアルに訊かれた。そう言われてもな、と青年騎士は頭を掻く。今日一日のことしか頭にない彼は恋愛について周到なプランを作るつもりはまるでなかった。
「そうだな。折を見て、もう一度あの村まで行くことにするかな。土産でも持って行ってやればあいつも喜ぶだろう」
と答えている途中に、ぴん、と来て部下の顔をじっと見た。
「おれにそう訊いてきた、ということは、おまえには何か考えがあるんだな?」
相変わらず勘が鋭い、と思ってからアルは少し黙って、
「先日、ぼくの祖母が所用で都までやってきたのですが、その際にセイさんのお兄さんと会ったそうなんです」
「タリウス伯爵か?」
そう言いながらシーザーは、セドリック・タリウスが危うく決闘しかけた、という少し前のニュースを思い出していた。その話を聞いたときは、
(おれがその場にいたら加勢したのにな)
と残念に思ったものだった。といっても、好きな女の子の兄弟を助けて点数を稼ごうという考えはさらさらなく、生まれつきの喧嘩好きの血が騒いだだけ、というのがこの青年らしいところではあるのだが。
「ははあ。するってえと、あの騒ぎの場におまえん
「ぼくはおばあ様を心から尊敬してるんです。『婆さん』とか言わないでくれません?」
「悪い悪い」と反省する様子もなく詫びる団長に舌打ちしてから、
「おばあ様は、タリウス伯爵、セイさんのお兄さんをいたく気に入られたようでして」
それで、その、ともごもごしてから、
「ぼくとセイさんの縁談を進める気になったようです」
「はあ?」とシーザーは大きな声を出して驚く。
「わけがわかんねえ。セイの兄貴を気に入ったら、どうしておまえの縁談が進むんだ?」
「おばあ様は、フィッツシモンズ家とタリウス家の間に縁を持ちたい、と考えられたのだと思います。貴族の結婚というのはそういうものなんですよ。個人の関係だけでなく家と家とのつながりも重視される、というか、そっちの方が大事に考えられる場合の方が多いのかもしれません」
おれが生きている限り全くもって必要のない知識だ、とシーザーは理解する気もまるで起きなかったのだが、
「でもよ、確かおまえには姉ちゃんと妹ちゃんがいるだろ? そのお嬢ちゃんのどっちかとセイの兄貴をくっつけた方が話が早くないか?」
品のない言い方をいちいち咎めても無駄だと知ったアルは肩をすくめてから、
「おばあ様もそのつもりだったようですが、どうもタリウス伯爵には意中の方がいらっしゃるようでして」
「へえ、なかなか隅に置けねえな」
会ったこともない伯爵に賛辞を送ってから、
「その『意中の方』っていうのは一体どんな人なんだろうな? セイによく似てたら少し笑えるが」
「あんな人が他にいたら困りますよ」
軽口を飛ばし合う2人の騎士には、彼らもよく知るリブ・テンヴィーにセドリック・タリウスが夢中になっているとは想像もつかなかった。
「実を言えば、以前からぼくの家族はタリウス家に縁談を持ち込もうとしていたんですよ。ただ、ぼくからセイさんに告白したかったので、止めてもらってたのですが」
もうなりふりかまってられないってことか、とシーザーは少年騎士の心中を察する。縁談など、孤児だった彼には取りようのない手段だが、だからといって、それを卑怯とは思わなかった。本気で欲しいものがあれば、どんなものでも利用するべきなのだ。自分だってそうするつもりなのに、ライヴァルを責める資格などありはしない。
「あと、ぼくには考えがありまして」
「なんだよ、それ?」
「王国の鳳雛」と呼ばれる少年は団長を冷ややかに見つめて、
「いずれわかります」
とだけ言った。ふうん、とシーザーはにやにやして、
「まあ、好きなだけたくらめばいいさ。おれはおれのやりかたで、おまえはおまえのやりかたで、あいつに向かっていくことしかできねえんだ」
牙を剥き出して笑いを浮かべた。
(だからこの人は怖い)
アルは震えかけた身体をやっとのことで抑え込む。綿密に計画を立てて、念入りに準備をしたとしても、いつも出たとこ勝負のシーザーに勝てる気がまるでしないのだ。しかし、だからと言って負けたくもないのは当然のことだ。彼の言う通り、自分に出来る限りのことをするしかないのだろう。
「ただ、しばらくは忙しくなりそうなので、それが片付かないとセイさんに会いに行くのは難しそうですが」
「やっぱりそうか」
シーザーが何かを納得したように頷いたので、「はい?」とアルは首を傾げる。
「どうも最近きなくせえ臭いがすると思ってたんだ。そろそろおれらの出番が来そうな、そんな感じがしていた」
だからこの人は怖い、と少年はもう一度思っていた。いつも報告を適当に聞き流しているのに、それでいて王立騎士団の現状をしっかり把握しているのだ。最強の女騎士に及ばないとしても、シーザー・レオンハルトもまた将器を備えた武人であることに間違いなかった。
「その通りです。昨今の状況を鑑みるに、王立騎士団に出動を命じられる可能性が高くなりつつあります」
おいでなさった、とシーザーは身を乗り出す。平和であるのに越したことはないが、それでも戦いのない日々にどうにも物足りなさを感じて退屈していたのだ。
「で、何処に行けばいい? 『空白地帯』か? ウラテンか?」
「アステラの若獅子」の中で現在紛争が生じるおそれのある場所を挙げた。アステラ王国の北東部に存在する「空白地帯」は長きにわたって続いた「大戦」の主戦場となった場所で、戦争が終わった今でも治安がいいとは言い切れず、武装集団が幅を利かせている、との噂もあった。一方、王国の南西部と国境を接するウラテン民族共栄国では内戦が続き、アステラにも難民がやってきているだけでなく、軍が国境を侵犯してくることもごくたまにあった。
「いえ、そのどちらでもありません」
部下にきっぱりと否定されて、「は?」とシーザーは間の抜けた顔をする。
「じゃあ、モクジュに攻め込め、っていうのか?」
王国の東に位置する、かつて敵国だったモクジュ諸侯国連邦は現在政情不安定に陥り、国外情勢を気にするどころではない、との話だった。その混乱に乗じるのだろうか、と思ったのだが、
「それも違います」
またもや否定された騎士団長は真剣な顔にならざるを得ない。部下の顔に苦渋の色が見えたからだ。そして、わずかな沈黙の後で、アリエル・フィッツシモンズはようやく口を開いた。
「王立騎士団は治安を維持するために、国内に出動することになるかもしれません」
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